神田伯山新春連続読み 清水次郎長伝(上)

「神田伯山新春連続読み 清水次郎長伝」に行きました。

初日の中入り前は前講で神田梅之丞さんが「出世の春駒」、神田伯山先生がお楽しみとして「谷風の情け相撲」と「淀五郎」を読んだ。中入り後からが「清水次郎長伝」連続読みの始まりだ。

第一話「次郎長の生い立ち」は、後年の次郎長を彷彿とさせる。特に養父・山本次郎八に対する孝行ぶりに目を見張る。清水の漁師の息子として生まれた長五郎は、母方の叔父である米屋の山本次郎八の養子となる。米屋の良き息子として働いていたが、さらに自分の商才を磨きたいと江戸へ出て修行することを次郎八に願い出るも却下されてしまう。だが、諦めきれずに店から三百両を盗んで家出をして江戸へ向かう途中、三島の岡場所の女郎屋で次郎八に見つかってしまう。次郎八は「一人前になるまでは勘当」と長五郎に言って、十両を渡して立ち去る…。そのときの恩を次郎長は忘れていなかった。

山本屋の商いが左前になったとき、店に山のような米俵が届いた。荷主を長五郎。博奕で儲けた金で買った米だと言い、これをただ同然で困っている庶民に分けたら、山本屋の名はあがるという考えだ。さらに長五郎と仲の悪かった次郎八の後妻のお直に50両を渡して、父との離縁を迫る。お直は実は博奕打ちのじん吉と間男していて、店の金も誤魔化していたことを長五郎はお見通しだったのだ。お直を追い出し、次郎八は山本屋の経営を“次郎長”こと長五郎に任せることができた。早くも次郎長の裁量が見え隠れする生い立ちである。

第二話「心中奈良屋」も次郎長の信用によって心中しようとしていた若い男女を救い、男をあげていく様子が爽快だ。次郎長がある老僧に「早くて一年、遅くても三年の死相」だと言われたのをきっかけに、それならば米屋ではなく博奕打ちとして過ごそうと思い切った。そのとき、女房のお蝶もそれに賛同しているのがすごい。

博奕の帰りに川へ身投げしようとしている男女を次郎長は止める。女は顔見知りで、四つ目屋の女郎お米だった。男は呉服屋奈良屋の丁稚の幸助、お米に入れ込み、100両もの店の金を使い込んでしまったのだ。幸い、四つ目屋の主人、和田島太左衛門は次郎長が父同様に慕う大親分。次郎長がよく話をすると太左衛門は理解を示し、幸助との仲を認め、お米の証文を巻いてやる。奈良屋主人もよほど次郎長に説得力があったのか、100両の金の返済を条件に独立を許すのだ。次郎長の人間力に感服する。

次郎長に余命を告げた老僧が再び現れ、次郎長の死相が消えているという。それは人の命を救ったからだという…。面白い。

二日目。第三話は「法印大五郎」。次郎長は様々な人間と巡り会い、人間ドラマを繰り広げていく。そこが面白いと思った。子分たちが博奕をしていたところを邪魔立てしたボロボロの身なりの男、法印大五郎を救ってやったことが思わぬことを知るきっかけとなる。大五郎は二千人の子分を持つ甲州の竹居安五郎の許にいたが、その親分に腹を立て、出てきたのだという。

自分の兄弟分の神沢の小五郎が「女房が間男している。現場を押さえたい」というので手伝った。だが、その間男が何と安五郎。安五郎が言うには、この女はおみつと言って、興津の魚屋佐太郎の女房だったのを小五郎が間男し、亭主を斬って逃げてきたのだった。

これを聞いて驚いたのは次郎長だ。次郎長の姉のおまつが嫁いだ先が佐太郎で、その間に増川仙右衛門という子が生まれ、これが次郎長の甥っ子に当たるわけだが、おまつが早逝して、佐太郎が後添えに迎えたのがおみつだった。仙右衛門が仇討の相手である小五郎の行方を探していたのだ。何という巡り合わせか。

