京山幸枝若独演会「祐天吉松 喧嘩坊主」
京山幸枝若独演会に行きました。「寛永三馬術 大井川乗り切り」と「祐天吉松 喧嘩坊主」の二席。開口一番は京山幸太さんで「門出の一里塚」。曲師は三席ともに一風亭初月師匠だった。
幸太さんの「門出の一里塚」。幼き日の塙保己一と南町奉行根岸肥前守鎮衛の運命の出会いを描く。中山道大宮宿。盲目の少年・辰之助十二歳は五歳のときに失明したが、学者になる夢を持って江戸に出るが、途中でスリに遭い財布を盗られてしまって泣いている。それを見た行商人の助蔵二十一歳が事情を聞き、路銀を渡す。その際に、辰之助は学者、助蔵は役人という目標をどちらが叶えることが出来るか、出世の賭けをしようと約束する。
それから三十余年。辰之助は按摩としては不器用だったが、聡明な頭脳が買われ、江戸の検校の総録になり、塙保己一と名を改める。助蔵は南町奉行根岸肥前守となり、保己一と再会。「出世の勝負は辰之助の勝ちだ。何でも欲しいものを言うがいい」と言うと、保己一が「目が欲しい」と切々と願いを叫ぶ姿に感動した。
幸枝若師匠の「大井川乗り切り」。曲垣平九郎は中間の度々平の失態の責任を取り、500石を丸亀藩に返上して浪人となり、「武家の出世は江戸にあり」と東海道を度々平とともに旅していたが、大井川の手前でその度々平は実は馬術の達人である向井蔵人であることが判明するのがドラマチックだ。
大雨が6日も続き、大井川の手前で足止めを食っていた曲垣と度々平の二人。ようやく雨が止んだと思ったら、年頃十七、八の男が馬で大井川を渡ろうとしているのを父親が止めている現場を目撃する。父親は大井川の向こう岸の吉野村の庄屋、渡辺五右衛門の下男の五助。度々平は事情を訊く。
吉野村と隣村は一つの池が水甕で、毎年その利権を競って馬による駆け比べをして勝った村が池から引水できることになっている。吉野村は4年連続して負けており、作物の生産に支障をきたしており、「今年こそ勝ちたい」というのが村人の悲願だ。これを聞いた庄屋の娘は自分が吉原に二年の約束で身を沈め、50両を前借りし、これで名馬を購入してほしいと願い出た。下男の五助は馬を買う役を担い、息子と二人で尾張の清州の馬市で九州霧島産の二頭の馬を35両で購入し、村に戻る途中だが、大井川が大水で越せずに困っているという。駆け比べの日は15日。きょうは13日で時間が迫っている。そこで、息子がその馬に乗り、大井川を渡ると言っているのだ。
馬術の心得がない人間では無理な話。五助は息子を見殺しにできないという。これを聞いた度々平は「うちの主人は日本一の馬術の名人。頼んでみる」と請け合う。ところが、この話を聞いた曲垣はこの頼みを断る。度々平は「そうであれば」と「俺が乗り切る!俺の腕前を見ろ!」と言って、馬に乗って大井川を渡り始めた。だが、川嵩が増している大井川の激流に度々平は苦戦する。この様子を見た曲垣は「度々平は普通の下郎じゃなかった。俺の極意を盗みにきた馬術の達人」と気づき、助けてやることに。二頭目の馬に乗って大井川を渡り始め、度々平の馬に近づき、二頭の馬の手綱を手にして曲垣平九郎の日本一たる馬術の技を見せる…。難所と呼ばれる大井川において二人の馬術の達人が力を合わせるというドラマに酔った。
「喧嘩坊主」。命を救われ、出家した吉松は“坊主は喧嘩をしてはならない”と辛抱していたが、目の前の悪事を懲らしめなくてはならないと、結局は喧嘩をすることになる。でもそれは、正義のためなら許されるだろうと思う。
浅草のスリの親玉をしていた吉松は本来なら打首獄門になるところ、広徳寺の祐享和尚が奉行に命乞いをした結果、刑罰が軽くなり遠島に。3年の刑期を終えて帰って来た吉松は、広徳寺で出家、僧名を祐澤と名乗る僧侶になった。
ある日、六十格好の男が隅田川の身投げしようとするところを見かけ、事情を訊く。男は佐助といい、女房が亡くなり、弔いの費用として5両を金貸しのお辰婆さんに借りたところ、証文の五と両の間に十を足され、50両それに利子を加えた75両を返済しろと迫られた。払えないので、娘が身代金代わりに捕らわれているという。
吉松は広徳寺に帰り、和尚に話すと、檀家が修繕費として寄進してくれた25両を渡してくれた。吉松の懐の5両と合わせ、30両を持って、お辰婆さんのところに掛け合いに行った。婆さんの横には荒磯権蔵という力士がいる。お辰婆さんが言うには、「75両ないと話にならない。帰れ」。証文を見せろと要求し、見せてもらうと、確かに「五と両の真ん中で十が窮屈そうにしている」。荒磯と喧嘩すれば、こんな相撲取り一人、なんてことはないが、自分は坊主ゆえに喧嘩はできない。吉松は一旦、寺に帰った。
和尚に相談すると、「花川戸の三河屋萬兵衛のところに行け」。昔の幡随院長兵衛のような存在で、助けてくれるだろうという。だが、萬兵衛は「断る」。当てが外れた吉松は「覚えていろ!」と去るが、萬兵衛には考えがあった。あの男、坊主にしておくのは勿体ない。うちで引き取って、二代目萬兵衛を継がせたい。
一方、吉松は居酒屋で飲む。関取の一人や二人、わけない。坊主になった悲しさ。なんで坊主は喧嘩できないんだ。和尚は嘘つきだ。床の間の掛け軸に坊主同士が戦をしている絵があったではないか。勝手な理屈をこねて、吉松は喧嘩をすることを決意する。
丁度お誂え向きに、橋の上で駕籠が三挺やって来た。お辰婆さん、荒磯権蔵、それに佐助の娘のお蝶。まさにお蝶を吉原に身売りしに行こうとするところだ。「婆!待った!」。吉松が叫ぶと、荒磯がぶつかってくる。これを力まかせにつかまえて、35貫の荒磯を隅田川に投げ込んだ。お辰婆さんは逃げる。お蝶の乗った駕籠を広徳寺に向かわせる。すると、吉松に向かって、荒磯の仇を討とうと36人の力士が襲い掛かってきた…。さあ、どうなりますやらで、お時間。
祐天吉松は調べてみると、松鯉先生の講談で全16話あるようだ。どうしても「飛鳥山 親子出会い」が有名で、よく掛かるけれど、他の話も聴いてみたいし、通しで聴ける機会があれば是非聴きたい。