桂二葉独演会「打飼盗人」「近日息子」

桂二葉独演会に行きました。「東の旅~発端」「打飼盗人」「近日息子」の三席。前座は三遊亭けろよんさんで「転失気」だった。

「打飼盗人」は東京の「置き泥」。泥棒よりも泥棒に入られた男の方が沈着冷静である可笑しさが存分に出ていた。「二尺八寸、だてには刺さぬ」とドスをちらつかせても、物怖じせずに「俺は職人だから判る。これ、二尺に足りないな」。泥棒が煙草を吸うと、金無垢の煙管を褒めて、「俺にも一服よんでもらえわへんか」と煙草を貰い、「世の中不景気で就職難というが、お前たちはいいな。入ったところが職場だもんな」。

悪い友達に誘われて、博奕にはまり、すっからかんだという男は「へてな」という接続語を多用して、どんどん金を泥棒先生に逆に要求していくのが、とても可笑しい。道具箱を質から請け出すのに10円、メリヤスのシャツとパッチ姿では警察に怪しまれると言って5円、さらに質屋には利子を払わなければならないと言って2円。泥棒は男が真人間になるという気持ちに感じ入って、どんどんと恵んでしまう。「おおきに」「えらいすんません」「助かります」と御礼を言った後に、「へてな」という魔の言葉…。東京言葉の「それでね」というニュアンスだろう。

三日何も食べていないので米五合のお金、家賃が二つ溜まっている…とうとう、泥棒の財布を空にしてしまう。凄んでたかるのではなく、下手に出て同情を買うやり口のうまさ。どっちが泥棒かわからない可笑しさ。泥棒は「お前と所帯を持つわけじゃない」と言いながら、ついつい恵んでしまう逆転の面白さを目一杯に表現した愉しい高座だった。

「近日息子」。陰で「あほさく」「ぬけさく」と呼ばれている息子・作治郎が父親から“先繰り機転”を教わり、父親が「腹がゴロゴロする」と言っただけで、医者に往診を頼んだり、寺に坊さんを呼びに行ったり、挙句は葬儀屋から棺桶を運んでくる…その可笑しさがこの噺の身上だと思っていたが、大間違いだった。

「あそこの親父が死んだらしい」と近所の人たちが集まっているところに、“自分の間違いを素直に認めないおっさん”を登場させる面白さが抜群だ。間違った言葉の使い方をするおっさんに間違いを指摘するが、一言も間違いを認めずに「知らん」と言うので、「知らん?知らんなら言いたろか!」と応酬するやりとりが実に可笑しい。

病名は「イチコロ」に「それはトンコレラでトンコロや」。鰻屋で「ネマキ二人前」に「ウマキや!」「ぬくいものには違いない」。「植木一鉢一円二十銭?ちゃんちゃらおかしい」に「ふーん、天婦羅食べたい」。「熱が出たならピタパ貼ったか?」「それはヒエピタ!」「普段はイコカだけど」。洋食屋でビフカツ頼んで、「ホース持って来て!」「ソースや!」。それでカレーライス食べていたおばちゃんの頭にホースから出る水が直撃して、頭のお団子が取れたら、“まるきの黒パン”を代わりにのっけて、「ソースもホースも一緒や。どっちみち、焼けたものにかける」。夫婦喧嘩の仲裁をしてくれたけど、「お互い長い間、同じ屋根の上で暮らしているんだから…って、猫じゃない!」。

二葉さんの身の回りにはこういう絶対に自分の間違いを認めて素直に謝らないおっさんが沢山いる、それはおばちゃんよりもおっさんに多いという見解が面白かった。