津の守講談会 神田春陽「徳川天一坊 伊賀之亮と土岐丹後守」、そして米粒写経例大祭

津の守講談会に行きました。

「三方ヶ原軍記」神田蓮陽/「天正三勇士出会い」神田ようかん/「海賊退治」一龍斎貞介/「蘇生奇談」一龍斎貞司/「出世浄瑠璃」一龍斎貞寿/中入り/「龍馬とおりょう」宝井琴鶴/「徳川天一坊 伊賀之亮と土岐丹後守」神田春陽

貞司さんの「蘇生奇談」。講談にしてはかなり滑稽味のある読み物だが、それが貞司さんのキャラクターによく馴染んでいる。池辺の旦那から1円貰うために一升の焼酎を一気に飲み干した五兵衛は脳充血で死んでしまった。村人たちが弔いをして、棺桶に入れたまま土葬したが、実は急性アルコール中毒で一時的に意識を失っていただけだったという…。

“蘇った”五兵衛は自宅に帰ろうとするが、死に装束を不審に思った警察官が事情を聞き、同行すると家の中では女房が知らない男と間男していた!女房とその男は姦通罪の現行犯で服役することになる。警察官が間男の住所氏名年齢職業を聞き出し、五兵衛の仇討に味方するのが愉快だ。

貞寿先生の「出世浄瑠璃」。松平丹波守が「他言しない」という約束のもと懇願した浄瑠璃「関の扉」を披露した松平伊賀守の家来の尾上久蔵と中村大助。中村の口三味線と尾上の語りの様子を貞寿先生がしっかり演じていたのが良いと思った。大概の講談師は「浄瑠璃を語った」で済ませてしまう。どんな浄瑠璃だったのか、短くても演じてくれると雰囲気が伝わる。

同様に“暴れ猪の退治”の様子を物語れと主人の松平伊賀守に言われ、尾上久蔵がさも本当にあったかのように調子よく、あり得ない脚色も加えて講談で語るところも大変に良かった。尾上久蔵は大層な芸達者、丹後守そして伊賀守が感心するのも無理はないと思わせる。

琴鶴先生の「龍馬とおりょう」。おりょうが女性にしては大変肝が据わっていて、その上に機転が利き、尚且つ龍馬に惚れていることがよく伝わってきた。そして、龍馬の方もそんなおりょうに心底惚れているのが良い。西郷隆盛を媒酌人に夫婦となったが、龍馬は33歳であの世へ逝ってしまった。おりょうも横須賀の商人と再婚はしたが、晩年まで豪快に酒を飲み、龍馬のことが忘れられなかったというのが哀しい。

春陽先生の「徳川天一坊」。吉兵衛がいよいよ将軍吉宗の御落胤、天一坊の名乗りを大坂長町二丁目から揚げるとき、大きな力となったのは知恵者である山内伊賀之亮だ。鷺を烏と言いくるめるには、どのような手順が良いかをしっかりと計算している。

大坂城代の土岐丹後守に認めてもらうために、800余名の大名行列で大坂城入城となったが、三枝金三郎の「まだ本物か偽物か決まっていない者」という判断で両扉を開けず、片扉のみという扱いに対し、伊賀之亮は「若君様の尊厳を軽んじている」と言って還御、つまりは引き返すことにする。

先陣を勤めていた赤川大膳は独り取り残された形となり、「天一坊誕生の詳細を伺いたい」と言われるが、そこは慌てず騒がず、「書面にて回答する」と言って、日頃伊賀之亮から聞き及んでいる知識を筆に託し、帰還した。

伊賀之亮は改めて江戸に使者を送り、御落胤の証拠の品がある旨を伝えると、将軍吉宗は「覚えあり」との返事。これをもって正式に天一坊は大坂城代の土岐丹後守と謁見、御落胤であることを認めさせる。伊賀之亮と土岐丹後守の駆け引きが面白かった。

夜は令和六年度米粒写経例大祭に行きました。僕は舞台の上で腕立て伏せをしたり、ゴリラの真似をしたりする漫才は嫌いだ。知性あってこその漫才だと思っている。その意味で一番大好きな漫才は米粒写経だ。サンキュータツオ先生と居島一平先生の豊かな教養と溢れんばかりの知識に裏打ちされた笑いは最高である。90分ノンストップの漫才を堪能した。(以下、先生呼称とせずに、〇〇さん表記にします)

日本シリーズで横浜ベイスターズがソフトバンクに3連勝して王手をかけた。横浜ファンのタツオさんは「本当に勝ったのか、信じられず、夜のBSフジのプロ野球ニュースで確認する」。セ・リーグ3位だった横浜が日本シリーズを制覇すれば、「選挙の比例区復活当選みたい、一芸入試で合格みたい」。居島さんが「14年前にパ・リーグ3位のロッテがセ・リーグ首位の中日を破って日本一になったときの雪辱を果たしてほしい」と言っていた。

今年を振り返る。著名な声優さんが多く亡くなった。田中敦子さん、小原乃梨子さん、大山のぶ代さん、TARAKOさん…。声の出演という表記をCV(キャラクター・ヴォイス)とするのはやめてほしい、職安をハローワークと言うようになったのと同じとおっしゃっていたのに合点した。

今年は「不適切にもほどがある!」や「侍タイムスリッパ―」など、タイムスリップものが流行ったと言って、どの時代に戻りたいかという二人の掛け合いが面白かった。

タツオさんが挙げた1983年。僕が大学浪人していた年だ。日本シリーズは巨人―西武、ファミリーコンピューター、ディズニーランド、映画は「戦場のメリークリスマス」や「家族ゲーム」、中曽根首相の不沈空母発言もこの年だ。バブル前夜の時代が懐かしい。

居島さんは本能寺の変、関ヶ原合戦、忠臣蔵など色々あるが、100年以内に限定すると、まず1939年を挙げた。初場所、横綱・双葉山が70連勝ならず。平幕の安藝ノ海に外掛けで敗れたのだった。そして、1988年。九州場所、千代の富士が大乃国に敗れ、54連勝でストップした。同じ相撲ファンとしては嬉しい。

そして、1970年。11月25日。市ヶ谷陸上自衛隊で三島由紀夫が割腹自決するのを阻止したかったと。1972年。連合赤軍によるあさま山荘事件。居島さんの父親が朝日新聞の記者でこの記事を書き、母親が校正を担当していて、それがきっかけで結婚したそうだ。記事を読んで感動したのが馴れ初めというのは素敵ではないか。

そして、1948年。昭和23年。帝銀事件が起きた年である。GHQを名乗る男が帝銀椎名町支店に来て「集団赤痢が発生した。予防薬を飲め」と言って、毒物を飲ませて12人が死亡した。居島さんは小学校3年生のときに松本清張の「小説帝銀事件」を読み、感動し、読書感想文を提出、担任が戸惑ったそうだ。犯人とされたテンペラ画家の平沢貞通は死刑が確定するも、執行されず、95歳で獄中死している。居島さんは今でも平沢は冤罪だと思っていると熱く語るのが印象的だった。

グリコ・森永のキツネ目の男、3億円事件、下山事件などタイムスリップしたい事件は沢山ある中で、あえて帝銀事件を選んだ居島さんの見識に敬意を表したい。