新宿末廣亭三月下席 笑福亭羽光「私小説落語 落語編」

新宿末廣亭三月下席千秋楽夜の部に行きました。今席は笑福亭羽光師匠が主任を勤める興行。初日からのネタは①教科書の主人公②ニューシネマパラダイス~マイフレンド③土橋萬歳④偽物落語家⑤天神山⑥鴻池の犬⑦らくだ⑧おもんない菌⑨落語家変身譚。そして、きょうは「私小説落語 落語編」だった。

「手紙無筆」桂しゅう治/「たらちね」昔昔亭昇/和妻 きょうこ/「湯水の行水」松林伯知/「本膳」三遊亭朝橘/コント コント青年団/「徂徠豆腐」(上)笑福亭里光/「徂徠豆腐」(下)日向ひまわり/漫談 ねづっち/「皿屋敷」三遊亭円丸/中入り/「あたま山」立川笑二/「太郎さんの汽車」坂本頼光/「堀の内」昔昔亭A太郎/「湯屋番」三遊亭小笑/ハッポー芸 できたくん/「私小説落語 落語編」笑福亭羽光

羽光師匠の「私小説落語 落語編」。ご自身の現在こうして噺家の真打になるまでの辛く険しかった道のりを淡々と語るのを聴いているうちに、とても切ない気持ちになったけれど、最終的に希望に満ち溢れた形で終わって、涙を禁じえなかった。

中村好夫は昭和47年9月24日、大阪府高槻市に生れた。友人らとお笑いユニット、爆裂Qを結成して東京に進出した。テレビ朝日のバラエティー番組「虎の門」に出演するも、品川庄司らに圧倒されて芽が出なかった。NHKの爆笑オンエアバトルにも6回挑戦したが、1回もオンエアする権利を得ることは出来なかった。また、漫画原作者としても活動し、週刊ヤングジャンプに連載されるも、1年半で打ち切り。単行本は2巻まで出たが売れなかった。ひたすらバイトで生活費を稼ぐ日々…。

自分はいったい何をしているのか?鬱状態になったとき、図書館で借りた円生や米朝の落語CDを聴いて穏やかに眠りにつくことだけが心の支えだったという。夢の中で好夫は落語の世界にまぎれこみ、隠居を訪ねる。自分は駄目な人間ではないか…隠居は好夫の相談に耳を傾け、こう答える。「お前は十分戦っている」。落語が精神を安定させてくれた。

好夫は寄席に通うようになり、34歳で笑福亭鶴光に入門を志願する。2007年4月のことだ。一発で入門は認められた。「手紙無筆」を教わり、太鼓の叩き方、着物の畳み方の基礎を学んで、6月に楽屋入り。末廣亭だった。楽屋は夢に出てきた隠居の部屋そっくりだった。

最初は高座返しとお茶出し。師匠たちの名前を覚えようと必死で重宝帳に顔の特徴などをメモした。その大事な重宝帳を失くしてしまったときがあって、小円右師匠が「これはお前のじゃないか」と渡してくれた。(住所や電話番号など個人情報が載っているので、ナンバリングしてある)。その重宝帳の小円右師匠の欄には「老人」とメモがしてあり、「皆、老人だろう」と突っ込まれたそうだ。

着物を畳むのも、太鼓を叩くのも下手くそで駄目な前座だった。でも、昼席の前座仕事が終わって、外を見たら、夕焼けがとても綺麗だった。きょうもよく働いた。ここに僕の居場所がある。毎日、仕事がある。「良い一日だった」と晴れやかな気持ちになっている自分がいたという。

久しぶりに落語のCDを聴いて眠ったら、落語の世界にまぎれこんだ。以前に出会った隠居が待っていた。「笑福亭羽光さんだね」。最初に会ったときは「中村好夫くんだね」と言っていた。自分が噺家になったことを知っているのだ。羽光は同期仲間と「ねじ廻し」というユニットを組んで活動しようとしていて、「私小説落語」というものを創作しようと考えている最中だった。

羽光は隠居に訊く。落語とは何か。隠居が答える。「お前の中にあるもの全てだよ。誰もの心の中にある懐かしい原風景だ…過去が今のお前を作っている。過去を否定してはいけない。過去は受け入れるものだ。辛いこと、悲しいこと、すべてが必要なものなんだ。自分の力でやってみろ。しんどかったら、戦わずに逃げてくればいい。落語は平等に受け入れてくれるよ」。

笑福亭羽光にまた朝が訪れた。「また、一日がはじまる。まだ売れていない芸人かもしれないが、これでも何とか生きている。そうだ。きょうという一日を大切に、一生懸命に生きよう」。

前向きに生きる希望を与えてくれた「落語」に感謝している羽光師匠の熱い思いが伝わってくる。素敵な高座だった。