きょんとちば 柳家喬太郎「マイノリ60S」、そして禁じられた噺 桃月庵白酒「付き馬」
「きょんとちば」VOL.5―マイノリ60S―に行きました。
「道具や」柳家小太郎/「掛取バンザイ」柳家喬太郎/短編芝居「かけおちね」千葉雅子・村上航(猫のホテル)/中入り/「マイノリ60S」柳家喬太郎
「マイノリ60S」。付かず離れず、離れず付かず。大学生だった男女が還暦を迎えるまでの40年間の甘く切ない、お互いを思う気持ちが底辺に流れる、これは“ラブストーリー”と言って良いと思う。随所に挟まる伊藤咲子の♬乙女のワルツが素敵だ。好きといえばいいのに、いつもいえぬままに…つらいだけの初恋、乙女のワルツ…。阿久悠の作詞が胸に響く。
日大のフジタと国学院大のスギシタの出会いは、ディズニーランドのバイト面接だった。同じ痛みを感じた二人は意気投合して、渋谷の居酒屋で「冗談じゃない!」と乾杯したのである。フジタは落研、スギシタは劇研、“同じ十字架”を背負っている、同じ匂いを感じたのだった。時は80年代、世の中がチャラチャラしていた時代だが、二人はそういう世相に背を向けて生き、よく飲んだ。
酔いつぶれて、小田急線を何往復することも少なくなかった。フジタは落語家になって、人間国宝の柳家小さんの次に園遊会に招待され、瀬戸内寂聴や中曾根康弘が居並ぶ中、妻と娘と同席する…という夢を見た。同じくスギシタは大河ドラマの収録で今川義元役の成田三樹夫などと一緒にNHKのスタジオにいる夢を見た。フジタの娘とスギシタの娘が同級生で、それぞれ「お芝居の勉強をしたい」「落語を習いたい」と言っているところが面白い。終点の片瀬江ノ島に着くと、空は青く、波は白かった。
やがてフジタもスギシタも就職した。スギシタが乃木坂のお洒落な焼き鳥屋で「会わせたい人がいる」とフジタを誘った。その人はハラさんと言って、駒沢大学のラグビー部出身で、現在は銀行マン。「将来を見据えて自動積立預金をしませんか」という勧誘だった。スギシタはハラに恋心を抱いていたようだが、ハラから「僕も結婚資金のために預金しているんです。彼女がハワイで挙式したいと言うので」と言われた。フジタと二人で「ふざけるなよ!」とおでん屋で飲み直した。
結局、フジタもスギシタも会社を辞め、フジタは落語家に入門、スギシタは劇団を立ち上げた。当時を振り返り、「初めは食えないことは判っていた。お金がどうこうじゃなかった。エネルギーに溢れ、楽しかった。若いっていい」。
スギシタが劇団の芝居の千秋楽を終え、シアタートップスで舞台装置の搬出を指示しているところ。フジタが同じ二ツ目仲間と一緒に「紀伊國屋寄席のポスターの志ん朝師匠に髭を描くんじゃないよ!」と言いながら末広亭の高座を終えて帰るところで、二人はバッタリと会う。スギシタが「三日目に芝居観に来ていたでしょ」と言い、フジタが「お前も池袋演芸場に来ていたの知っているよ」と返す。どこかでお互いを応援し合っているのがいい。
フジタは古典の本格派になるんだと言っておきながら、余興の仕事で収入面の心配がなくなり、いい気になっていることがあった。中野の芸能小劇場で独演会を開き、そこそこのお客さんを呼べるにはなっていたが、「天狗になっていたのかも」と振り返る。フジタがスギシタに連絡を取り、「金を貸してくれ」と頼んだことがあった。反社の女性に引っ掛かり、ばれたらヤバイので、金で解決しなければならないという。丁度、スギシタは商業演劇で2ヶ月の仕事の声が掛かり、前金で100万円貰える話があったところ。でも、同時に若い劇団の客演を頼まれ、本当はそっちの方がやりたいのだという。フジタは「俺、結婚するんだ」と告白し、何とか助けてほしいと懇願した。だが、スギシタは「私、決めた。商業演劇は断る。出たい芝居に出る」。後から判ったことだが、フジタが引っ掛かった女性は反社とは何も関係がなかったし、偶々フジタの結婚相手の知り合いに弁護士がいて、問題は解決したのだった。
反対にフジタが本多劇場の落語会の出演したときに、スギシタが「助けてほしい」と頼んだことがあった。スズナリで上演中の芝居で役者が一人、病気で休演しなくてはいけなくなって、その代演をフジタにしてほしいと言うのだ。「あなたは器用で、ざっくり覚えてざっくり演じるのが得意」だから出来るはずという。「砂の器」を脚色したシリアスな芝居だったが、引き受けた。そして、何とか乗り切った。スギシタはフジタに感謝し、「いつか、スズナリで落語が出来るといいね」と言った。
