べしらのてんこ 春風亭百栄「茶金」

「べしらのてんこ~百栄の古典勉強会」に行きました。春風亭百栄師匠が「鼻ほしい」「桑名船」「茶金」の三席。ゲストは漫才の湘南デストラーデさんだった。

百栄師匠の「茶金」、丁寧で良かった。茶金さんが清水寺の音羽の滝の茶店に腰を掛けて、湯呑を持って首を6回ひねったのを目撃した八五郎は是が非でもその茶碗を手に入れて儲けたいと必死なのが面白い。茶店の主人に「住めば都、俺は江戸から出てきたが、すっかりこの土地が気に入った。京に骨を埋める覚悟だ」と大嘘をつくが、茶店主人も同様に現場を目撃していて譲らない。すると、現金3両に、5両の価値はある商売道具をやるから譲れと迫り、それでも埒が明かないとなると、この湯呑を叩き壊すぞ!と脅すという強硬手段に出て手に入れる。なにせ、一回首をひねったら100両、ということは600両の値打ちがあるのだから必死になるのも無理はない。

翌日、茶金さんの店にこの湯吞を持って行き、目利きをしてもらおうとするが、番頭が応対すると、「あんたじゃ、目が届かない」と鼻息を荒くする気持ちもよくわかる。茶屋金兵衛自らが目利きするも、「十揃ってナンボという下の下の茶碗」と番頭と同じ答えを出されたとき、八五郎は「なぜだ!」という強い思いにかられたろう。だって、あんたは6回も首をひねったじゃないか!と。

音羽の滝の茶店のことを話すと、金兵衛はハッと思い出し、「この茶碗、洩るのや」。この意外性がこの噺の芯だ。ボタボタと垂れる、だがヒビもなければ、穴もない、何で洩るのや?と疑問に思い、はてな?と首をひねった。八五郎の「無闇に首をひねるなよ!」という台詞が可笑しい。

その後の金兵衛の対応が素晴らしい。「私の顔を信用していただいた。ありがとうございます。この茶碗、3両で買わせてもらいます」。そして、「あなたも商人なら、商売道具をバッタに売るのは良くない。商いの元として、5両貸しましょう。ある時払いの催促なしで良いです」。八五郎の博奕のような生き方を諭すところが、世間から“茶金さん”と親しまれる由縁だろう。

そして、この噺が面白いのはこの後の茶碗の行く末だ。茶金さんが「清水の音羽の滝に音してや茶碗も日々に森の下露」と歌を付けた。それを見たいという近衛殿下が見て「音なくてしたたり落つる清水焼はてなの高き茶碗なりけり」とさらに歌を付ける。最後には時の帝までが見たいと所望されるので、ご覧にいれると「洩りいでし岩間の清水流れてそ世に伝わりてはてなかるらん」と歌を重ねた。三つの歌が付くというのは上方の桂米朝師匠にはない演出で、古今亭志ん朝師匠が工夫した型だ。実に効果的である。

こうしてプレミアがどんどんついて「十揃ってナンボという下の下の茶碗」に豪商・鴻池善右衛門が千両の値を付けたのだから堪らない。結果、八五郎には300両が渡されるが、こうなると折角商人の道を諭されたのに、ギャンブラー根性が息を吹き返すというのが、いかにも落語で面白い。古典も面白い百栄師匠の一面を見ることができて、嬉しかった。