津の守講談会 一龍斎貞心「忠臣二度目の清書」一龍斎貞花「天野屋利兵衛」
津の守講談会初日に行きました。
「木村又蔵」一龍斎貞昌/「猿飛佐助 修行時代」田辺凌々/「三方ヶ原軍記」一龍斎貞介/「清水次郎長伝 小政の生い立ち」神田山緑/「津田梅子物語」一龍斎貞奈/中入り/「白隠禅師」一龍斎貞弥/「忠臣二度目の清書」一龍斎貞心
貞弥先生の「白隠禅師」。山崎屋徳兵衛の娘、お筆は手代の正吉の子を身籠ったが、「父親は誰だ?」という問いに「松林寺の白隠さん」と嘘を言ってしまう。七十歳を超えた白隠、それも仏に仕える身の僧侶が!と徳兵衛は怒り心頭に達し、赤ん坊を白隠に押し付けてしまう。濡れ衣を着せられた白隠は、村人からは石を投げられ、名主からは「村を出ていけ」と言われるが、穏やかな気持ちでこれを受け入れ、赤ん坊の世話をせっせとするのは人間が出来ているということだろう。
やがて心を痛めたお筆が本当のことを父の徳兵衛に正直に話す。元手代の正吉も申し訳ないことをしてしまったと平謝り。徳兵衛や名主もお筆の言うことを鵜呑みにし、酷い仕打ちをしてしまったと反省した。それでも、白隠はこれまでと変わりなく、穏やかな気持ちで応対しているのが名僧の名僧たる所以だろう。人生には信じられないようなことが起きるときがある。だが、それを慌てず騒がずに待てば海路の日和あり。信じる者は報われる。人間、こうありたい。
貞心先生の「二度目の清書」。仇討本懐を遂げるために、家族にさえ本心を明かさずに遊興に耽る芝居を続けていた大石内蔵助の胸中、いかばかりかと思う。遊女の高円を身請けし、妾宅に囲うのではなく、山科の自宅に住まわせるという。妻のお石に対して、高円には酒の相手や寝間の伽をさせる、高円を姉と思い暇があったら襦袢の一枚でも洗え、風呂で肩の垢でも落としてやれと命じる。
お石にとってこれほどの恥辱があろうか。十八で嫁ぎ、三人の息子を産み育て、四十になった今、夫が狐女郎に現を抜かしている。自分は“武士の娘”という自負もある。離縁を願い出るのは当然だろう。内蔵助が書いた三行半を受け取り、実家の但馬豊岡に帰る決断をする。内蔵助の実母も味方について、吉千代と大三郎を連れて行く。狐女郎に養育などさせたくないという意地もある。
それもこれも全て討ち入りを成功裏に収めるための内蔵助の計略なのだが…。内蔵助は豊岡の義父、石束源五右衛門宛てに手紙を認め、寺坂吉右衛門に託す。「良雄が心中ご賢察を」という言葉を添えて渡してくれと。実際、源五右衛門は内蔵助の真意をすぐに察するのが素晴らしい。答えは「委細承知、心置きなく」。長男は「内蔵助殿は乱心致したか」と言うが、源五右衛門は「我が家にいる間は内蔵助のことは口に出さぬように」と家族に緘口令を敷いたのは流石だ。
そして、元禄十五年極月十四日に吉良邸討ち入りは成功した。後日に寺坂吉右衛門が豊岡を訪れ、「旦那よりの書面」を渡し、その旨を知った家族は感極まったことだろう。そして、本所松坂町での仇討の詳細を寺坂が物語るのを涙なくして聞くことはできなかったと思う。素晴らしい高座だった。
津の守講談会二日目に行きました。
「三方ヶ原軍記」宝井琴人/「猿飛佐助 幸村との出会い」田辺凌々/「井伊直人」宝井小琴/「奉行と検校」神田伊織/「尾崎行雄伝」田辺鶴遊/中入り/「西遊記 猪八戒との出会い」神田菫花/「天野屋利兵衛」一龍斎貞花
伊織さんの「奉行と検校」。若き日の塙保己一と根岸肥前守の出会いがドラマチックだ。中山道の辻堂で出会った、盲人の辰之助と百姓の息子の吉太郎。辰之助は学問を究め、太平記読みになりたいと夢を語る。吉太郎は人を裁く役人になって無実の人を助けたいと願いを話す。そして、手に手を取って江戸へ向かい、“出世比べ”をしようと誓って別れた。