第四話「秋葉の火祭り」。次郎長の貫禄がますますあがる様子が実に興味深い。甥の仙右衛門が父・佐太郎の仇である小五郎を討つ、十月の秋葉の火祭りの当日を迎える。

法印大五郎は神沢の小五郎を訪ね、安五郎親分との取り持ちをお願いしたいと持ち掛けて、人気のない原っぱに連れてくる。待ち構えていた次郎長と仙右衛門。次郎長は召し捕り状を持って仇討を名乗ると、仙右衛門が小五郎に打ち掛かる。小五郎の剣術はなかなかな腕のため、仙右衛門がてこずると、大五郎が助太刀して、何とか止めを刺した。冷静なのは次郎長で、「出過ぎた助太刀だ」と叱るのは流石だ。

次郎長はおみつを救出するため、竹居安五郎の泊まる宿へ。ぞんざいな扱いをする安五郎に対し、小五郎を斬ったと伝え、おみつを引き渡せと見事な啖呵を切る。この騒ぎを聞きつけた津向文吉と大和田(見附)友蔵は「次郎長に筋がある」と安五郎に詫びろと諭すが、安五郎は納得せず、激怒して、津向と大和田の二人と縁を切る。これを機会に二人は次郎長と兄弟盃を交わす。おみつは奉行所へ突き出すことに。

中入り後は「興津河原の間違い」を第五話(上)と第六話(下)に分けての口演だ。ここでも、次郎長の信用によって、つまらない誤解で多くの犠牲者が出ることを食い止めたという意味で大きな働きをしているのが面白い。

次郎長が実の父親のように慕う和田島太左衛門と津向文吉が喧嘩になるという噂が立つ。文吉が興津河原へ来いと喧嘩状を叩きつけたという。次郎長は事情を伺いに、太左衛門宅へ行って訊いてみると太左衛門自身「文吉という男には会ったこともない。全く身に覚えがない」と言う。「この喧嘩、私に預からせてください」と次郎長は言って、興津河原へ向かう。

興津河原で待機していた文吉は、次郎長が「親父と兄弟の喧嘩を放っておけない」と下手に出て訳を聞きたがるので、その訳を話し出す。

地元の百姓の一人娘が祝言の日取りも決まっていたのに、年貢米を金に換えて男と逃げた。その男から娘を取り返してほしいと頼まれた。その男とは政右衛門。文吉の子分だった。居場所を探すと、和田島太左衛門のところにいることが判り、事情を記した手紙を届けた。すると、「政右衛門は俺の身内。腕ずくでも取ってみろ」との返事。堪忍袋の緒が切れた…。

その手紙を見た次郎長はすぐにその筆跡が太左衛門のものではないことがはっきりと分かった。達筆な太左衛門がこんな下手な字を書くわけがない。これは政右衛門が書いたのだと察した。文吉は早とちりを詫び、あとは次郎長に託す。

次郎長は太左衛門宅へ戻る。胸を撫で下ろす太左衛門。そして、二階にいる身内で政右衛門らしき人物を見つけ、問い質すと、政右衛門は脱走した。百姓の一人娘は無事に文吉の許に帰すことができた。

文吉は改めて太左衛門に詫びを入れ、伯父と甥の間柄となった。これも次郎長の才覚によるものである。この一件以来、清水次郎長の名は全国に知れ渡るようになったという。なるほど!

三日目。第七話「小政の生い立ち」。この浜松での少年・政吉との出会いも次郎長の優しさが溢れている。森の石松を伴に連れてのお伊勢参りの帰り道、博奕の真似事が達者な十二歳の政吉が目の前にいるのが次郎長親分だと知ると、「どうか子分にしてくれ」と頼み込む。

真っ当に生きろと諭す次郎長に対し、政吉は「博奕が好きだから子分になりたいんじゃない。病気の母親を安心させるためなんだ」と必死に訴える姿に胸が打たれる。父親は飲む、買う、打つの三道楽を好き放題やって家族に迷惑をかけて死んでいった。女手一つで育ててくれた母親が病に倒れ、自分が亡くなった後が心配だと言うから、「次郎長の子分になる」と言ったら安心してくれたんだという。

次郎吉は「もしおっかさんが万が一のことがあったら、頼って来なさい」と言って、薬代を渡して別れたが、間もなく政吉の母は亡くなり、清水へ。次郎長は政吉を堅気に育てるつもりだったが、政吉は博奕打ちの道を選び、小政と名乗った。人望ある次郎長の許に優秀な人材が集まるのも人徳だろう。

