浪曲定席木馬亭 澤雪絵「十三夜」春野恵子「天狗の女房」玉川奈々福「狸と鵺と甚五郎」

木馬亭の日本浪曲協会九月定席三日目に行きました。

「名槍日本号と黒田節」天中軒かおり・沢村博喜/「甚五郎 京都の巻」港家小蝶次・伊丹けい子/「水戸黄門漫遊記 尼崎の巻」港家小そめ・沢村博喜/「十三夜」澤雪絵・沢村まみ/中入り/「天保水滸伝 繁蔵売り出す」玉川太福・伊丹明/「道元禅師」神田紅希/「名月狸ばやし」花渡家ちとせ・馬越ノリ子/「決戦巌流島」天中軒雲月・沢村博喜

雪絵先生の「十三夜」は樋口一葉原作。師匠の故澤孝子先生がよく演じていらっしゃった演題だ。幸せとは何か…深く考えさせられる。主人公のお関は請われて高級官僚の原田勇の嫁に入った。だが数年が経ち、亭主のパワハラが物凄く、耐えかねて息子の太郎を置いて、実家に帰って来た。偶然、俥夫をしていた幼馴染の緑之助と出会い、この人と夫婦になったらどんなに幸せだったろうと思う…。お関の気持ちがヒシヒシと伝わってきた。

お関の父である斎藤主計は娘に「私、原田の家には帰らぬつもりで参りました」と言われたとき、どんな気持ちだったろう。原田は自分の妻に対し、「無作法だ」「不器量だ」「無教養だ」と罵り、叱るという。そして、「お前の実家が悪いのだ」と責め、「太郎の乳母だと思って置いている。不服なら出ていけ」と不条理極まりないことを言うという。「あの人は鬼でござんす」。

主計は諭す。あの方はモノの道理がわからぬ人ではないはずだ。得てして仕事が出来る人、外では不平不満があってもそれを言わず、だから家に帰ってお前に当たるのだ。離縁したら、太郎は原田のものになってしまう。そのときに太郎恋しいと泣くくらいなら、原田の妻としてお泣きなさい。お前一人が泣くんじゃない。母も泣く、弟の伊之吉も泣く、そしてこの私も泣く。この涙はあの月、十三夜のように光る日が来る。笑う日を皆して待とう。合点がいったら、何もかも肚に収めて今夜は帰れ。素晴らしい了見の父親だ。

そして、原田の家に戻る俥に乗ったお関は、俥夫が幼馴染の緑之助であることに気づく。「緑さん!」「斎藤のお関さん!」。月の灯でお互いの顔を見交わす。煙草屋の倅だった緑之助はお関に「大きくなったらお嫁さんになっておくれ」と言われていた。だが、原田との縁談が決まり、緑之助は家を棄て、親を棄て、行方知らずになっていた。今、こうして俥夫になった緑之助と再会したお関の心中いかばかりか。

お関が鼻紙代だと幾らかの金を渡すと、緑之助は「大事に使います」。「また、煙草屋が持てますように祈っています」。こう言うのが精一杯だったのだろう。さようならと手を挙げて、カラカラと空の俥を曳いて去って行く男の姿を見送るお関。切ない身の定めとはわかっている。青く澄んでいる夜の道を、いつまでも泣きもせずにじっと見つめているお関の胸の内を思うとキュンとなる。

太福先生の「繫蔵売り出す」。銚子の造り酒屋の息子だった繁蔵は、村相撲で大関を張るほどの力自慢だったが、ひょんなことからマムシの勘太を殺めてしまう。江戸相撲の駒ケ岳へ入門すると、三年で十両三枚目まで昇進した。だが、横綱の稲妻雷五郎の弟子の虹ヶ嶽仙右衛門とひと悶着起こし、その遺恨相撲で虹ヶ嶽を相撲の取れない体にしてしまった。そんな経歴から木村屋五郎蔵の身内となって、侠客の世界へ。ライバルとなる飯岡助五郎と出会い、飯岡vs笹川の抗争を描く天保水滸伝の発端として興味深く聴いた。

雲月先生の「決戦巌流島」。龍虎相討つとき、一つは傷つき、一つは死する。十六歳の伊織が宮本武蔵に純粋に投げかける疑問が良い。武蔵殿は小次郎殿に恨みがあるのですか?または小次郎殿が武蔵殿に恨みがあるのですか?では、なぜ決闘をせねばならないのですか。

武士道とは潔く雌雄を決するもの。勝ちたくもないが、負けたくもない。では、何のために戦うのか。それはわしに与えられた運命であろう。伊織は泣きながら、「それはなにやら悲しいものでございますな」。僕もそう思う。

木馬亭の日本浪曲協会九月定席四日目に行きました。

「名槍日本号と黒田節」天中軒かおり・旭ちぐさ/「青年大隈重信の冒険」東家千春・伊丹秀勇/「円蔵恋慕唄」東家三可子・馬越ノリ子/「天狗の女房」春野恵子・旭ちぐさ/中入り/「越後伝吉 一粒万倍」東家孝太郎・沢村まみ/「フジヤマのトビウオ 古橋廣之進」田辺一邑/「野狐三次 親子対面」東家一太郎・東家美/「狸と鵺と甚五郎」玉川奈々福・沢村まみ

