2020年10月5日 / 最終更新日 : 2020年10月5日 矢部義徳 演芸 【志ん朝七夜】⑤ 志ん朝肝いりの「フタベン」で育ったトップランナーたち(上) 毎月最終火曜日18時から池袋演芸場で落語協会による二ツ目勉強会が開かれている。これは普通のお客様だけでなく、協会の幹部が何名か客席に座って、二ツ目たちの高座を見て、終演後に別途関係者のみ集まって講評をするという勉強会であ […]
2020年10月4日 / 最終更新日 : 2020年10月4日 矢部義徳 演芸 【志ん朝七夜】④ 閑古鳥が鳴いていた名古屋の寄席で見せた、志ん朝の漢気 僕は放送局に入局した88年5月に名古屋に赴任した。当分は志ん朝どころか、演芸とも一時的にお別れをしなければいけないと思ったが、ところがどっこい、大須演芸場があった。僕は不勉強でその存在を知らずに赴任したのだが、早速に新人 […]
2020年10月3日 / 最終更新日 : 2020年10月3日 矢部義徳 演芸 【志ん朝七夜】③ 志ん朝は言った。「芸は消えるから、いいン」 93年の僕の落語ノートにこんなことが書いてある。12月2日、池袋演芸場12月上席夜の部。 本当はきょうみたいにフラッと寄席に来て、落語を聴くというのが本来の落語の楽しみ方に違いない。確かに、きょうはトリが志ん朝師匠という […]
2020年10月2日 / 最終更新日 : 2020年10月2日 矢部義徳 演芸 【志ん朝七夜】② 僕が志ん朝を追いかけた15年 僕が初めてナマの志ん朝師匠の高座を聴いたのは、大学2年生のとき。落語研究会で、「酢豆腐」だった。記録を調べると、1985年は5回、志ん朝師匠が出演している。1月「首提灯」3月「居残り佐平次」6月「酢豆腐」8月「三枚起請」 […]
2020年10月1日 / 最終更新日 : 2020年10月1日 矢部義徳 演芸 【志ん朝七夜】① 21世紀をちょっとだけ生きて、逝ってしまった きょう、10月1日は古今亭志ん朝師匠の命日だ。 僕の母は健在で、先月誕生日を迎えて83歳になった。昭和12年9月8日、千住生まれの江戸っ子だ。志ん朝師匠が昭和13年3月8日生まれなので、同学年である。母は青春時代に「若い […]