第八話「羽黒の勘六」は独立して読んでも成立する。伯山先生はこの清水次郎長伝を基本的に神田愛山先生から教わっている。師匠の神田松鯉先生は次郎長伝は読みないが、この「羽黒の勘六」だけはお持ちになっていてよく掛ける。そのため、この第八話に限っては松鯉先生から付けてもらったのだそうだ。

役人の追われる黒駒勝蔵は、元兄弟分だった大和田友蔵を頼ろうと見附の宿にやってきたが、十手を預かる身としては逃がすわけにいかない。「来たら召し捕る」と噂を広めた。勝蔵は怒り、友蔵の身内を斬り、喧嘩状を叩きつける。天竜川を挟んで睨み合いが続き、友蔵に助太刀を頼まれた次郎長も子分に見張りをさせた。

次郎長の子分である大瀬半五郎と桶屋の鬼吉に怪しい坊主が近づいた。次郎長を騙し討ちにする計略を聞き及んだので伝えたいという。次郎長だけに伝えたい、人払いをと言う坊主だが、「子分とは一心同体」と断ると、坊主は突然次郎長に襲い掛かった。だが、逆に次郎長は坊主を取り押さえてしまう。その度胸に感服した坊主は「黒駒に頼まれた」と明かした。彼の名は羽黒の勘六。奥州甚子、沓掛時次郎とともに旅人三羽烏と呼ばれる男だ。黒駒への義理を返そうとしたのだという。次郎長はその義侠心を買い、身内にならないかと誘うが、勘六はそれを断り、また旅へ出る…。その姿もカッコイイ。

中入り後は第九話「小川の勝五郎の義侠」。次郎長、お蝶、石松の旅。名古屋手前で次郎長とお蝶夫婦は風邪をこじらせ、金も使い果たす。困り果てた様子を見たのが、汚い身なりをした貧乏暮らしの小川勝五郎。以前、次郎長が世話をしたことがある。勝五郎は茶箪笥や仏壇を売り払い、貧乏ながらも次郎長夫婦の手当てをする。次郎長は回復したが、お蝶の病状は悪化するばかり。

これまでは次郎長の名前を借りずに金策していたが、これからは使ってもよいかと次郎長に打診し、承諾を得ると石松と二人で作戦を立てる。金策の相手は保下田久六。昔、八尾嶽惣七という四股名の力士だったが、興行が上手くいかなくなったときに、次郎長やお蝶から援助してもらった大恩がある。今では妹が土地の代官の妻となり、自分も十手持ちとなっている。久六へ頼みに行こうとしたが…。

第十話「お蝶の焼香場」。久六の冷淡に呆れ返る。任侠の世界にあるまじき人物だと思う。勝五郎と石松が久六宅を訪ねるが、けんもほろろなのである。「次郎長なんて犬畜生だ」と言い放つ有り様。石松は我慢ならず、大喧嘩になるところ、勝五郎が止めて、去る。

その帰り道、深見長兵衛と出会った勝五郎は、久六との一部始終を話す。長兵衛は自分の身内が世話になった御礼をしたかったと、次郎長の世話を申し出る。ありがたくそれを受け入れた次郎長だが、手厚い介抱の甲斐もなく、お蝶は翌年元日にこの世を去ってしまった。

本葬は蓮光寺で二十一日と決まり、次郎長と長兵衛の連名で伝達、三千両もの香典が集まった。そして、全国から錚々たる名前の親分衆が参列した。だが、親類代表の武蔵屋周太郎が「本来、真っ先に駆けつけるべき久六と弟分の常滑兵太郎がいない」と怒りを露わにする。石松が久六家での一件を報告し、次郎長は「以前筋の通らない喧嘩の助太刀を断ったことを恨んでいるのだろう」と推察した。すると、親分衆は「久六との付き合いは断つ」と口を揃えた。

このことを聞いた久六は反省するどころか、代官と結託して長兵衛を水牢にて責め殺した。後に次郎長は石松らを従え、その仇を討ったという。

清水次郎長がいかに人徳のあった人物だったかが、このエピソードもよく判る。