神田織音独演会「明日へ掛ける橋 錦帯橋物語」、そして龍玉部屋 蜃気楼龍玉「心中時雨傘」
神田織音独演会に行きました。「母の慈愛」と「明日へ掛ける橋 錦帯橋物語」の二席。開口一番は神田ようかんさんで「天正三勇士出会い」だった。
「錦帯橋物語」。岩国領の三代目領主・吉川広嘉が悲願とした、暴れ川と呼ばれた錦川に頑丈な橋を架けることにいかに情熱を傾けたかがよく伝わってくる高座だった。長崎から招いた医師、独立性易(どくりゅう・しょうえき)は当時の中国、明からやって来て帰化した僧侶だが、その性易が大切にしていた故郷・杭州の西湖を描いた風景画を広嘉が見て閃いた。5ツの島に掛かった6ツのアーチ状の橋にこそ、錦川に掛ける橋のヒントがあったのだ。すなわち、川幅の間に4ツの島を人工的に築き、5ツの橋で繋ぐという…。現在の錦帯橋の原型である。
早速、広嘉は普請役の児玉九郎右衛門にこのことを話し、九郎右衛門は全国の橋に限らず建築物を見聞して歩いて研究を重ね、実に10年の後に錦帯橋建設に取り掛かる。寄木造りや石積みなど、石工や船大工の手法など考えられる技術を騒動員して、緻密で堅固な五連の橋を完成させる。広嘉は「岩国の心の景色になる」と賞賛した。
だが、雨季の到来で錦川の濁流は無惨にも橋を砕き、8ヶ月しかもたなかった。誰もが総棟梁である九郎右衛門を責めた。「吉川の恥じさらし」だと言った。広嘉は九郎右衛門に訊く。「して、いつじゃ?」。九郎右衛門は切腹をする覚悟でいて、今すぐに腹を召すつもりだと答える。だが、広嘉の質問は違った。「再建はいつじゃと問うたのじゃ」。今回の錦帯橋の失敗は「過失ではない。成果だ。明日への希望だ」と言った。「幾度流されようが、橋を架け続けるのじゃ」。
広嘉の九郎右衛門への信頼、そして悲願を達成するための忍耐。こうした礎があったからこそ、その後錦帯橋は改修、補強を続けながら250年余り、昭和25年のキジア台風で流されるまで、その優美な姿とともに日本が誇る建築物として讃えられた。そして、現在の錦帯橋も当時の技術を継承し、日本の名勝となっている。織音先生が「信じて待つ」ことの大切さを教えてくれた高座だった。
「龍玉部屋~蜃気楼龍玉独演会」に行きました。三遊亭円朝作とされる「心中時雨傘」ネタおろしとあって、おっとり刀で駆け付けた。「蔵前駕籠」を演じた後、「心中時雨傘」を中入りを挟んで(上)(下)に分けて口演した。
どっこい屋という屋台で針を回してお客が景品を当てる商売をしているお初という二十三になる娘、根津の権現祭りで宵宮も終わり、そろそろ引き揚げようと帰り支度をして母と二人で住む下谷稲荷町に帰る途中、根津の遊郭をひやかして帰って来た男三人組に声を掛けられる。「これも権現様の引き合わせだ。蕎麦でも一杯、どうですか」と強引に誘われるのを拒むと、男たちは穴稲荷に連れ込んで乱暴をしようとする。
そこを通り掛かったのが、二十五、六の男。お初に無理やり抱きつこうとしている男を殴り、助けてあげた。「あなたはお初さん!」。助けてくれた男は同町内に住む型屋の職人で金三郎、通称カタキンと呼ばれている顔見知りだった。金三郎が殴った男はてっきり気絶しているだけかと思ったら「ごねちまっている」。大変なことをしてしまったと思ったが、ひとまずお初を家に送る。お初は母親に金三郎に危ないところを助けられたことを報告すると、金三郎に向かって「恩返しをしたい。生涯、傍でお世話がしたい。女房になりたい」と言う。金三郎は人を殺したことを気にして、「明日にも伝馬町行きの身だ」とお初の告白をいなすが、「5年でも10年でも待ちます」という言葉にほだされ、夫婦約束をする。