かおりさんはきのう前編、きょう後編で完結。前座は持ち時間が15分だから、こういう形で聴かせてくれたのはファンとして嬉しい。母里太兵衛が福島正則に挑発されて、禁酒を破って武士として意地を見せる心意気が良い。黒田節のサビを歌うところもあって、堪能できた。

恵子先生の「天狗の女房」。面白かった。お万という十七歳の女が隣村の庄屋の若旦那に見初められ玉の輿に乗った。だが、その嫁入り行列に天狗が現れ、お万はさらわれてしまった。そして、お万は天狗の女房にさせられた。

9年後。村の猟師・茂作が天狗を鉄砲で撃った。これで若旦那のところにお万を取り戻すことができると思われた。天狗は石鎚山の頂上に戻り、悶えた。380年生きてきた天狗の神通力は羽団扇を谷底に落としてしまい、もはや効かない。お万に「水をくれ」と頼む天狗だが、水瓶は砕いてしまった。お万は高笑いする。天狗が死ぬ。もう、怖くない。生き絶え絶えの哀れな天狗を見て、「やっと自由になれる」と喜び、「わめくがいい。ほざくがいい」。

十七歳で天狗の女房にされ、洞穴に閉じ込められ、辛い惨めな毎日だった。あの峠でさらわれなければ庄屋の若奥様だったはずだ。お万はこれまでの恨みをぶつけるように天狗に言う。天狗は抵抗する。お前に尽くしたつもりだ。欲しいものは何でも盗んでやった。少々乱暴したが、心では大切に思ってきた、と。

自由が欲しければ、自由にしてやろう。金銀財宝を欲しいだけ与えよう。天狗はお万にそう言って、「頼み」を叶えてくれという。洞穴の奥の窪みに薬草がある。それを取ってくれないか。だが、お万は拒む。そんな手に乗るものか。命を延ばすのはお断りだ。さっさと成仏おし。そして、天狗は息絶えた。

翌朝は日本晴れ。お万は若旦那の前に姿を見せた。「万でございます」。ところが、若旦那は「山姥が出た」と逃げてしまった。洞穴から命懸けで出てきたのに情けない。お万は小川で水を飲もうと川面に映った自分の顔を見て驚いた。「これが我が顔か」。それは山姥そのものだった。

人も天狗も通う情けは皆、同じ。天狗を無惨に死なせた怒りがお万を山姥にしてしまった…。哀れ、天狗の女房。愛しい人と再び会うことはできないと泣き沈む。「山姥を撃ち殺せ!」。お万はいまさらながら「天狗さま~」と声を限りに叫ぶがもう遅い。天狗にさらわれ女房にされた女の悲哀が胸に響いた。

一邑先生の「古橋廣之進」。日本水泳界にとって伝説となっている「フジヤマのトビウオ」の一代記として優れていた。小学生時代から日本一となり、県立浜松第二中学、そして日本大学へと進んだ水泳エリートだが、工場で指を挟み、左手中指先を切断したという過去があるのを初めて知った。そういうハンディキャップを克服して世界的な活躍をしたことは素晴らしい。

昭和23年に開催されたロンドン五輪に日本は敗戦国であるために出場できなかった。日本水泳連盟の田畑政治の情熱で水泳競技の同日同時刻に全日本水泳選手権を開催、400メートル自由形決勝で古橋は4分33秒4の世界新記録を樹立して意地を見せた。翌年には国際水泳連盟に加盟が許され、ロサンゼルス大会で400、800、1500メートルの三つの種目で世界新記録。「水泳ニッポン、ここにあり!」の心意気を見せた。終戦間もない日本で国民に勇気を与えた。良い読み物だった。

奈々福先生の「狸と鵺と甚五郎」。宿の主人が物の怪の祟りを祓うために、鵺の木像を彫ってもらう。鵺とは頭が猿、胴が狸、手足が虎、尻尾が蛇という…。50両という金に目が眩んで百姓の与兵衛は自分が甚五郎だと名乗って、娘の身売りを回避したが、もちろん木像を彫れるわけがない。

事情を訊いた江戸の大工の留五郎が与兵衛の身代りを買って出るが、自分とて大工でも鵺など彫れない。だが、この読み物の面白いところは留五郎が狸を助けてあげていたところ。狸の子が母狸の代わりに御礼をしてあげると、鵺に化ける。非常に複雑な作りをしているために、何遍も化け直して、四苦八苦の末に鵺に化けるところが実にユーモラスで面白い。

そして、この読み物が深いのは、狸はすぐに鵺から戻ってしまうが、途中で二度ほど出てきた乞食のような身なりをした爺さんが切り株をノミで見事な鵺を彫り上げる結末。この爺さんが甚五郎なのか…。ユーモラスかつミステリアスなストーリー展開を実に愉しく唸るのは、さすが奈々福先生である。