月例三三独演 柳家三三「名人長二」(六)

月例三三独演に行きました。柳家三三師匠が「船徳」と「名人長二」(六)の二席、開口一番は柳家小太郎さんで「家見舞」だった。
「名人長二」の第六話。筒井和泉守はお白州に美濃屋茂二作・お由の夫婦を呼び出す。茂二作は亀甲屋の先の主人である半右衛門のところに30年以上前から奉公、お由も半右衛門にお柳が嫁いできた年だから29年前に奉公し、その後独立して稲荷町に移り住んだ。
お由が言うには、お柳は嫁いだ年の四月に懐妊、翌年の正月に男の子を出産した。幸兵衛は仕立屋職人として亀甲屋に気に入られ、頻繁に出入りしていた。お柳は乳の出が悪いので、里の八王子で子育てをしたが、間もなく男の子は亡くなってしまった。このとき、茂二作はお柳に同伴していた。和泉守が「お前一人しかいなかったのか」と問うと、茂二作が「はい」と答えたが、つかさず和泉守が「幸兵衛もいたろう」と追及する。調べはついていたのだ。それも幸兵衛は先廻りして八王子で待っていた。
なぜ、幸兵衛がお柳のいる八王子に行ったのか。茂二作によれば、お柳は金貸しをしていて、証文を書いたり、取り立てをしたりするのに幸兵衛が手伝いをしていて、信用されていたのだという。「では、なぜ深い仲になったのか?」と和泉守がさらに真相に迫るが、茂二作は「そんなことはない」と否定した。お柳が八王子から江戸へ戻るときも、幸兵衛を伴っていたことは調べがついている。だが、お白州はここで終わった。
茂二作とお由の二人は稲荷町の自宅に帰る。厳しい和泉守の追及には参ったとこぼしながらも、「幸兵衛とお柳の仲」についてはよく知らないということにしようと示し合わせた。そこへ訪ねる者がいる。鍼医の岩村玄石だった。美濃屋とは旧知の仲だったが、故郷の越中高岡に戻っていた玄石は食うに困る暮らしで、その上火事に遭い、江戸に再び戻ったという。頼りにしていた亀甲屋を訪ねると、幸兵衛・お柳夫婦は殺されたと聞いた。お由が「出入りの指物職人に金目当てで殺された」と説明する。
玄石が亀甲屋が充てにならないならば、美濃屋に頼るしかない、金を融通してほしいと頭を下げる。手元不如意だとお由は断るが、「私に義理があるはず」と聞かない。そこへ茂二作が現れ、草鞋銭だと言って二分を渡す。だが、それでは満足しない玄石。「いかほどあれば?」と問うと、「百両ばかり」という答えだ。
私に義理があるだろう。元のことを忘れたのか。半右衛門に恩がありながら、幸兵衛をお柳の間男にとりもったのは誰だ?お柳が口止め料として払った金を元に高利貸しができるのは誰のお陰だ?迫る玄石に、茂二作が「強請りか」と言うと、玄石は「お前らこそ、人殺しの提灯持ちではないか」。半右衛門が病に倒れたとき、お柳に頼まれて百両を貰い、鍼を打って殺してくれと頼んだのはお前たちだろう。
ここまでの口論を聞いていた美濃屋の軒下で古本屋と古道具屋の大道商人に身をやつしてした御用聞きの金太郎と繁蔵が「御用だ!」と乗り込んだ。岩村玄石は花柳界で幇間医者をしていて、半右衛門に気に入られ、そしてお柳にも気に入られた。玄石は半右衛門に治療と称して鍼を打ち、あの世へ葬ったのだった。
お柳と幸兵衛の密通をとりもったのが茂二作とお由で、その後ろめたさから下谷稲荷町に移り住み、その二階をお柳と幸兵衛の密会の場所として提供していたこともわかった。お柳が産み落とした男の子は半之助と名付けられ、亡くなっていなかった。半右衛門の一人息子だから、お柳と幸兵衛が夫婦になるためには邪魔なので、湯河原に捨て子をしたのだった。すなわち、半之助とは長二のことなのだ。
長二は幸兵衛殺害に関して、実の父である半右衛門の仇討として青差し十貫文の褒美をもらうことになり、さらに亀甲屋の跡取りになるように和泉守から言い渡された。だが、亀甲屋の手代の万助は「お柳は長二の実の母であり、親殺しの罪は免れないのではないか」と抗議する。すると、和泉守は「この裁きは奉行の一存で決められなかった。上様(将軍の家斉)にお伺いを立てた」という。家斉は林大学に意見を求めた。その結果、お柳は半右衛門に不義を働いた時点で、離縁に等しい関係になった、それゆえにお柳もまた長二にとって仇であるという沙汰が出されたという。
万助はこの和泉守の裁きに深く頷き、承知した。そして、長二を新しい亀甲屋の主人として迎え、忠義を尽くすことを誓う。だが、一本気の長二は「配慮はありがたいが、二人を殺めたことは事実であり、重き咎めを」と訴える。すると、和泉守は言う。「その一刻が良い仕事をするのであろう。だが、己を貫き通せば良いというものではない。人にはそれぞれ思いというものがある。皆がお前が助かってほしいと願っていた。人は他人の思いを汲めば、変わることができる」。これで長二は納得した。
茂二作、お由、玄石は本来なら死罪となるところだが、遠島という裁きになった。そして何よりめでたいのは、「女房は持たない」と言っていた長二が坂倉屋の一人娘のお島と夫婦になったことだ。お島は「商人と職人では身分が違う」と遠慮していたが、長二が亀甲屋主人になることで承諾。長二も和泉守から「他人の思いを汲む」大切さを教えられて、妻を娶る決心をしたという。
6ヶ月にわたる「名人長二」の大団円。三遊亭圓朝の名作に酔った。