春風亭昇太独演会「茶の湯」、そして気になる三人会 三遊亭萬橘「風呂敷」
春風亭昇太独演会に行きました。「長命」「親子酒」「茶の湯」の三席、開口一番は春風亭昇りんさんで「桃太郎」だった。
昇太師匠の「茶の湯」。マクラで高度経済成長期に企業戦士として会社のために働くことだけに汗を流した我々の父親世代が定年退職後に趣味を持っていないため、カメラに手を出して矢鱈と花の写真を撮って他人に見せて喜んでいるという話をした。これはとりもなおさず、一代で身代を築いたお店の主人が隠居の身となり、茶の湯に凝るというこの噺のテーマそのものだと感心した。年を取ってからだと他人の助言や意見を受け入れることが嫌になってしまい素直になれない。だから、若い頃から趣味を持つことの大切さを謳っている噺なのか!と膝を打った次第。
茶釜に炭を大量にぶちこみ、渋団扇で仰いで、湯がグラグラと煮えたぎるばかりか、釜を包まんばかりの炎があがり、この様子を「血が騒ぐね。風流だ」と喜んでいる隠居が面白い。青黄粉を“象の耳かき”で掬い、“竹くらげ”で搔き回すが泡立たない。椋の皮を買って来て、直接釜の中に入れて、「蟹の戦争みたい」と興奮している隠居と定吉。いざ、これを飲む段になると、私が習った流儀だと言って器の表面の泡を吹いて、隙を狙ってつかさず飲む。口の中に広がる異物感を振り払うように悶絶しながら飲みこむ“俺流の茶の湯”が抱腹絶倒だった。
夜は中野に移動して、「気になる三人会」に行きました。三遊亭萬橘師匠が「風呂敷」、田辺いちかさんが「出世浄瑠璃」、柳家喬太郎師匠が「品川発廿三時廿七分」だった。開口一番は三遊亭けろよんさんで「金明竹」だった。
萬橘師匠の「風呂敷」。「大変なことになった!」と慌てて兄貴分のところにやって来たおかみさん。「亭主が遅くなると言って出たのに、早く帰ってきちゃった。押し入れには新さんがいるのに!」。これに対し、兄貴分が「お前がやましいことをしているときに帰ってきたのか」と訊くと、「そんな女じゃありません!」と答えるも、「やましいことをしようとしているときに帰ってきたのか」と訊き直すと、顔を背けてしまうのが可笑しい。
実際、その夫婦宅を訪れると亭主が押し入れを背にどっしりと座っている。「遅いから寝ようよというのなら判るが、早いから寝ようよと言うのがわからない」という理屈は尤もだ。それに加えて自分の女房は「病気の小鳥を3羽殺しそうな顔」して言うんだという表現も面白いし、「俺は洗濯物を畳まないと寝れないんだ」と言うのは日頃、この夫婦では亭主が洗濯物を畳む係になる力関係なのかと想像させるのがとても良いと思った。
いちかさんの「出世浄瑠璃」。松本藩主の松平丹波守が「他言はしない。武士に二言はない」と約束して頼むので、上田藩の足軽の中村大助と尾上久蔵は碓井峠で浄瑠璃を披露したが…。三年後、丹波守は上田藩主の松平伊賀守にうっかり喋りそうになってしまうが、早速の機転で「猪を退治して助けてくれた」という武勇伝に差し替える。
伊賀守はこれを誉れに思い、家来の中村と尾上を呼び出し、「碓井峠の仔細」を物語ってくれという。この読み物の肝は、ここで尾上久蔵が講釈にして猪退治をさもあったことのように朗々と語り聞かせるところだろう。多少大袈裟であり得ないフィクションをリズムとテンポによって伊賀守を感心させてしまう。これはとりもなおさず、いちかさんの腕に説得力があるということでもある。
喬太郎師匠の「品川発廿三時廿七分」。先日のネタおろしで聴いたが、さらにブラッシュアップされた印象。品川で偶然見つけたお若につきまとう勘太が最終的にギャフンとなるのが良い。
吉原や品川で色々な女郎と寝たが、自分が大工として出入りしていた高根晋斎のところに居候していたお若ほど“いい女”はいないと岡惚れしていた。一度でいいからお若を抱きたいという邪な気持ちを持って神奈川までつきまとってきたが…。それが、これまた偶然に自分を勘当した親父の甚兵衛に出くわしてしまい、あえなく退散という…。三遊亭圓朝は運命の巡り合わせを紡ぐのが上手い。