だが、演劇論となると人が変わったようだった。フジタは重い場面を払拭したいと笑いを求めておどけた演技をした。そのことをスギシタは責めた。演劇というのは脚本、演出、出演者、裏方すべてが心を一つにして作り上げるもの。それを壊してはいけないと主張したのだ。フジタは演劇も好きでちょいちょい観に行っている。芝居に出ないか?と声を掛けてもらったこともある。だが、断った。それは「スギシタの領域」に踏み込んではいけないと考えたからだ。
池袋で芝居のビラ配りをしているスギシタの姿をフジタが見かけ、声を掛けた。フジタには弟子が出来ていた。コフジタという名前だという。池袋演芸場に忘れ物を取りに、そのコフジタだけが戻って来た。コフジタが訊いた。「スギシタリョウコさんですか?…実在したんですね。師匠はいつも、俺のライバルはスギシタだと言っていますよ」。
お互いに還暦を迎えた。死ぬまで、あと何十年もない。何ができるのだろう。電車に揺れるスギシタ、そしてフジタ。酔いつぶれて電車を何往復もしてしまった。「久しぶりにやっちゃった!…いい天気だ。空が青い」。♬好きといえばいいのに、いつもいえぬままに…つらいだけの初恋、乙女のワルツ~。片瀬江ノ島と西武秩父。別々の終点に着いてしまった二人はずっと堅い絆で結ばれているはずだ。
上野鈴本演芸場十月下席四日目夜の部に行きました。桃月庵白酒師匠が主任で、「禁じられた噺」と題したネタ出し興行。きょうは「付き馬」だった。
「子ほめ」入船亭辰ぢろ/「千早ふる」金原亭馬太郎/紙切り 林家楽一/「ナースコール」三遊亭白鳥/「短命」柳家喬之助/漫才 風藤松原/「鋳掛屋」入船亭扇橋/「河豚鍋」春風亭一之輔/中入り/三味線漫談 林家あずみ/「粗忽の釘」隅田川馬石/奇術 ダーク広和/「付き馬」桃月庵白酒
白酒師匠の「付き馬」。主人公の男の若い衆を煙に巻くテクニックが圧巻である。店に上がるところから、「金貸しの叔母さんの代わりに取り立てに来た」と言って、「そっちは上がって欲しい、こっちは上がりたい。お互いに歩み寄らないか?」と強引に説き伏せて無一文で店で遊んでしまう。すごい。
翌朝、取り立て先が「まだ寝ている」「あそこ、あそこ」と曖昧に指を差し、若い衆に特定させず、ちょいと一廻りしようと大門を出て、土手に上がってしまう。不安そうな若い衆に「大丈夫。逃げないから。俺の顔を見ろ」。ここからは男の独壇場だ。
湯屋に入り、湯豆腐で飯を食い、お銚子を15本も空け、お勘定は若い衆に払わせる。正直ビアホールのサーバーの音、花やしきの機械仕掛けの象は本物より重い、日本のナイチンゲールと言われる瓜生岩子の像が人形焼きに似ている、浅草寺の鳩は目が笑っていない、餌を売るおばあさんが棒で殴る不条理、人形焼きは亀屋が好き、店頭の卵の殻は三日分、門もないのに雷門、5台に1台のボギー車…。パーパー喋り倒して、とうとう雷門を出ちゃった。若い衆の堪忍袋の緒が切れるのも致し方ない。
「わかっているよ、勘定だろ。もう中まで引き返すも面倒、田原町の伯父さんに都合して貰おう。文句ないだろ?」と言った後、「折角、仲良くなれたんだから。笑って!笑って!…ほら、笑顔の方が良いじゃないか」。仲良くもなっていないし、笑っている場合でもない。若い衆の気持ちがよくわかる。
早桶屋に入ってからのテクニックもすごい。大きな声で「おはようございます!おじさん…お願いがあって伺いました、おじさん!」。そして小声で「実はあの男、兄貴が腫れの病で死んじゃって、図抜け大一番小判型という早桶じゃないと入らない。あちこちで断られて困っているんです」。また大声になり、「拵えてくれないでしょうか…拵えていただける!ありがとうございます!」。おじさんが若い衆に「ちゃんと拵えてあげるから、安心しなさい」。ここで、男がサッと「私は用があるので、これで失礼…」。これほど失礼なことはない。
この後の若い衆と早桶屋の噛み合っているようで、嚙み合っていないやりとりが秀逸だ。「すいません、無理を言って」「いえいえ、商売ですから…この度はとんだことで」「いえ、結構あるんですよ」「だいぶ、長かった?」「いえ、昨夜一晩だけ」「急に来たというやつだ」「そう、ふいにいらっしゃった」「驚きました?」「いや、来るような気がしてました」「腫れたとか?」「惚れたか、腫れたか。昨夜、覗いたら良い塩梅だったようです」「そんなときに、朝方に逝っちゃったりするんだ」「イっちゃったんでしょうね!ハッハッハ!」「通夜は?」「芸者幇間あげて、どんちゃん騒ぎでした」「その方が仏様も喜ぶのかもね」「それはお喜びで、かっぽれ踊っていました」。
男の口八丁手八丁による無銭飲食遊興の犯罪だが、それを聴き手の気分を害することなく、寧ろ「あっぱれ!」と言いたくなる展開は白酒師匠の手腕のなせる業だろう。拍手喝采の高座だった。