兼好・萬橘二人会 三遊亭萬橘「庖丁」、そして春風亭一之輔のドッサりまわるぜ「意地くらべ」

兼好・萬橘二人会に行きました。三遊亭兼好師匠は「たがや」と「粗忽長屋」、三遊亭萬橘師匠は「悋気の独楽」と「庖丁」、開口一番は三遊亭けろよんさんで「孝行糖」だった。

萬橘師匠の「庖丁」が良かった。寅という人物を、自分は何も考えず自主的に動かない、他人に言われた通りに行動するのが得意な人間という風に描いているのが面白いと思った。だから、江戸を出て甲府に何となく行ったが、成功もせずにまた江戸に舞い戻ってきたという設定も納得がいく。

久次は清元の師匠といい仲になり、暮らしの面倒を見てもらって羽振りが良いのだが、別に若い女が自分にトンときていて、今のかみさんとは別れたいと考える身勝手な男だ。旧知の寅と再会し、「儲け仕事に半口乗らないか」と誘う。かみさんのところに行って、袖を引いてくれないか、つまり口説いてくてないかという相談。その現場に久次が出刃包丁を持って乗り込み、「間男見つけた」と言って、かみさんを田舎の芸者として叩き売るというあくどい魂胆だ。

寅は素直だ。カァーと飲んで、ワァーと食って、ピャーと唄って。ソーと近づいて、ツーと袖を引く。一升瓶の酒を買って持っていけ、ハゼの佃煮は茶箪笥の上から二段目にある、キュウリのこうこはお勝手の三枚目の上げ蓋を開ければある。久次の言われた通りにやればいいのかと罪悪感なく実行してしまうのは、頭のネジがちょっと緩んでいるからなのだろう。

おかみさんが何もないと言うのに、自分がぶら提げてきた酒を湯呑に注いで、「自分で出します」と言って、佃煮やこうこを持ってきて、それを肴に飲む寅。唄えと言われたので、♬八重一重を口ずさむ。山もおぼろに薄化粧、娘盛りはよい桜花、逢うてなまなかあと悔やむ、恥ずかしいではないかいなあ。何度もおかみさんの袖を引くが、その度にぶたれる。「お願いだから、袖だけ引かせてもらえませんか?そうしたら、久次兄が庖丁を持って飛び込んでくるから」。

おかみさんが「袖を引くって、女を口説けっていうことなんじゃないの?」と訊くと、寅が「そんなこと、無理、無理!」。そして、久次が間男騒動をネタに田舎の芸者として売り飛ばして儲けた金を山分けする作戦を洗いざらい話してしまう。

おかみさんは「畜生!悔しい!」と言って、「寅さん、力を貸してくれませんか。私の亭主になって!あなたのような裏表のない人と一緒になりたい。いい男は懲り懲り、殴られても、殴られても、丈夫な人がいい…あなたは何も考えなくていい。私の言う通りにすればいい」。大逆転である。間抜けな寅が漁夫の利を得る。家を覗いた久次が「さすが、やれと言ったことはできる男だ」と感心するのが皮肉で可笑しい。

おかみさんが乗り込んで来た久次に対し、「三年前の恩を忘れたのかい!脇にいい女をこしらえて、私を田舎の芸者に売り飛ばそうなんて!出ていけ!」と言って、久次の着物を脱がして、寅の着ていたボロを着せ、塩を撒いて、「消えろ!」と追い払う。狡賢い久次をやりこめ、何も企まないのんびりした正直者の寅を亭主に据えるのは正解だと思う。

「春風亭一之輔のドッサりまわるぜ2025」に行きました。「黄金の大黒」「三年目」「意地くらべ」の三席。開口一番は三遊亭萬都さんで「元犬」だった。

「三年目」。夫婦になって2年で、病で床に就いてしまったお梅は懸命に看病してくれている夫に感謝しながらも、自分が先が長くないこと悟り、「死んでも死にきれない」思いの理由を夫に明かす。それは自分が死んだら、あなたは跡取り息子ゆえ、親類に勧められて後添えを持つことになるだろう、他の女の人と夫婦になることが悔しい、と。いじらしいお梅が愛おしい。

