白酒むふふ 桃月庵白酒「替り目」
「白酒むふふ~桃月庵白酒独演会」に行きました。「寝床」と「替り目」の二席。ゲストはパントマイムのシルヴプレ先生、開口一番は桃月庵ぼんぼりさんで「転失気」だった。
「寝床」。繁蔵が旦那に長屋の店子と奉公人が全員欠席であることを遠回しに伝えた後、「お前はどうなんだ?」と訊かれ、覚悟を決めて「因果と丈夫です。私一人が犠牲になればいいんだ」と言うと、それを援護するかのように「下手だと言ってやった方がいいんだよ!」という声が遠くから聞こえると、旦那は「どうせ私は下手ですよ」と唇を噛む。「やっと判ってくれましたか!」と言う繫蔵に、旦那はキレて「拙い義太夫ですみませんでした!」。「それでも味わいというものがあるだろう?」と救いを求めると、「皆無です!」。これによって長屋の住人は店立て、奉公人には暇を出す!とむくれてしまう旦那…実は可愛い。
一大事に、「これは大変」と繫蔵が「皆さん、義太夫はまだかまだかとお待ちです!」ととりなすが、旦那は「芸というものは演じる方の演りたいという気持ちと聴く方の聴きたいという気持ちが重なって初めて成り立つんだ。皆さん、お忙しんでしょ?」と不機嫌だ。すると、豆腐屋も提灯屋も人を雇ってでも旦那の義太夫が聴きたいと言っていると持ち上げ、「芸は拙いが、味がある。癖になる。クサヤのようだ」とか、「芸は拙いが、コクがある。まるで豆腐餻のようだ」とか、喩えが二つとも発酵食品なのが可笑しい。挙句に伝家の宝刀、「奥にキラリと光るものがある」。最終的に繫蔵に「何事も粘り腰が大切」と言って、「そこを何とか」と言わせて、旦那が満面の笑みを浮かべるのが笑える。
「旦那の義太夫は人生を狂わす」と言って、前の番頭だった徳兵衛さんの悲劇を長屋の衆が喋るのも面白い。「私が受けて立ちます」と義侠心を出して、旦那の義太夫に一人で立ち向かったが、そのうちに瞳孔が開き、脂汗が流れ、命に関わると蔵に逃げたが、旦那は窓から義太夫を流し込み、七転八倒の苦しみ。「白い鰐が来る」という謎の言葉を残して去って行ったという…。抱腹絶倒の高座だった。
「替り目」、フルバージョン。亭主がなんだかんだ言いながら、女房のことを愛しているというのが、この噺の肝だろう。その上で、酔っ払いゆえの我儘の可笑しさを描いているこの噺、白酒師匠が天下一品だと思う。
帰宅してからも飲むという亭主に、「早くお寝なさい」とか「飲めないの!」とか、赤ん坊に言い聞かせるように女房は躾ようとするが、亭主の「外は外。内は内。私のお酌じゃ美味しくないだろうけど…」と勧めれば引き下がる、「お前は北風と太陽を知らないのか」という理屈に、つい心を許してしまう女房が可愛い。
「口の利き方で器量良く見せるんだ」という亭主の物言いは尤もと言えば、尤もで、「食べちゃった」より「いただきました」の方が段違いに女房の器量が上がるのは確かだ。鮭の切り身も、きんぴらごぼうも、納豆36粒も、玉子焼きも皆「いただきました!」と言った後に、ちゃんと「屋台でおでんでも買ってきましょうか」と言ってくれる。その上、「大根と玉子と蒟蒻でしょ?」と亭主の好みまで把握していて、良く出来た女房だ。
そういう女房に対して、亭主は感謝している。顔を合わせているときは「目と鼻と口があるだけ有難いと思え。見栄えなんか気にする器量か!お多福!化けベソ!」と強気な発言をするが、いないとなると、「俺には過ぎた女房だ。夜、小便に起きたときに寝顔を見ると、可愛いなと思う。いつもありがとうよ。心の中では感謝しているんだ。あなたがいないと生きていけない。捨てないでください。あなたは私の弁天様です」。これだからこの夫婦はうまくいっているんだと思わせる。
酒に燗がついていないので、うどん屋を呼び寄せ、燗をつけさせるところ。「煮え燗は駄目だ。かと言ってぬる燗も駄目。人肌がいい。八十の婆の人肌じゃないよ。二十七、八、三十デコボコ。色白で丸ぽちゃで一重瞼で目尻が下がっていて、かたえくぼの女の人肌」と無理な注文をつける亭主に悪気はない。さらに焼き海苔を出して、炙ってくれと言う。「パリパリでも、フニャフニャでも駄目。外がパリ、中がフニャ」とこっちの注文まで無理難題だが、酔っ払いゆえとうどん屋も許したのだろう。燗がつくと「上燗!ご苦労さん!」。うどんを勧められ、「うどんは嫌い」、雑煮はどうかと訊かれ、「酒飲みに雑煮を勧めるトンチキがあるか!」。
我儘が過ぎる酔っ払いだが、おでんを買って戻って来た女房が「うどんは買ってあげたのか」と確認し、亭主に失礼があったと知ると、ちゃんとうどん屋を呼ぶ。この噺の冒頭の家の前で人力車に乗る悪戯をした亭主の詫びに車代をちゃんと俥屋に渡すのと同様、酔っ払い亭主をよくフォローしている“出来たおかみさん”だなあと感心する。