まんきつの森へ 三遊亭萬橘「鼠穴」
「まんきつの森へ~三遊亭萬橘独演会」に行きました。「粗忽長屋」と「鼠穴」の二席。開口一番は柳家小じかさんで「やかん」だった。
「鼠穴」が素晴らしかった。父親が亡くなって身代を兄弟二人で半分ずつに分け、兄は江戸へ出て成功したが、弟の竹次郎は茶屋酒の味を覚えて使い切ってしまった。一文無しになった竹次郎は江戸の兄の店を訪ね、奉公させてくれと言うが、兄は「あれから10年経った。積もる話もあるから、ゆっくり話そう」とその晩は歓待し、朝を迎える。すっかり酔ってよく眠っていた竹次郎を起こし、奉公するのではなく、自分で商売を興した方がいいと助言し、そのための商いの元を渡して竹次郎を送る。
だが、「商いの元」は三文しかなかった。粗末にしちゃいけないと言いながら渡した金がたったの三文とは…兄は情けのない人間以下、畜生だ!と竹次郎は激昂し、「今に見ていろ!見返してやる!」。さんだらぼっちを買ってほぐし、サシにして売る商売からコツコツと寝食を忘れて朝に昼にと働いた。2年半経つと10両の蓄えが出来、女房を持ち、子どもも生まれた。稼ぎ男に繰り女。10年経つと、間口5間半、蔵が三つもあるお店の主人になった。
そして、10年ぶりに兄の店を訪ねる。借りた“商いの元”三文と“利子”二両を渡し、帰ろうとする竹次郎を兄は引き留める。「さぞ辛かったんべ。泥水をすする思いだったんべ」と竹次郎の胸中を思いやり、「なぜ商いの元を三文しかやらなかったのか」を語るところが、この噺の一番の聴きどころだと思う。
あのとき、何をしたら正解だったのか。お前は酒を飲んで寝ちまった。その寝顔を見て、お前を一人前の商人にする自信がなかった。そして、考えた。あのときのお前には10両渡したら、おそらく5両は酒に消え、残りの5両もすぐに使い切ってしまって、また借りにくるに違いない。あの三文を一文でも増やして戻ってきたら、10両でも20両でも貸すつもりだった。だが、お前は強情だった。こうなるとは夢にも思わなかった。意地の悪いことをするために三文を渡したわけではないんだ。辛かったんべ。こんな兄のことを勘弁してくれ。許しておくれ。
竹次郎が答える。本当のことを言えば、毎日悔しくて悔しくて、見返してやる!と思っていた。兄さんにそんな深い考えがあるとは思わなかった。おらの方こそ、許してくだされ。
兄が手を叩いて、番頭に「例のものを」と持ってこさせたのは、算盤だ。「良い商人になってくれ」と思い、お前が来たらこれを渡そうと思っていた。だが、10年の間、お前は来なかったので渡せなかった。そう、竹次郎は兄の助けを借りないで立派な商人になっていたのだ。この算盤は兄の弟に対する愛情そのものだったのだろう。そして、二人は酒盛りをして旧交を温めた。
火事が心配だという竹次郎を引き留め、泊まっていくように言う兄は「万が一、火事でお前の店の蔵が一つ焼けたら、うちの蔵を一つやる、三つの蔵が全部焼けたら、うちの身代をそっくり譲る」と約束するが…。
竹次郎の店は火事に遭い、三つの蔵は燃えてしまった。夫婦巾着の金でバラックの店を再興したが、一度狂った歯車は元に戻らず経営は左前、奉公人は全員いなくなり、家族三人になってしまった。しかも、女房は病に伏す。竹次郎は一人娘の七歳になるよしを連れて、春の商いの元を借りに兄の店を訪ね、50両を貸してほしいと頼むが…。兄は「カタがなけりゃ貸せない。帰れ」と冷酷で、“万が一”のときの約束は「酒が言っただけ」、「50両必要なら、そこのアマッコを吉原に売ったらいい」とまで言い放つ。
竹次郎はよしに「あれがお前のたった一人の伯父さんだ。よく見ておけ。人間じゃない。畜生だ」と言って、立ち去る。気丈なよしは「吉原に行こう。おっかさんの薬代だってかかるでしょう。生きていれば、また会えるじゃない」と父親に向かって言う。竹次郎は「すまない」と思いながらも、可愛い娘を女衒に渡し、手にした50両を懐に入れて歩いていると、前からぶつかってきた男に掏られてしまう…。もはや、これまでか…と首を括るが。それは全て夢だった。
悪夢にうなされている竹次郎を起こした兄は夢の内容を聞き、「火事の夢は燃え盛ると言って、お前の店は益々繁盛するぞ」と励ますが、竹次郎は「自分の蔵のことばかり考えて恥ずかしい。穴があったら入りたい思いだ」。夢中になって一生懸命生きている竹次郎は夢から醒めても、夢の中にいる心持ちなのだと得心した高座だった。