成城のいちか 田辺いちか「火消しと男爵」、そして師走の萬橘 三遊亭萬橘「お直し」

せたがや演芸サミット2024「成城のいちか」に行きました。田辺いちかさんは「火消しと男爵」と「鉄砲のお熊」の二席。前講は一龍斎貞太さんで「笹野名槍伝 海賊退治」だった。

「火消しと男爵」。昭和7年のロサンゼルスオリンピックの馬術競技でアメリカの強豪チェンバレンを破って、金メダルに輝いた陸軍中尉の西竹一。バロン西の愛称で呼ばれた国民的ヒーローと、江戸の町火消の心意気を持つ消防団の山口松次郎の心の交流が素敵だ。

その昭和7年の12月に起きた日本橋白木屋の火災。松次郎は消防団員として奮闘したが、日本初の高層建築火災は死者14名を出した。その現場を通り掛かった大日本帝国陸軍第16連隊の軍人たちは我が物顔で消防団に道を譲るように命令したが、松次郎は抵抗。すると、将校である西竹一が「ご苦労であった。これからも消防に励んでくれ」と労いの言葉を掛け、その場を収めた。消防団員が分署に戻ると、「一献献上 山口松次郎殿 西竹一」と書かれた酒樽が祝儀として贈られていた…。松次郎は西の心意気に感じ入ったことであろう。

やがて太平洋戦争が始まる。西は馬事公苑で愛馬のウラヌスに別れを告げ、昭和20年に硫黄島に連隊長として上陸する。すると、「西の旦那!」と呼ぶ声が。徴兵された松次郎であった。3倍以上の兵力のあるアメリカ軍に突撃しなければならない。松次郎は手榴弾とともに鳶口を手にしていた。火消しとして死にたいという思いである。それを認めた西もまた、馬術の鞭を手に持っていた。大日本帝国軍人としての誇りを失わず、だが自分の一番大切なものも忘れずに戦うという共通の思いが、西と松次郎の間にあったのだと思う。

「鉄砲のお熊」。月影村で幼馴染だった時次郎は歌舞伎役者の中村夢之丞に、おみつは女相撲の大関“鉄砲のお熊”になって再会を果たす。と同時にガキ大将だった長吉はマムシの権蔵として山賊に成り下がっていた。

時次郎を人質にして百両を要求する長吉に対し、おみつは果敢に挑む。天狗岩の先端にある土俵で、おみつは長吉を投げ飛ばし、海の藻屑にしてしまう。幼い頃から思い合っていた時次郎とおみつの気持ちはここで一つになったと思ったが…。

時次郎が「もう、おみつなしでは生きていけない。私の女房になっておくれ。役者だって辞めても構わない。役者なんて所詮水もの、血筋のない自分はいつ突き落とされるかヒヤヒヤしているんだ。腹の探り合い、駆け引き、そんな世界にはいたくない。心底、役者なんてどうでもいい」と弱音を吐いたとき、おみつは物凄い剣幕で𠮟りつける。

馬鹿野郎!当代一とか、名人とか、ちやほやされて初心を忘れている半端モノに用はないよ。私は知っている。真冬の月灯の下、必死に踊りの稽古をしていた時次郎を。舞台に立ちたい、痛くても辛くても、死んでも構わない。そういう気持ちで役者を目指したんじゃないのかい。私もそれを励みに稽古を重ねたんだ。半端な男にはなびかないよ。

これを聞いた時次郎はハッとする。「私が間違っていた。目が覚めた。私は中村夢之丞。舞台一筋に精進します」。横綱を目指すというおみつに対し、自分は幕が上がれば舞台を離れられない、鉄砲のお熊の土俵入りが見られない、どうかここで見せておくれと頼む。おみつは時次郎の熱い思いに応え、夢之丞の口上で、村人たちに見守れながら、土俵入りをしてみせる。三遊亭白鳥作品がいちかさんの見事な口跡によって、素敵な人情噺に仕上がった。