夫は自分はお前以外にかみさんは持たない、万が一持ったら婚礼の晩に幽霊となって出てきてくれれば、新しいおかみさんは怖がって逃げてしまうだろうと約束する。それを聞いてお梅は安心したのか、コロッと亡くなる。実際、親類らに押し切られる形で後添えを持つが、婚礼の晩に出てくるはずのお梅の幽霊が出てこない。いくら待っても出てこない。半年で夫は諦めてしまい、後妻を可愛がることにして、女の子も生まれた…。夫としても最大限の誠意を前妻のために尽くしたと思う。

だが、三年目。法事を済ました夫の枕元にお梅の幽霊が現れる。「恨めしい」と言うが、夫だって言い分がある。何を言っているんだ!私はお前をずっと待っていたよ。でも、いつまでたっても出てこないじゃないか。あの約束を忘れたのか。今更出てこられても困るじゃないか。恨めしいと言われる筋合いはない。理屈では尤もである。だが、そこには女心という深い事情があったというのが、この噺の味噌だ。弔いをしたときに頭を丸められてしまった、このまま出たらあなたに嫌われると思って…。このいじらしさに胸がキュンとなる。惚れる、惚れられるは理屈じゃない。そんなことを教えてくれる噺である。

「意地くらべ」。登場人物が皆、強情で一本気というのが素敵な噺だ。八五郎は隠居から50円を借りた。隠居は「貸してほしい」と言い出す前に八五郎のぼんやりした顔を見て、何も言わずに50円を貸してくれた。ある時払いの催促なし。暇なときに遊んでいる金があったら返してくれ。この隠居の気持ちに応えたいと、八五郎は「一カ月後に必ず返す」と自分の心に誓った。

だが、返す金は出来なかった。そこで下駄屋の旦那に事情を話して50円を借りて、自分の誓いを守ろうとした。旦那はそんな一本気の八五郎を応援したいと町内の一本気な連中からかき集めて50円を拵え、八五郎に渡す。一本気繋がりなところがいい。

ところが、八五郎が隠居に50円を返しに行くと、隠居は怒る。「楽になったら返してくれと言ったよな?今、楽なのか?」「厳しいです」。下駄屋の旦那が拵えてくれたと聞いて、尚更怒る。「他人に借りてまで返してくれと言ったか?そんなことまでして返してほしくない。持って帰れ!」。隠居も強情で一本気である。

下駄屋の旦那のところに舞い戻ると、八五郎はここでも怒られる。どういう経緯で借りた50円なのか、言わなかったことに腹を立てている。「俺も受け取れない。返して来い!」。おかみさんが「無尽で当たった」と言えばいい、「堪っていた借金も店賃も全部返して、楽な体になった」と言えばいい、「嘘も方便よ。行くのよ!」。おかみさんも一本気だ。

八五郎は再び隠居を訪ね、最初はおかみさんに言われた通りの嘘をつくが、途中で自分の流儀に反することが許せず、「嘘だい!出鱈目だい!」。そして、隠居が自分の顔を見て何も言わずに50円を貸してくれたときに、一カ月後に必ず返そうと自分に約束した、でもそれができない、自分に嘘をついているようで悔しい!と隠居に洗いざらいぶつける。「今度受け取ってもらわないと、隠居の顔も旦那の顔も潰してしまう、そこを曲げて受け取ってください!」。

これを聞いた隠居は「できない約束をするな…何勝手なことを…それはお前の了見だろう…お前が受け取れと言うものを…誰が…受け取る…よ!」。「そういう話は大好きだ、もっと早くに話してくれ、これで受け取らないで男と言えるか?そうだろ?」。一本気が一本気を受け入れ、強情が強情を認めた美しい瞬間である。

隠居は「一カ月」に拘ったのが可笑しい。「お前に50円貸したのは今月の一日だったろう…きょうは晦日だ。あと一日経ったら受け取る。明日の午後に来い」。八五郎は「じゃあ、ずっとここにいる」、隠居は「50円を前にして座っていろ」。「望むところだ!」「大好きだ!「気持ちいいね」。一本気通しの意気投合。牛鍋を囲んで一杯やりながら、二人の関係はより深い絆になったことだろう。