カラーで蘇る三代目金馬「藪入り」
NHK―Eテレで「カラーで蘇る三代目金馬」を観ました。
古今亭志ん生に続き、「カラーで蘇る」シリーズ第2弾だ。アーカイブにあるモノクロ映像をAI技術を駆使してカラー化するというもので、実に画期的だ。三代目金馬の口演映像はこの「藪入り」一席だけといくこともあり、貴重なものを観ることができた。
三代目三遊亭金馬は明治27年生まれ。昭和39年に70歳で亡くなっている。はっきりとしたわかりやすい口調、声色を使った巧みな演じ分けは子どもから大人まで親しみやすい高座で人気を博した。僕は亡くなった昭和39年生まれだから、勿論ナマの高座は拝見していないが、多くの音源が遺されていて、小学生の僕でも大いに楽しめた。「居酒屋」「孝行糖」「目黒のさんま」などはレコードが擦り切れるくらい聴いた。
よく志ん生、文楽を名人と言って、金馬を外す例が数多くあるが、人気と言う点ではラジオ番組に引っ張り凧で二人を凌ぐものがあった。それはおそらく、その口跡の鮮やかさだろう。番組の中で、昭和15年の納涼小噺座談会(志ん生、三代目柳好、四代目小さん、野村無名庵らと出演)の写真、放送演芸会「のんき法廷」(四代目柳亭痴楽と出演)の写真、それに圓生との打ち合わせ風景の写真などが紹介されていた。志ん生や圓生とのリレー落語も人気だったという。
昭和31年に放送文化賞を受賞。そのときの短いスピーチが紹介されていた。「いたずらっ子が一日、留守番を言い遣って、何も壊さなかったといって、ご褒美を頂いているようです」。実に軽妙洒脱な金馬らしいコメントである。
今回の「藪入り」は昭和36年1月13日に銀座ヤマハホールで開かれた第19回東京落語会での収録である。プログラムは以下の通り。
「雑俳」春風亭柳好(四代目)/「三人吉三」三遊亭円右(三代目)/「大師の杵」桂文治(九代目)/「宿屋の仇討」林家正蔵(八代目)/「おかめ団子」古今亭志ん生(五代目)/「稽古屋」桂小文治(二代目)/「藪入り」三遊亭金馬(三代目)
「藪入り」は三代目金馬が小咄から一席モノに仕上げた噺で、十八番である。昭和29年に総武線の列車に撥ねられ、左足を切断した後なので、椅子に座っての高座だ。
鳩ぽっぽを歌ったり、「お化け、こわい、こわい」をしたり、子どもに心を奪われている父親を描写したマクラから親しみが溢れる。そして“奉公”という制度について、学問ができる立派な人より何も知らない苦労した人だと言うのがとても良い。三年は“里心がつく”と言って宿りが許されなかった、それがようやく三年が経って、息子の亀が帰ってくるという前の晩の父親の興奮がよく描けている。藪入りや何にも言わず泣き笑い。
寿司、天婦羅、鰻、あれもこれも食わせたいと言う父親が「そんなに食べさせたら食傷してしまうよ」と女房に突っ込まれる。亀を連れて歩きたいと、最初は赤坂、梅島、本所と言っているうちに願望が広がり、川崎、静岡、名古屋、伊勢、京大坂、讃岐にまで達すると、女房が「何日かかって行くんだい?」「明日一日だよ!」。父親は奉公を経験しているから「お店では好きな物が食べられない。子どもが好きなものを知っているのは俺たちだけだ」という愛情がある。「お冷になってもいいから、温っかい飯を食わせてやれ」はけだし名言だ。
亀吉がやがて訪ねて来る。「めっきりお寒くなりました…お父さんもお母さんもお変わりがありませんで何よりです」と立派な挨拶のできる子どもに育った姿を見て、父親は声が出ない。「ご親切にありがとうございます。ご遠方よりご苦労様です」という言葉しか出ないが、本当に嬉しかったのだろう。
「野郎、大きくなったろうな」「目の前にいるじゃないか」「涙があとからあとから出てきて見えないんだ」というのも泣かせる。亀吉が自分の小遣いで買ってきたというお菓子を受け取り、「神棚にあげておけ。あとで、近所にうちの息子の御供物ですと言って配ろう」というのもあながち冗談じゃない。亀吉に湯に行けと言って、外に出ると「納豆屋、どいてやってくれ。うちの子どもが湯に行くんだ」というのも、この日ばかりは許してあげようではないか。
亀吉が脱いだ着物から財布が出てきて、中に五円札が三枚も入っていることに両親は驚き、そして「まさか、泥棒でもしてはいないか…」と疑い深くなるのも親なればこそか。湯から帰ってきた亀吉に向かい、「どこから盗んだ!」とこれまでとは違う父親の顔を見せる。ビックリした亀吉が訳を訊くと、財布の中を見たという。「することが野卑でいけない」。つい言ってはいけない言葉を口走ってしまう。
そして泣き叫ぶ。「鼠の懸賞で当たったんだあ。お店のご主人がお前のところも苦しいだろうから、持っていって喜ばせてやれと言われたんだい!」。それで一安心である。一家に平穏が戻って来る。「主人を大事にしないといけないよ、チューのお蔭だから」。耳にタコが出来るほど聴き慣れた金馬の「藪入り」だが、こうやってカラー映像で観られる日が来るとは。感慨も一入だ。