ザ・プレミアム文蔵 橘家文蔵「試し酒」、そして田辺いちかの会「葉桜と魔笛」

「ザ・プレミアム文蔵」に行きました。橘家文蔵師匠が「町内の若い衆」と「試し酒」、橘家文吾さんが「高砂や」と「麻のれん」だった。
文蔵師匠の「試し酒」。近江屋の下男、久蔵の「五升と決めった酒を飲んだことがないから判らない」という台詞に、さぞ酒豪なのだろうという推測が表れているのが良い。一升入りの盃で五杯。その一杯目を時間をかけて一息で飲む所作と表情で魅せてくれるのが文蔵師匠の巧みなところだ。
二杯目は「ゆっくり味わう」と言って、饒舌になる。こんな上等な酒を毎晩飲んで、こんな御殿に住んで、余程の悪党に違いない。酒は誰が拵えたか知っているか。唐土の儀狄だ。帝に献上したら、見事だと言いながら「二度と拵えるな。これは人を駄目にする。ひいては国を滅ぼす」と𠮟られた。こんな間尺に合わない話があるか。
三杯目も愉しい。世の中で一番好きなもの?…金だ。貯めた金でそっくり酒を飲むんだ。都々逸は三つ目が好き。水に油を落とせば開く音してつぼまる尻の穴。四つ目も良い。酒は米の水、水戸様は丸に水、意見する奴は向こう見ず。
四杯目は旦那二人が「勝負は下駄を履くまで判らない」と言っているうちに、勢い止まらず、酒が“まとまって”流れ込んでいく様子を客観視しているのが面白い。そして、最後の五杯目は久蔵が「一気にけりをつける」と言って、あっさり飲んでしまう。昭和初期に落語研究家の今村信雄先生が作った新作だが、今は古典の種分けにされていて、綺麗なサゲ含めて良く出来た噺だと思う。
「田辺いちかの会 初夏の巻」に行きました。「応挙の幽霊画」「太郎お伊勢」「葉桜と魔笛」の三席。前講は宝井優星さんで「石川虎次郎 箱根の災難」だった。
「太郎お伊勢」は立川談吉さんの新作落語を講談にしたもの。先週、談吉さんの高座を聴いたばかりだが、談吉さんが描く純愛ファンタジーをいちかさんは巧みに自分の世界に染め上げていて感心した。
わかめ漁師の太郎の優しさに、初めは「人間に捕まると刺身にされてしまう」と恐れていた伊勢海老の人魚、お伊勢が次第に心を許し、毎晩浜辺で逢瀬を重ねるところ。おばあさまは昆布漁師に助けられたことがあり、「海藻を採る漁師に悪い人はいない」という言葉は本当だったと言って、「もっと太郎さんのことが知りたい」と前立腺の話にまで面白がってくれる。二人は惹かれ合って、やがて夫婦になりたいと思うのが素敵だ。
お伊勢の父親である「海の王様」からの、陸で三か月一緒に暮らして気が変わらなければ夫婦になって良い、ただし心変わりしたら太郎はシジミになってしまうという条件を受け入れる。お伊勢は陸に上がると、下半身は二本の綺麗な足になるが、上半身が海老で、「半分しか人間になれない」が、太郎はお伊勢に惚れているから気にならないというのが良い。
三か月が経った約束の日の朝、お伊勢は布団の中で泡を吹いて倒れていた。太郎は海に帰せば助かるかもしれないと、必死に舟を漕いで沖へ出る。海の王様は「娘を諦めるのか」と訊くが、太郎は「お伊勢が死ぬくらいなら、お返しします。命には替えられません。私はシジミになってもいい」。すると、お伊勢は脱皮をして全身人間の姿になった。海の王様は「生涯、添い遂げるのだぞ。それが報いだ」と言って去って行く。太郎の真心が通じて、二人は夫婦になれた。談吉さんの独特な世界観がきちんと素敵な講談に仕上がっていた。
「葉桜と魔笛」は太宰治原作。腎臓結核を患い、十八歳で早逝した妹のことを愛し続け、看取った二歳年上の姉の優しさに心打たれた。妹の枕元に置いてあったMTという差出人名が書かれた妹宛ての手紙…それは姉として考えに考え抜いた末の決断だった。
妹の箪笥の引き出しから見つけた緑のリボンで束ねた手紙30通。リボンを解いて、その手紙を読む。封書の表には実在する妹の友達の名前が差出人になっていたが、中身はすべて貧しい詩人であるMTからの手紙だった。姉は読み進めるうちに、こころがうきうきし、くすくすと笑い、自分の知らない妹の世界が見えてきた。だが、最後の一通を読んで思わず立ち上がってしまった。心だけでなく肉体の関係もあった…。そして、「これまでのことは忘れてしまいましょう」。醜い!と感じた姉は手紙の束を焼いた。隠しておけば、妹は綺麗な少女のままで死んでいける。
妹の枕元にあった手紙を姉が読む。僕はお詫びをしなければならない。すべては僕の自信のなさ。貧しく、無能な僕は何もしてあげられない。言葉でしか愛を証明できない。一日さえ君を忘れたことはない。愛情が深くなればなるほど、別れづらくなる。無力な僕が、せめて言葉だけでも誠実にいたい。タンポポを君に差し出す勇気があれば。逃げません。愛しています。僕は毎日、歌を作る。そして、口笛を吹く。夕方6時に軍艦マーチを吹く。僕たちは神に愛されている。きっと結婚できる。また、明日。MT。
姉が手紙を読み終えると、妹は「私、知っているのよ。ありがとう、姉さん。姉さんが書いたのね」。姉が告白する。妹の苦しみを見かねて、筆跡を真似て、和歌を作り、口笛を吹いたと。すると、妹は「心配しなくていいのよ。緑のリボンの手紙、見たのね。あれは嘘。私、一人で書いて自分宛てに投函していたの。馬鹿にしないで。なんてあさましくて、馬鹿なんだろう…男の人と関係を持つどころか、話したことなどもなかった。間違っていた。死ぬなんて嫌だ…」。
姉は妹を抱きしめる。「怖いやろ。悲しいやろ。恥ずかしいやろ」。すると、外から軍艦マーチの口笛が聞こえた。時計を見ると、夕方6時。葉桜の奥に耳を澄ます。「神様はいたんだわ」。そして、妹は三日後に死んだ。神様の思し召しだったのか。
今は年を取り、信仰は薄らいだ。口笛は父の仕業だったのか。一世一代の狂言だったのか。父が亡くなって15年。父が生きていたら訊いてみたかった。
いちかさんの高座にポットライトが当たり、姉の独白という形で進められた胸が締め付けられる物語。これもまた講談。文芸講談。田辺いちかという講談師が新しい分野にどんどん裾野を広げて講談という演芸の可能性にチャレンジしているのが、とても眩しく見える。来年秋の真打昇進は一つの通過点に過ぎないのだろう。僕はこれからも田辺いちかの高座をできるかぎり追いかけていきたい。