金三郎は昨夜の一件が気になり、穴稲荷に行くと、死骸に菰がかぶされ、沢山の野次馬が群がっている。困ったことになったと、一旦帰宅すると、大家がやって来た。「この長屋に大変な奴がいる」と言う。聞けば、お初が人殺しの罪でしょっ引かれたという。金三郎の罪をかぶろうとしたのだ。大家に昨夜の出来事を詳しく話すと、お初は自分から手を後ろに回し、お縄になったのだという。「自分が生涯、夫と頼んだ人に罪をかぶせるわけにはいかない」とお初は言っていたと。
大家はこの辺りでは“仏の勘兵衛”と呼ばれる人徳のある人。この一件を願書に認めて北町奉行、浅野肥前守に願い出るように算段してあげる。いざ、お白州となると、この願書を読んだ肥前守が「お初も、金三郎も、お互いにかばい合っているに相違ない」と理解した。また、殺された男が歯抜けの銀次の子分で泥棒仙太と呼ばれる悪党であることも判明。お初も金三郎も無罪放免という裁きとなり、二人は晴れて帰宅し、大家が仲人となって婚礼を挙げ、夫婦になった。
暮れになって、大家の頼みで酉の市の熊手売りの手伝いを夫婦でした。熊手も売り切れ、さあ帰ろうとなったとき、半鐘の音が聞こえる。火事は広徳寺の傍だという。慌てて家に戻ると家は火の海。その中にお初の母親がいたので、金三郎が飛び込み、救出。だが、その際に梁が焼け落ちて、その下敷きになった。幸い、金三郎も母親も命に別状はなかったが、家は丸焼けとなり、山伏町に新しい所帯を持つ。
ところが、金三郎は火事で下敷きになった際に右腕を痛め、名倉に診てもらうと、骨が砕けて治らないという。段々に悪くなり、寝込むようになってしまった。お初の母親は寿命が尽きたのか、逝去。日暮里花見寺に埋葬した。金三郎は型屋の仕事が出来ないばかりか、生計はお初がどっこい屋をして稼ぐ金を頼りにするしかない。治る見込みがないなら、俺みたいな厄介者、いっそ死んでしまいたいと考えるようになる。まだ三十歳で独り身なら新しい人生をスタートできるお初が可哀想に思う。
お初は「つまらない了見をおこさないでおくれ」と言って、仕事に出る。そこに「悪戯者はいないかあ」という売り声の石見銀山鼠捕りの薬売りがやって来る。「その薬は効くのか」と訊くと、「鼠ばかりか、人間も一服でコロリと死んでしまう。取り扱いに注意してください」と説明される。それを聞いて、金三郎は三服買い求めた。そこに仕事に出たはずのお初が戻ってきて、「下駄の鼻緒が切れた。嫌な予感がした」と言う。「お前さん、死ぬつもりだね?」。
金三郎が白状する。「俺は生きていても仕方ない。生き地獄だ。楽になりたい。どうか、俺を殺してくれ」。これを聞いたお初は「本当に死ぬというのかい?それならば、私も一緒に十万億土まで付いて行きたい。一緒に三途の川を渡りたい」と応える。心中の決意ができた二人は道具屋を呼んで家の家財道具をバッタに売って金を拵え、こざっぱりした袷を着て、「田舎に引っ込む」と大家に暇乞いをする。
観音様のお参りが終わると、雨が降り出した。一本に番傘を買い求め、相合傘で天婦羅屋に入って飯を食う。「これが娑婆の見納め。二人で遠いところへ逝こう」。日暮里花見寺の母親の墓の前で「これから、すぐに傍に行きますよ」。そして、諏方神社へ。矢立が落ちていたので、「これも何かを書き遺せというお告げか」と思い、番傘の裏に「わたしたちはふうふものです。どうかいっしょにうめてください。十一月二十一日。きんざぶろう、おはつ」と書いた。
そして、二人は柄杓に水を汲み、鼠捕りの薬を飲む。お互いにニッコリと笑って、抱き合って、あの世に旅立ったという…。何とも切ないラブストーリーである。