春風亭一之輔のドッサりまわるぜ2024ツアーファイナル「心眼」

春風亭一之輔のドッサりまわるぜ2024ツアーファイナルに行きました。一之輔師匠が「笠碁」と「心眼」の二席。開口一番は春風亭与いちさんで「尿瓶」だった。

「心眼」が素晴らしかった。親代わりになって育てた弟の金公に「ごくつぶし」「どめくら」と罵られて悔しい思いをして帰って来た梅喜に対し、お竹は茅場町のお薬師様に信心を勧める。梅喜が三十日、五十日、九十日と熱心に通う過程を丁寧に描いていて、「目が明きたい」という梅喜の強い気持ちが伝わってくるのが良い。

そして、満願の百日目。「たってのお願いです。この通りです」と、いつもより多めの賽銭を投げて拝むが、目は明かない。何度も何度も確かめるようにお薬師様に拝むが明かない。そのときの梅喜が自棄になるのは仕方ないかもしれない。「上等だ!表へ出ろ!やらずぼったくり!」。偶々その様子を見た上総屋が窘めると、梅喜の目が明く。「明いた!」。喜びでいっぱいの梅喜は「お薬師様にお詫びしなさいよ」と言われ、「ありがとうございます!」。毎日お百度参りをしていた女房のお竹含め、「夫婦の念が通じたんだ」と上総屋が言う台詞に、良かったねと思う。

梅喜の横を通った人力車に乗っていた芸者とお竹はどっちが“いい女”か、と尋ねる梅喜に悪気はなかったと思う。上総屋は「訊かれたから答えるんだよ」と前置きして、お竹さんはまずい女だ、人間に籍がなくて化け物同様、ニンナシバケジュウだと表現する。しかし、ちゃんと梅喜に言い聞かせるのが良い。人は見た目より心だ、あんなに良く出来たおかみさんはいない、お前に尽くしてくれる、お前には過ぎものだ、お竹さんを不幸にしたら罰が当たる…。これを聞いて、梅喜も「お竹はいい女です。あっしはお竹に惚れています」と返すのが良いと思った。

仲見世を歩きながら、目が明いていた子どもの頃のことを思い出すところも良かった。風車を見て、親父が買ってくれたが、一個しか買わなかったので、兄弟で奪い合いになり、弟の金公に譲れと言われ悔しかったこと。凧を見て、自分は凧揚げが得意でどんどん空高くまで凧を揚げ、金公に「すげえな、あんちゃん」と言われたこと。それを聞いた上総屋は「目が明いたことは、すぐに横浜の金公に伝えなよ」と言うのも良い。本当に仲の悪い兄弟ではなかったはずだ。

観音様の上に登る。大川や吾妻橋、蔵前の町並みが見える。「見えるというのはすごいな」と言う梅喜の言葉が印象的だ。姿見に映っている自分に手を振って、「なるほど、俺はなかなかのいい男だ」と気取ったポーズを取るのも人間的である。

そして芸者の山野小春とバッタリ会って、「おめでとう!」と言われて目が明いた祝いに御馳走をすると待合に入った場面。小春が梅喜に惚れていることは上総屋から聞かされていたので梅喜は悪い気はしない。本当は女房のお竹のところに一目散に帰って、目が明いたことを知らせなくちゃいけないと思っているが、「少しなら…」と思って、座敷でやったりとったりしたのだろう。それは悪くないと思う。

小春が「私、嬉しい。おかみさんも喜んでくれるでしょうね。帰らなくていいの?」と訊いたとき、梅喜は「実は帰るのが怖い」のだと言って、ニンナシバケジュウのことを打ち明ける。すると、小春は「駄目よ!そんなこと言っちゃ。お竹さんのお陰で目が明いたのよ」と諭す。梅喜が「あなたのような綺麗な人が見えるのが嬉しいのだ」と正直に答えると、小春は「おかみさんがいる人に綺麗と言われても、嬉しくもなんともない。私は梅喜さんのことを心底惚れている。おかみさんがいなかったら、一緒になりたい。ともに苦労をしてみたいと思う。だけど…」。

それを聞いて、梅喜は心が揺れて言ってはいけないことを言ってしまう。「このまま二人で逃げませんか?一緒に所帯を持ちませんか?」。これに対し、小春も喜び、「いいの?本気なの?嬉しい…」。

だが、これらはすべて夢だった。梅喜は夢の中とはいえ、献身的に尽くしてくれるお竹に不実をしてしまった…。罪悪心に駆られたのだろう。「勘弁してくれ。許してくれ」と必死に叫んでいた。そして、それが夢で良かったという安堵もあったろう。梅喜は信心をやめるという。それは目なんか明かなくていい、この素晴らしい女房であるお竹がいてくれるだけで、どれだけ幸せなことかと思ったに違いない。