立川吉笑真打昇進披露興行IN高円寺 初日

「立川吉笑真打昇進披露興行IN高円寺」初日に行きました。
「つる」立川笑二/「初天神」立川志の彦/「黄金の大黒」立川小春志/「洒落小町」立川談慶/スタンダップコメディ 松元ヒロ/「試し酒」立川志の輔/中入り/口上/「イラサリマケー」立川談笑/漫談 街裏ピンク/「一人相撲」立川吉笑
志の輔師匠の口上。自分は寄席に出られる世界に入門したつもりだったが、師匠談志のカバン持ちをしていたら、突然「俺は出る!」と言われ、立川流という組織が出来て、その中で育ててもらうことになった。だから、自分より先輩の人たちは寄席育ちだが、ここにいる談笑などは上納金を払う家元制度の下で修業をすることを覚悟して入門してきた世代だ。家元が亡くなったときに、私は立川流という組織は解散する流れになると思っていた。
そう言って、「談笑さんはどう思いました?」と訊いた。談笑師匠は、立川流としてまとまるべきだと思った、実際去年一般社団法人となって志の輔師匠が代表となり、着実に民主化の道を歩んでいると思いますと答えた。おそらく、これが模範解答なのだと思う。
志の輔師匠は続いて、吉笑について話す。「入門1年半で二ツ目昇進なんて、いくらなんでも無謀だ」と皆が言ったとき、師匠談笑は「責任をもって育てます」と言った。実際、無謀という心配は見事に払拭して、吉笑は非凡な才能を見せたという。二ツ目に昇進して間もなく、「現在落語論」を著した。談志が書いて今も落語家のバイブルになっている「現代落語論」に負けず劣らず、先見の明のある内容に驚かされたそうだ。このスピード出世に何の不安も感じさせないと。
落語立川流が去年一般社団法人になって、最初の真打誕生。現在、立川流には50人を超える噺家がいるが、この状況を見た天国の談志は「驚いている」に違いないと。吉笑は古典と新作を融合させた談笑の継承者として、時代に即した落語を創り続けていくであろうと期待した。
談笑師匠の口上。こういう形(十日間連続で寄席形式)で披露目が出来ることが晴れがましいし、夢のようだと語った。私は吉笑に入門10ヶ月で二ツ目昇進のOKを出した。それを吉笑自身が色々と考えて、1年半で昇進にした。そもそも、立川流の基準は落語50席、歌舞音曲、鳴り物、講釈の修羅場といった条件をクリアすれば二ツ目に昇進とされていた。それを3年以内にクリアしないと、首になるというものだった。
ところが、吉笑の二ツ目昇進を機に、横やりが入り、「前座を3年以上」やらないと二ツ目になれないというルールに変わってしまった。そのために、吉笑の半年後に入門した笑二はそのルールに沿って二ツ目に昇進させた。自分が真打に昇進したときもそうだったが、新しく出てくる者に対してはとかく逆風が強いものだ。でも、この吉笑は真打の実力がありますよね?(客席から大きな拍手)
でも、まさかこんなもの(寄席の雰囲気を再現した客席および舞台)を作るとは…これ、十日間終わったら壊しちゃうの?いっそのこと、買い取っちゃったら?(笑)志の輔師匠がパルコを買い取ったように(笑)。そんな冗談も飛び出す和やかな口上だった。
吉笑師匠の「一人相撲」。得意とする論理的な思考があぶりだす人間の可愛いらしい愚かさが溢れ出す新作だと思う。江戸両国の回向院でおこなわれた相撲を観に行くことのできない大坂の商家の旦那のために、奉公人を派遣して取組を観てもらい、その様子を語ってもらって、相撲を想像してもらおうと番頭は考えたが…。
千秋楽結びの一番、春馬山と豊乃富士の全勝対決。韋駄天の金造がいの一番に帰って来たが、東西の両力士の位置関係は判ったが、ぶつかってからの説明が下手くそで取組の様子がまるで伝わってこない。二番手の熊五郎は旦那に早く伝えなければいけないと必死に走って帰って来たが、膝が痛くなってしまい、まるで取組の記憶が蘇らない。そんなこんなで14人の奉公人が全て全滅。
消息を絶っていた八五郎は箱根の山中で山賊に遭ったと言って、瘦せ細って血だらけになって三か月後に戻って来た。旦那が一縷の望みを託して、取組の様子を訊くと…立行司の木村庄之助が21回息継ぎなしで「のこった」を繰り返し、「春馬山が勝った」。語り口は滑らかなのに、何で行司目線なんだ!
番頭の名案と思った相撲の取り口再現は説明能力の低い奉公人には勤まらなかった。だが、行司の立ち位置が若干真ん中より右寄りだったということだけは全員が記憶していたという…。そこが一番可笑しかった。