落語一之輔春秋三夜 第一夜「芝浜」

「落語一之輔春秋三夜 2024秋」第一夜に行きました。「転宅」「松竹梅」(ネタおろし)「芝浜」の三席。開口一番は春風亭いっ休さんで「替り目」だった。

「芝浜」、魚熊がなぜ仕事を怠けるようになったかを描いているのが良い。担ぎ商いの仕事の合間に飯を食うとき、ちょっと酒を飲むのが美味い。一之輔師匠は現代におけるランチビールの誘惑を喩えに出して共感できると言っていた。だが、その酒が度を過ぎると良くない。客から「魚が臭い」と小言を言われ、評判を落とし、自棄をおこした。もう20日も河岸に行っていない。女房が「釜の蓋が開かない」と言って、叩き起こすのも当然だ。

ようやく河岸に行ったときに芝の浜で拾った革財布に50両入っていた。これで遊んで暮らせると思った。だが、女房は心配する。届けなくていいのか。落とし主がいるだろう。「自分だけ、狡い」と言って、女房が財布を預かったのは正解だ。そして、その財布を拾ったことを夢にしてしまう。

起きてよ。聞きたいことがあるの。何がそんなに目出度いの?あれ、どうするの?酒と料理の支払い。え?50両って何?革財布?芝の浜?何のこと?いつ行ったの?夢を見たんじゃないの。あー、嫌だ。夢だよ。夢に違いない。神様が怒って、罰が当たったんだよ。

女房の必死の演技が素晴らしい。魚熊はすっかり信じ、「どうしよう。情けない」と自分に愛想が尽きた。そして、決断する。酒をやめる。一生懸命、働く。勘弁してくれ。誓う。信じてくれ。だから、この借金だけは何とかしてくれ。

このとき、一之輔師匠は自分がその立場だったら、もう一回くらい家の中を探すだろうと言っていた。そうかもしれない。だけど、魚熊は女房に全幅に信頼を置いていたのだろう。この女房のために、死ぬ気になって働こうと思ったのだ。素敵ではないか。

元々は目が利いて、腕の良い魚屋だ。離れたお得意客もすぐに戻ってきた。「きりきり」という表現をしていたが、まさしく寝食を忘れて働いたのだろう。だから、3年経ったら義理の悪い借金もなくなっていた。

大晦日。魚熊が言う。何で酒なんか飲んでいたのか。今、働くことが楽しくてしょうがない。若い奴らに言うんだ。働いた金で酒を飲め、遊びに行けって。魚は偉いね。自分が見込んだ魚を捌いて、客が食べて「美味い」と言う。こんないい商売はないと思う。魚屋になって良かった。人間は働かないと駄目だな。

これで女房も安心したのだろう。見てもらいたいものがあると言って、50両の入った革財布を出す。「3年前、お前さんが芝の浜で拾った財布だよ…ごめんなさい。夢じゃないんです」。魚熊が言う。「何でそんな嘘をついたんだ。俺がどれだけ情けない思いをしたか」。

女房が言う。この50両を使っていいのか。落とした人がいる。大家さんに訊きに行った。怒られた。この金に手を出したら、熊は討ち首、よくて寄せ場送りだ。夢にしちまえ。そう言われた。

お前さんが酒をやめて、一生懸命に働いて、本当に良かった。この財布は落とし主が現れずに、お下げ渡しになったけど、すぐにお前さんに明かすと、元の飲んだくれになっちゃうんじゃないかと思って、黙っていた。でも、さっき、働くのが楽しいと言っているのを聞いて、この財布を見てもらおうと思ったの。勘弁してくださいね。女房に騙されて悔しいでしょうね。

だが、魚熊は女房に感謝の言葉を述べる。ここまでこられたのはお前のお陰だ。大家の言う通り、俺の首は刎ねられても仕方なかった。たとえ助かったとしても、お前と一緒に野垂れ死にしていたかもしれない。よく騙してくれた。ありがとう!

泣かせる人情噺というよりも、夫婦の素敵な絆の物語という印象を持った。魅力的な高座だった。