辰之助は雨富須賀一という検校が開いている当道座に属するが、按摩も音曲も苦手で芽が出ないとみると、「私は学問の道に進みたい」と嘆願し、国学者の萩原宗固の門下に。「栄花物語」40巻をはじめとする約六万冊の本を空で読めるようになるほど勉学に励んだという。そして、「群書類従」の編纂に注力し、学者として大きな実績をあげ、総検校の地位を得る。その成果を讃える褒美を授ける際に、南町奉行根岸肥前守に出世した吉太郎と再会を果たすのだ。夢を持って努力した二人の素敵なドラマを聴くことができた。
貞花先生の「天野屋利兵衛」。なぜ天野屋利兵衛が浅野内匠頭に恩義を感じているのかという部分からストーリーがはじまるのが良かった。利兵衛は人が好く、困った人には金を融通してあげていたが、それが仇となって自分自身が“身代限り”に陥ってしまう危機を迎えてしまう。そのときに助けてくれたのが浅野様で、借金の猶予を何と「年賦百年」にしてくれ、それを保証する書付まで書いてくれたのだ。実際は数年で天野屋は再建できたが、以来赤穂藩に何かあったときには必ず御恩報謝をしたいと考えていた。
そして、殿中松の廊下。利兵衛は妻のおそのと離縁して実家に返し、息子の吉松は手元に置くことにした。まさに死を覚悟して赤穂城に駆け付けたのだ。しかし、城は明け渡し、戦はしないという大石の決断。「その志、忠義はありがたいが、大坂へ帰ってくれ」と言われる。
だが、その後に大石が身を隠すようにして天野屋を訪れ、「忠義を見込んで頼みたい」と言って、討ち入りに必要な道具の準備を秘密裏におこなうことを依頼した。利兵衛は藤助という職人の親方に「船の道具」と偽り、道具の製作をお願いし、職人衆11人がそれを担う。このことは他言しないようにと言って、藤助に30両、他の職人にも10両ずつという法外な報酬を支払った。
しかしながら、藤助の家に妙な蝋燭立てがあるのを見咎められ、これは夜討ちのときに使うものだろうと責められた藤助は「大変なことになった」と名奉行と言われた松野河内守に訴え出た。
利兵衛は牢に入れられた。だが、どうしても白状しない。重き拷問で気絶しても口を割らず、手当てをしてはまた拷問ということを繰り返した。河内守も「調べられるそちも辛かろうが、調べる我が身も辛い」と言う。それでも利兵衛は「どうしても申し上げられない」と突っぱねる。
息子の吉松が連れ出される。親の因果が子に報う。白状しないと炭火の上に載せた鉄板の上を歩かせると脅す。吉松は裸にされ、「怖いよ!」と泣く。利兵衛は「泣くでない。泣けば奉行様が笑う。笑って渡ってみせよ。できなければ親子ではない。親子の縁を切る」と吉松に言う。吉松は気丈に鉄板の上を渡ろうとする。河内守は青くなり、「待て!」と言うしかない。
今度は妻のおそのが連れ出される。吉松は「かあちゃん!」と叫ぶ。おそのは利兵衛が悪人の手助けをしたという噂を聞き、その嫌疑を晴らそうとやって来たのだった。利兵衛は「離縁した妻です」と言うも、おそのは「浅野様の御家大事のため、300両を私に持たせて実家へ返したのです」と言う。それを聞いた河内守は「そちは乱心しておる。そちの申すことは取り上げてはならぬ」と言って、取り調べを中止してしまった。そして、「利兵衛を労わり尽くせよ」と言い添えて、牢に再び入れた。
天野屋利兵衛は赤穂浪士が仇討本懐を遂げたことを牢内にいたため知らなかった。やがて、それを知らされた利兵衛は「天にも昇る気持ちです。私の方から申し上げます。実は大石様から頼まれました」と言って、討ち入り道具一切の準備を整えたことを河内守に洗いざらい話す。「大方、そうであろう」と河内守。
利兵衛は改めて呼び出され、河内守に申し渡される。「そちの行ないは義侠に富んでおる。だが、義は義。この罪は軽くない。格別の計らいをもって、大坂処払いを命じる」。
実質、お咎めなしという裁きに河内守の情状酌量があったことは確かだ。仇討本懐の功績は義士の忠義は勿論だが、天野屋利兵衛のような外部の支えが陰にあったことは忘れてはならない。浅野内匠頭と天野屋の絆を感じた。