明治座十一月花形歌舞伎「一本刀土俵入」「お染の七役」
明治座十一月花形歌舞伎の昼の部と夜の部に行きました。昼の部は「菅原伝授手習鑑 車引」「一本刀土俵入」「藤娘」の三演目。夜の部は「鎌倉三代記」「お染の七役」の二演目だった。
「一本刀土俵入」。酌婦のお蔦がしょぼくれて歩いていく取的の茂兵衛から身の上を聞き、自分自身と重ね合わせるところが好きだ。
相撲部屋に入門したのに、親方から見込みがないとお払い箱になり、満足に食事もしていない茂兵衛だが、夢は立派な横綱になって母親の墓前で土俵入りを見せたいと目を輝かせているのを見て、お蔦の心が動いた。自分も故郷の越中八尾に暮らす母親のことを思い出し、思わず小原節を口ずさむ。そして、金子だけでなく櫛や簪まで渡して、励ます…。不幸せな境遇に育った人間同士の間に通い合う情愛の深さと美しさが素敵だ。
この作品の背景には作者である長谷川伸先生の生い立ちが顕われていると水落潔先生がプログラムに書いている。長谷川伸先生は横浜の材木商の家に生まれたが、幼い時に生家が没落して母と生き別れになった。伸は小学校を中退し、様々な職業を転々としながら独学で作家になった。しかし母恋しさの思いは募り、多くの作品にその思いを託しているという。お蔦が茂兵衛に自分の持ち物をすべて与えるきっかけとなるのが「母」という言葉。茂兵衛もまたお蔦の優しさに母の面影を見て後の恩返しに繋がっていく。
伸の自伝的小説「ある市井の徒」の中で、遊郭に料理を運ぶ出前持ちをしていたとき、おたかさんという越後生まれの遊女から「その若さでこんなところにいてどうなる」と意見され、「銭と菓子を貰った」、そのときのおたかさんの言葉が「一本刀土俵入」の序幕になったと書いているそうだ。本当に良い作品だ。
於染久松色読販「お染の七役」。この芝居の見どころは何と言っても、中村七之助の早替りの演出であるが、今年4月に歌舞伎座で観た「於染久松色読販」、土手のお六を坂東玉三郎、鬼門の喜兵衛を片岡仁左衛門が演じた“強請り”が失敗に終わるストーリー以外にも興味深い要素を見つけて面白かった。
まずお染が生まれた油屋の番頭、善六という男。お染には山家屋清兵衛という許婚があり、しかも油屋の丁稚、久松と恋仲であることを知っていながら、お染に横恋慕するという“しょうもない男”だ。久松が捜している千葉家の重宝の午王吉光の短刀とその折紙のうち、折紙を油屋の息子の多三郎に芸者小糸を身請けさせるからと騙して持ち出させ、油屋を乗っ取り、お染を女房にしようと計略を謀るのだ。庵崎久作が売る嫁菜の藁包にその折紙を隠したことが元で、結局失敗してしまうのだが、ずる賢い人物である。
次に多三郎と恋仲の芸者小糸に横恋慕している鈴木弥忠太という男。久松の父は千葉家に仕える石津久之進という侍だったが、主家の重宝である午王吉光の短刀とその折紙を紛失した罪で切腹した。弥忠太はその千葉家の従臣で、鬼門の喜兵衛にその千葉家重宝を盗み出すように指示した悪人である。弥忠太は小糸を、善六はお染の尻を追い廻し、橋本座敷にやってくるが、共に相手にされない。傍の座敷にお染と久松が忍んでいると推量して踏み込むと、そこにいたのは千葉家奥女中の竹川…。竹川は久松の姉である。弥忠太はすっかり竹川に無礼を窘められてしまうという…。
善六にしても、弥忠太にしても、悪党の了見の持ち主であるが、最終的に間抜けという三枚目の役どころなのが可笑しかった。