新宿講談会 宝井琴凌「加賀騒動 浅尾の蛇攻め」神田春陽「天保水滸伝 三浦屋孫次郎の義侠」

新宿講談会昼席に行きました。

「臆病彌八郎」田辺一記/「夫婦餅」神田伊織/「金子みすゞ伝」一龍斎春水/中入り/「安藤帯刀 鉄砲献上」田辺凌鶴/「加賀騒動 浅尾の蛇攻め」宝井琴凌

琴凌先生の「浅尾の蛇攻め」は二十数話ある「加賀騒動」の最終話。「最終話というのは大概つまらないものです」とおっしゃっていたが、いやいやそんなことはなかった。興味深く聴いた。加賀藩前田家の御家乗っ取りを狙う大槻伝蔵は藩主・前田吉徳の愛妾であるお貞の方と不義密通を働き、産まれた清之助に跡目を継がせようという策略を企てた。その全貌がこの最終話で暴かれる面白さがある。

お貞の方は出家して林松院となったが、その側近の浅尾局に暗躍させて前田家直系の人物を殺害する。その計画が明らかになったのは、浅尾局の小間使いをしていたおたけの亭主で足軽の新六の手柄だ。新六は六歳の息子、新之助を連れて浅尾局の見舞いに行って帰った際に、新之助が握っていた書付を読み取った。そこには「ふたきよりせんび」とあり、二度の働きを褒め、三度目の働きを期待する、という内容だった。ふたきは二つの木、つまり林で林松院。せんびは浅尾の音読みだ。つまり、お貞の方が浅尾局に宛てた書付であり、二度の働きというのは五代藩主の吉徳と六代藩主の宗辰を殺したことを意味し、三度目の働きは嫡男の孫三郎殺害を命じるものであり、これが成功すれば浅尾局に三千石、甥の亀之助に千石を与えると書いてあることを解読したのだ。

新六はすぐさま、金沢に向けて出立。前田家の主人格にあたる織田大炊信勝に直訴した。前田家家臣の横山山城守が茶坊主に浅尾局の動きを監視し、逐一報告するように命じる。すると、8月15日の月見の宴で浅尾局が湯釜に毒を混入した現場を目撃した。関係者は召し捕りとなる。亀之助と林松院は罪を認めたが、大槻伝蔵と浅尾局は否認する。そこで、大槻と浅尾は枠牢に閉じ込めた。それでも否認する浅尾を桶の中に入れて、そこに何十匹もの蛇を入れ、それでも動じない浅尾の桶に焼酎を入れた。浅尾は唸り声をあげ、口から血を吐いて、息絶えたという。

大槻伝蔵は自害、その妻と息子の千之助も自害。林松院ことお貞の方、および息子の清之助も自害。そして、新六には五百石が加増された。「加賀騒動」は抜き読みで読まれることはあるが、この「浅尾の蛇攻め」もほとんど掛かることはない。琴凌先生がこの長い読み物を整理して連続読みで掛けてくれると面白いなあと思った。

新宿講談会夜席に行きました。

「木村又蔵 鎧の着逃げ」一龍斎貞昌/「水戸黄門漫遊記 百姓の御意見」田辺凌々/「谷風の情け相撲」神田ようかん/中入り/「天保水滸伝 潮来の遊び」神田春陽/中入り/「名刀捨丸由来」田辺凌天/「天保水滸伝 三浦屋孫次郎の義侠」神田春陽

春陽先生の「三浦孫次郎の義侠」に「天保水滸伝」の魅力が集約されているように感じた。飯岡助五郎は自分よりも十八も年下の笹川繁蔵を馬鹿にしていたし、邪魔に思っていた。十手取縄を任された岡引きでもあった飯岡だが、侠客としての人間的な魅力は繁蔵の方に軍配があがるのではないか。もちろん、史実に基づいてはいるが、かなり脚色されたフィクションであることは百も承知だが。

飯岡一家に殴り込みをかけられた笹川繁蔵は凶状持ちとして上方に旅に出た。三年旅をしたが、故郷忘れ難しで戻って来る。まず訪ねたのが飯岡のところというのがいかにも侠客らしい。スケはいるか?三年前の八月六日、預けていったものを、そのうち取りにくるからと伝えてくれ。置いていった“笠の台”だよ。スケの白髪っ首、よく首を洗って待っていろとな。

繁蔵の十一屋は飯岡に奪われていた縄張りを取り返す。そして、繫蔵は子分の竹蔵を連れて、大山詣りに行き、そのついでに鎌倉、江ノ島を廻って帰ってくる。篠宮の権太のところに寄り、竹蔵を先に帰した。竹蔵は須賀山村の名主・多左衛門に会い、大山詣りの帰りで、親分は権太のところにいることを話す。

これが良くなかった。多左衛門は成田甚蔵と三浦屋孫次郎という飯岡の身内二人にこのことを密告。百橋の榎の木の後ろに隠れて、竹槍を持って繁蔵を待ち伏せした。権太は「危ないから泊まっていけばいい」と繫蔵に言うが断るので、「では、送りましょう」と言うが、繫蔵は「大丈夫だ」と拒む。独りで須賀山村の風に当たってふらっかと歩いていた。

そこを甚蔵が竹槍で繫蔵の右脇腹を突く。さらに孫次郎が馬乗りになって、首を刎ねた。二人は繫蔵の首を持って、飯岡の親分のところへ。飯岡は「海に捨てて、魚の餌にしちまえ!」と言って、繫蔵の首を蹴飛ばした。すると…三浦屋孫次郎は飯岡にもの申す。「この首は頂戴してもよろしいでしょうか…そして、きょう限り、親分子分の縁を切らせてくれ…情けない。死にゃあ仏だ。武田勝頼を家康が討ったとき、家康は涙を流して首を洗ったという。あなたも涙のひとつも流せば、男があがったのに…魚の餌?人間の言葉じゃない。この首は十一屋に届ける」。

十一屋に着いた孫次郎は迎えた清滝の佐吉に頭を下げる。「申し訳ございません。とんでもないことをしでかしました」と言って、繫蔵の首を討った一部始終を物語る。そして、「手向かいはしません」と言って、その首を差し出す。すると、佐吉は「このおさまりは私がつけてもよろしいですか」と笹川の子分たちに断りを入れて、こう言う。

「確かに腹が立つ。だが、この三浦屋は独りでやって来た。いい度胸だ。勘弁してやろう。憎いのは飯岡助五郎だ。とっとと出ていきやがれ!」。これを聞いて、孫次郎は髷を切る。「捨てた命が拾われた…これからは繁蔵の菩提を弔う」。侠客の世界を離れ、出家という道を選んだ三浦屋孫次郎に漢気を見た気がした。