立川吉笑真打昇進披露パーティー

帝国ホテル孔雀の間でおこなわれた立川吉笑真打昇進披露パーティーに出席しました。
開宴11時、司会は立川晴の輔師匠と元文化放送アナウンサーの西川あやのさん。きょうの主役である吉笑が師匠談笑とともに入場、談笑師匠が挨拶をした。
真打昇進は東京の落語家にとって人気獲得の最大のブースター、兎に角派手にしなさいと言った。吉笑は骨惜しみをしないのが素晴らしいところで、噺家というのはぞろっぺいが多い中、「自分がやらなければいけない」と行動に出ることが得意な人間で、北海道まで行って談春師匠に出演をお願いしたり、深夜に3時間も志の輔師匠と話し込んだり…精力的だ、と。一番羨ましいのは「師匠が優しいこと」。自分が真打昇進のときには師匠談志に直前に「俺は行かない」と言われ、慌てて談志の等身大のパネルを拵えた、と苦労を語る。落語界を引っ張っていく存在になってほしいと期待した。
祝辞は松井孝治京都市長。現在の吉笑師匠こと人羅真樹少年はリトルリーグで技巧派のピッチャーとして活躍。市立堀川高校では当時の英語の教師の話によると、教室で漫才をするユニークな生徒で、数学が得意だったそう。それが現在の新作落語にも生きていると賞賛した。京都市のある式典で、吉笑さんに「ぷるぷる」を演じてもらったところ、客席はお年寄りばっかりだったので、会場が凍りついたとか。でも、京都市民の落語の啓蒙に一役買ってくれていると感謝した。
鏡開きは静岡の高嶋酒造の白隠正宗。乾杯の音頭を立川志の輔師匠が取った。立川流43年の歴史の中で、昨年落語立川流は「宗教法人から一般社団法人」になりましたと笑わせ、その第一号の真打誕生の慶事と喜んだ。60年前に師匠談志が「現代落語論」を著してベストセラーになった、その50年後に吉笑は「現在落語論」を入門早々にして執筆して、その才を世間に知らしめた。さらに8年後に談笑が「令和版現代落語論」を出版、「よほど悔しかったのでしょう」と言った後、「サブタイトルが私を落語に連れてってと聞いて目まいがしました」。
この乾杯には二つの意味がある。一つは当然吉笑真打昇進を祝うこと。そして、もう一つは7年間の禁酒を破る、アルコール解禁を祝うものだ、と。ここで吉笑に飲んでもらいましょう!と言って、樽酒から掬った枡に入った日本酒を勧めた。実はアルコール解禁の儀式はパーティーの後半に予定されていたのだが、志の輔師匠の勧めとあって、会場の出席者とともに吉笑師匠はここで禁酒を解いたのだった。志の輔師匠は「7年間の禁酒にはよほどの理由があったのでしょう」と含みを残して、パーティー後半への興味へと繋いだのは流石である。
サプライズゲストは俳優の東出昌大さん。「山の中から出てきました」と笑わせた後、自分は志ん生師匠の落語を聴いて落語に目覚めた、志ん朝師匠が父志ん生に「役者になりたい」と言ったとき、志ん生は「強次、役者は舞台の色々な人の力を借りないと演じることができない。だが、落語は扇子と手拭いがあれば一人で出来る。噺家になれ」と言ったというエピソードを引き合いに出して、いかに落語が素晴らしい芸能であるかを訴えた。吉笑さんの真打トライアルを拝見して、どれだけの研鑽を重ねてきたのだろうと感心し、吉笑さんの高座を生で観られる幸せを感じたと絶賛した。
余興として吉笑がこだわった一つとして、高円寺の阿波踊りがあった。吉笑師匠は前座、二ツ目初期に高円寺に住んでいて、自分の原点はここにあると思っている。24日からはじまる10日間の真打昇進披露興行も座・高円寺で開催される。賑やかな踊りと演奏で大いに盛り上がった。
そして、いよいよ禁酒を破るセレモニーだ。実に2586日。吉笑師匠いわく、師匠に言われたのではなく、自発的におこなったものだと言った後、その経緯のVTRが会場の大きなスクリーンに映し出された。
飲み仲間だった小痴楽師匠が語る。「飲んだ瞬間に人が変わる。成金について、あなたたちは徒党を組まないと何も出来ないのかと絡んでくる。あなたは本を出したことがあるのかと自慢してくる」。吉笑師匠がインタビューに答えている。「自分に対して頑張れと思っていることが、お前らも頑張れと広がってしまう」。
TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のディレクターと酒を飲みながら打ち合わせをしていた。「リスナーのことも考えて話して頂けると」という注文に、「僕は僕のスタイルでやりたいのだ」と反発し、「じゃあ、やらなくていいです」「じゃあ、やりません」と決裂してしまった。芸人の間だけでなく、仕事先にまで影響するのは、今考えると良くなかったと反省していると吉笑師匠。
決定的なことが起きたのが、2018年5月10日。酔って帰る吉笑さんが自転車に乗るというので、友人は止めた。だが、「こけたら自己責任や。俺はこけない!」と言って自転車に乗った。結果、右足首骨折。ソーゾーシーのメンバーにも「酒をやめた方がいい」と言われ、これを機会に禁酒した。売れるまで飲みません。そこから芸が上向きになり、数々の賞を受賞することになる。
吉笑師匠は振り返る。今は飲まなくて平気になった。これからは「いい酒」を飲む。あんな風にはならない。小痴楽師匠は「酒を飲むと人間的な可愛らしさが出る。これからも愉しく飲みましょう」。
VTRが終わると、司会の晴の輔師匠が吉笑師匠に「お酒に謝りなさい」。そして、アルコール解禁の儀式。「ビールがいいですね。アサヒのスーパードライ」。舞台には談笑一門が上がった。笑二さんいわく、「酔って師匠に『もっと稽古した方がいい』と言った」。談洲さんいわく、「禁酒して、どれだけ弟弟子はホッとしたか。これで前座仕事を頑張れると思った」。談笑師匠が「道端に札を撒いていたって本当?」と訊くと、笑二さんが「小銭が重いと言って、捨てて歩くんです。それを後輩が拾っていった」。
最後に真打となった吉笑師匠が挨拶。7年ぶりに禁酒を破った。この7年は大事な7年だった。稽古する時間、モノを考える時間ができた。禁酒して良かった。先輩たちの酒の誘いを断る心苦しさも同時にあったことは事実。油断すると「自分は一人だ」と思ってしまう。だが、このようなパーティーが出来たのは、一人では出来ない、先輩後輩のサポートがあればこそ。感謝したい。そして、落語立川流を引っ張っていけるような落語家になりたい。
三本締めは高田文夫先生だ。「フジテレビの港浩一です」とギャグを飛ばし、「イタリアの小咄にもあるように、師匠選びも芸のうち」。「3時間にわたる吉笑の茶番にお付き合いいただきありがとうございました、VTRは『呑兵衛と私』というザ・ノンフィクションだったな」。頓智の効いた笑いに包んだ愛のある総括で会場全体が一つになった。素敵な真打昇進披露パーティーだった。