夜も、せたがや演芸サミット2024「師走の萬橘」に行きました。三遊亭萬橘師匠が「お直し」を演じ、中入りを挟んで席亭の和田尚久さんとの対談があった。開口一番は桂伸都さんで「饅頭怖い」だった。

「お直し」は今年、五街道雲助師匠に習って、ネタおろししたばかりの噺だそうだ。この噺は良いなあと思うポイントが幾つもある。

まず、ご法度とされる若い衆と花魁が深い仲になってしまうところだ。花魁が毎日のようにお茶を挽いて落ち込んでいると、若い衆が優しい言葉を掛けてやり、励ます。うどんを半分にして一緒に食べる。この優しさに惚れてしまう花魁は仕方ないと思う。さらに、この二人の仲を知った主人は「他の連中に示しがつかない」と言いながらも、証文を巻いてやり、二人を夫婦にして、引き続き働くように差配してあげる。これも優しさだ。勿論、花魁は花魁に戻れるわけではなく、遣り手とよばれる客と花魁の間を取り持つ“おばさん”になるわけだが。

次に思うのは、女はしっかりしているのに、男はだらしないというところだ。女は新しい仕事にやりがいを見つけ、今まで以上によく働く。ところが、男は懐が少しでも温かくなると、気を緩めてしまう。岡場所である千住に居続けしたり、博奕に手を出してハマってしまったり、店を頻繁に休んでしまう。女房も最後は言い訳が利かなくなり、店を首になる。元の黙阿弥だ。

最後の手段として、蹴転(けころ)をやろうと亭主は言い出す。線香1本で200文、それを女郎の手練手管で時間を引き延ばして稼ごうというもの。そのためには、色めいたことを言わないといけない。「お前さんは焼き餅妬いていちゃいけないんだ。間髪入れずに、直してもらいなよ!と言うんだ。歯ぎしりしていちゃ駄目だよ。できるかい?」。女房の方がよく判っている。やると決めたら、覚悟ができる。亭主も「できるよ」は言ったが…。

実際、職人風情の男を引っ張り込んだ。女房は早速、仕事にかかる。「冷たい手だね、浮気していたんじゃないのかい?もう離さないよ」「いい女だな。どうせ金で売られたんだろう」「30両なんだよ」「おっ、30両あれば、俺の女房になってくれるのか?」「勿論だよ」「嘘ついてないだろうな」「私は嘘をついたことがない。嘘のつき方がわからないんだ」「思っていることの逆を言えばいいんだ」「そうかい…私、お前さんのこと嫌いだよ!」「おお!金は明後日に支度して持ってくるよ」「お金が入ると悪さをするんじゃないかい?博奕とか…」「俺は博奕はやらない。博奕をやる奴はバカだ」「たまには喧嘩もしたいね。仲が良いほど、喧嘩するというよ。私、お前さんになら、殴られても、半殺しにされても構わない。私たちはどこかで結ばれていたんだね。ほら、赤い糸!約束だよ。でも、指切りしたくない…必ずきっと来ておくれ」。このやりとりの間に、亭主は何度「直してもらいなよ!」を言ったであろう。数えきれない。

そして、客が帰った後で言う。「もう、やめるよ、馬鹿馬鹿しい。やっていられない」。すると、女房も「じゃあ、私もやめる!」。そう言った後、泣きながら「やりたくて、やっているんじゃない!誰のせいでやらなきゃいけないのかわかっているだろ!誰がやらせているんだい!私だってやりたくない…でも、お前さんとずっと一緒にいたいから…」。

亭主は自分の不甲斐なさに気づく。「勘弁してください。この通りだ。お前とうどんを半分ずつで食べたことを思い出した。すまない。焼き餅を妬いてごめんなさい」「じゃあ、またお前さんと一緒にいられるんだね。良かった」。

貧乏のどん底にいても、夫婦の情愛は変わらない。いや、貧乏だからこそ、夫婦が力を合わせて踏ん張らなくてはいけないのだ。古今亭志ん生の十八番がこういう形で受け継がれていくことを嬉しく思う。