朝枝の会 春風亭朝枝「稽古屋」、喬太郎・文蔵二人会 柳家喬太郎「錦木検校」

「朝枝の会~音曲噺の世界」に行きました。春風亭朝枝さんが「真田小僧」(通し)「稽古屋」(ネタおろし)「幾代餅」の三席。開口一番は三遊亭東村山さんで「転失気」だった。

「稽古屋」。ミーちゃんが娘道成寺の稽古をしている間に、八五郎がミーちゃんの焼き芋を食べちゃったり、鉄瓶の蓋を取って立ち小便したときに濡れたという草履を乾かしたりして笑える。娘道成寺の同じ部分が何度も演奏され、師匠がミーちゃんの踊りの所作を見守りながら指導する雰囲気がとても良い。音曲噺の魅力だろう。

「女をこしらえたい」という動機で稽古に来た八五郎、清元の喜撰を何度教わってやっても、節が調子っぱずれで手に負えないのも愉しいが、宿題に出された「すり鉢」を屋根の上で稽古して、「煙が立つー、煙が立つー」を繰り返して騒動となり、「海山越えてー」のサゲまでしっかりと演じたのも良かった。

「幾代餅」。絵草紙屋の錦絵に描かれた姿海老屋の幾代太夫に一目惚れしてしまう純真な清蔵だからこそ、会いたい一心で一年間働きに働いて13両2分貯めることができたのだろう。大名道具でも金を出せば買えると“嘘も方便”とばかりに励ました親方の気持ちもよくわかる。薮井竹庵先生の尽力でその夢を叶えてあげられた。搗き米屋六右衛門の職人皆が万歳三唱をして吉原に送り出すというのも温かいではないか。

実際に幾代太夫に会うことが出来た清蔵は「野田の醤油問屋の若旦那」という嘘を貫くことが出来なかった。「一年経って、また金が貯まったら会いにきます。一年働かないと金が貯まらないのです。私は日本橋馬喰町三丁目、搗き米屋六右衛門のところの職人です」と正直に話す。「一年一生懸命に働くので、また会ってください」。幾代太夫はこの純真に惚れる。来年三月に年季が明けるので、あちきのような者でも女房はんにしてくんなますか。後日の証拠にと、香箱の蓋と五十両を渡された清蔵はそれこそ夢心地だったろう。

あまりくどく演じずに、さらりと清蔵の誠意と純朴を表現するだけで、「ああ、これは幾代太夫が惚れるかもしれない」と思わせる説得力がある高座だった。

新宿末廣亭余一会「喬太郎・文蔵二人会」に行きました。

「饅頭怖い」柳家ひろ馬/「磯の鮑」橘家文吾/「すなっくらんどぞめき」柳家喬太郎/「青菜」橘家文蔵/中入り/対談 文蔵・喬太郎/「スナックヒヤシンス」橘家文蔵/漫才 米粒写経/「錦木検校」柳家喬太郎

喬太郎師匠の「錦木検校」。グッときた。酒井雅楽守の次男、角三郎は父親と反りが合わず、疎んじられ、大塚の下屋敷に住まわせられ、家臣同様の扱いを受けることになる。ここで普通だったら自棄をおこしても仕方のないところだが、角三郎は実に腹の大きな男で、自由気ままな暮らしを面白いではないかと思い、寧ろ楽しんでいるというのが素晴らしい。

そこで出会った流しの按摩、錦木。角三郎が「汚づくりの錦だな」とからかったが、錦木は生まれもっての盲目ゆえ、父親が「せめて心には錦を着て、いじけずに一本の木のように真っ直ぐ育ってほしい」と名付けたけれど、名前負けしていますねと返すと、素直に角三郎は自分の非礼を詫びるところから二人の関係性が生まれるのが良い。按摩としての腕があり、かつ話が面白い錦木を角三郎は気に入り、毎夜通ってもらう。一カ月もすると、10年来の親友のようになったという表現が素敵だ。

ある日、錦木が学者先生の講義を廊下で障子越しに聞いた「大名になる骨組み」と角三郎の骨組みが一致することに気づき、「角三郎様はお身内の方ですか。それとも、ご家中の方ですか」と問う。角三郎は「家中、家来だ」と答えると、「家臣が大名になることがあるのでしょうか」。「泰平の御世にそのようなことはない」と答える角三郎に、「あなたは大名になる骨組みだ。学者先生が嘘を言ったことになる」と錦木は困惑した。

角三郎は喜ぶ。そうか。ありがとう。世辞でも嬉しい。万に一つ、わしが大名になることはないが、もし大名になったら、お前を検校にしてやる。錦木も喜んだ。

暫くして、錦木が風邪が悪化して寝込んでしまった。看病に来た同じ長屋の源兵衛に対し、錦木が弱音を吐く。生まれついての盲目なので、不自由に感じることはなかった。見えるということが判らないから、五感のうちの一感を失い、四感で暮すことができた。だが、今度ばかりは駄目だ。死んでしまおうかと思ったが、死ねない。勘が狂って、首も括れないのだ。目が見えないことが、こんなに情けないとは思ってもみなかった。

源兵衛が励ます。酒井雅楽守様が隠居するにあたって、新しい大名を誰にするかとなった。長男の与五郎様は病気がち、そこで長女に婿を迎えるかとなったが、次男の角三郎がいるではないかという意見が出て、角三郎様が雅楽守様となった。それまではバカ殿と呼ばれていたが、そんなことはない、下々の気持ちが判る、先代よりも名君だと評判になっている。人間、諦めちゃいけない。

この話を聞いた錦木は「俺、検校だよ!検校になっちまうよ!」と叫び、杖を頼りに酒井家屋敷を訪ねる。「新しいお殿様に会わせてください」。角三郎時代から世話係をしていた中村吉兵衛の取り計らいで、目通りが叶う。

「按摩錦木、よう参った。噂を聞き、祝いに参ったか。顔を見せろ」「場違いなところに来てしまい、ご勘弁ください。眩しくて、後光が差して、元々ない目が瞑れそうです」「錦木、大名になったよ。お前が大名にしてくれた。お前は名人だ」。

雅楽守が言う。わしは心の底では父を憎んでいたのかもしれない。大名になる骨組みだったとしても、あのままでは大名にはなれなかった。お前が心の凝りを綺麗さっぱりほぐしてくれた。お前が大名にしてくれたのだ。

錦木が「もったいないことです」と言うと、「お前と約束したな」。「忘れました。約束などしていません。お屋敷を汚してすみませんでした。失礼します」と言う錦木に雅楽守が大きな声で叫ぶ。「わしは約束を覚えておる。ここにおる按摩錦木、きょう只今より検校である」。そして続ける。「顔を上げろ。胸を張って歩け。錦木!」。だが、錦木は事切れていた。

最後の雅楽守の言葉が胸に響く。馬鹿!お前はわしを人でなし、情け知らずにするつもりか!これからもわしには大変なことが沢山あるのだ。心が凝ることも多いだろう。その凝りをほぐしてもらいたかったのだ。わしを大名にするだけして、逝ってしまうとは…。

他の噺家の「三味線栗毛」とは一線を画す、ドラマチックな演出と筋立てに喬太郎落語の真骨頂を見た高座だった。