アナザーストーリーズ やなせたかし~アンパンマンがヒーローになった日~

NHK―BSで「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 やなせたかし~アンパンマンがヒーローになった日~」を観ました。現在、やなせたかし先生をモデルにした朝ドラ「あんぱん」が放送中である。やなせ先生は54歳のときに出した絵本をきっかけに売れた遅咲きの作家だが、そこには確固たる信念があったことがよくわかる番組だった。

「アンパンマン」が世に出たのは実は3回あったというのを初めて知った。まず、1969年に雑誌「PHP」に大人向けの短編メルヘンとして書かれた。そして、1973年にキンダーおはなしえほんシリーズとして幼児向けに出版された。その後、1975年に雑誌「詩とメルヘン」にもう一度大人向け長編メルヘンとして「怪傑アンパンマン」が書かれた。どれも世界観、タッチが違う。テレビアニメ化もされ、現在も愛されている「アンパンマン」は勿論、73年の幼児向けであるが、やなせの中には大人向けメルヘンへの思いが強かったのではないかと思う。

小太りのおじさんが戦争で荒廃した土地に飛んで行き、子どもたちにアンパンを配る。だが、おじさんは高射砲陣地から迎撃されてしまう。時はベトナム戦争の最中、領空侵犯ということで攻撃されるのだ。そこには、正義の銃弾はかえって正義そのものに命中したかもしれないという、やなせのメッセージがこめられていたのだ。

やなせは22歳のときに徴兵され、小倉の野戦重砲隊の一員として日中戦争に出兵する。正義の戦いと教えられていたが、それは侵略という悪であったと後に知る。やなせはこう書いている。

子供の時から忠臣愛国の思想で育てられ、天皇は神で、日本の戦争は聖戦で、正義の戦いと言われれば、その通りと思っていた。しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。

やなせは弟の千尋を戦争で失っている。「なにが壮烈。なにが戦闘。弟は戦場へ向かう輸送船ごとなにもせずに撃沈されたのだ」。丸顔だった弟とアンパンマンが似ているというのは偶然ではないだろう。

目の前に飢え死にしそうな人がいたら、パンを半分あげるのが正義だ。アンパンマンが自分の頭を削って、助けてあげるという発想はそこに原点があるのだろう。自分だけが生き残った。申し訳ない。やなせは戦争のことを話さなかったが、最晩年に語らなくてはいけないと思うようになったという。以下、やなせの言葉だ。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。私たちは現在、ほんとうに困っていることといえば、物価高や公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。

アンパンマンにとって欠かせない存在がライバルのばいきんまんだ。このキャラクターは1976年に「怪傑アンパンマン」のミュージカルを上演したときに、やなせが何かが足りないと感じて、創造された。食べ物を腐らせて、人々に腹痛をおこさせるキャラクター。アンパンマンが善なら、ばいきんまんは悪という位置づけである。

1988年に「アンパンマン」がアニメ化されるにあたって、演出の永近昭典は「大人には理解できない」と不可解だったという。やなせはアニメ化に対し、要望書にこう書いている。

ばいきんまんのキャラクターを強くかつアンパンマンに匹敵するようなユニークなキャラクターとして設定してほしい。

悪役でありながら、どこか憎めない、抜けているようなところがある。決して相手を滅ぼしはしない。ドキンちゃんのいる家に帰してあげる。共存し、お互いに強くなっていくキャラクターとして、ばいきんまんを描いたのだ。寂しがり屋で、心優しく、かまわれたい。そのキャラクターはやなせたかしそのものだったのかもしれない。やなせはバイキンの歌を書いている。

目に見えないバイキンだから、ほんのみじめなくらしだが、人間だっておんなじさ、この世にわいてきえていく、ああなんといういじらしさ、けんかなんかよそう、仲よくしよう、どうせおれたちバイキンだもの

やなせの最終編集者だった平松利津子はやなせの熱狂的なファンだった。13歳で「詩とメルヘン」に掲載されたやなせの詩に感激し、いずれはこの人の本を作る人になりたいと思い、手紙をやなせに送り続け、やなせも返事を書くという交流が続いた。そして、「詩とメルヘン」の出版をしているサンリオに入社する。だが、やなせとの接点のないまま、出産を機に退社。子育てが終わって、朝日学生新聞社に再就職したときに、ようやくやなせと仕事をする機会を得た。

そのとき、やなせたかしは91歳。平松の依頼に、「私はもう死んでしまうからわからない」とやなせは言ったが、やがて「原稿ができたから取りにきなさい」と連絡をくれた。それは虹が描かれた、まさにやなせワールドというべき作品であった。

そして、2013年の東日本大震災。平松の故郷である陸前高田市の奇跡の一本松を残すことに力を貸してほしいとやなせにお願いした。やなせは「アンパンマンが一つの町を応援することはできない。やなせが君を応援することならできる」と言って、一千万円を寄付してくれた。実にやなせらしいやり方である。

だが、一本松を残すためには一億五千万円が必要だった。やなせがその全額を寄付することも出来たが、「それでは僕の松になってしまう」と言って、絵と物語で支援をしてくれた。そのお陰で目標額を超える寄付が集まった。今、奇跡の一本松は東日本大震災の被災者にとって祈りを捧げる場所になった。

正義のヒーロー、アンパンマンはやなせたかしそれ自身と言ってもいいだろう。だが、やなせはそれをよしとはしないことも想像に難くない。本当の正義とは何か。そのことを考えさせてくれる良い番組だった。