落語わん丈 三遊亭わん丈「思い出」、そして鈴本動物園 古今亭菊之丞「素人鰻」

「落語わん丈~三遊亭わん丈独演会」に行きました。「松山鏡」「思い出」「ウミガメのスープ」「お見立て」の四席。開口一番は三遊亭歌ん太さんで「桃太郎」だった。

「思い出」は「試し酒」などで知られる今村信雄先生が先代今輔師匠のために書いた作品で、今では落語芸術協会で3人しか演る人がいない噺だそうだ。前回の落語わん丈でゲスト出演した桂銀治さんがこの噺を演じ、わん丈師匠が是非教えてほしいと稽古をつけてもらって、今回の口演となった。

ある女房が古着屋に買い取りを頼んだが、自分の想定より安く値段をつけられ、その理由を古着屋に訊くと着物に僅かな傷があることを指摘される。だが、その傷には亭主との新婚時代の思い出がいっぱい詰まっていて、女房は夢中になって古着屋にその思い出を語るという…、ちょっと甘酸っぱい噺だ。

女房の着物のシミ。新婚当初に亭主が反物を買ってくれて、それで仕立てた着物を着て夫婦で歌舞伎見物に出掛けた。その帰り道、亭主の友人が声を掛け、「お連れさんは向島の芸者かい?」と間違えられて、女房は悋気を起こした。その詫びで箱根に温泉旅行に連れて行ってもらったときにできたシミ…。

亭主の結城紬のほつれ。三男が生まれたときに、亭主が「女の子だったら、名前を決めていたのに…ミサコ」と残念がった。ある日、亭主の財布から女性の名刺が出てきた。早乙女美佐子、と書いてある。亭主になぜ「ミサコ」にしようと思ったのかと問うと、「実家の隣のお嬢さんがミサコだった」「苗字は?」「早乙女」。今度は内ポケットから手紙が出てきた。「昨晩は嬉しゅうございました」という内容で送り主を見ると早乙女美佐子。それで女房が亭主の胸ぐらを掴んで詰め寄ったときに出来たのが、このほつれ…。

30年、40年経っても新婚時代の思い出を忘れずに胸にしまっておくような夫婦でありたいと思う。

「ウミガメのスープ」は新作ネタおろし。「ウミガメのスープ」という水平思考クイズが流行っているそうだ。ある謎について「はい」「いいえ」「関係ありません」のいずれかで答えられる質問を幾つもして、その謎を推理していくクイズ。この新作落語では出題者である亭主に対し、女房がその謎をスラスラと解いて、亭主がたじろいでしまうというところに妙味がある。こういう流行りをすぐに落語創作に生かしていくところが、わん丈師匠のすごいところだ。

夜は上野鈴本演芸場九月上席三日目夜の部に行きました。今席は古今亭菊之丞師匠が主任で、「鈴本動物園」と題したネタ出し興行だ。①妾馬②ねずみ③素人鰻④付き馬⑤らくだ⑥鼠穴⑦明烏⑧三味線栗毛⑨鰍沢⑩抜け雀。きょうは「素人鰻」だった。

「権助提灯」古今亭佑輔/江戸曲独楽 三増紋之助/「猫と金魚」春風亭一蔵/「転失気」古今亭菊太楼/三味線漫談 林家あずみ/「宮戸川」柳家小満ん/「匙加減」三遊亭歌奴/中入り/漫才 米粒写経/「駐車券」古今亭駒治/紙切り 林家楽一/「素人鰻」古今亭菊之丞

菊之丞師匠の「素人鰻」、別名「士族の商法」だ。寄席で「鰻屋」はよく掛かるが、「素人鰻」はほとんど掛からない。サゲは同じ「前に回って鰻に聞いてくれ」だが、酒癖の悪い鰻裂きである神田川の金さんを主人公に描くところが僕は好きだ。

世の中が明治維新で変わり、武士だった人間も他の町民と一緒に何かで生計を立てなければいけない。中村の旦那も汁粉屋でも始めようかと女房と話していたが、旧知の神田川の金さんが自分が手伝うから鰻屋を始めなさいと勧める。金さんは酒の上が良くなく、しくじりを重ねるのが難なので、中村の旦那も躊躇ったが、金さんの「酒を断って働く」という言葉を信じて鰻屋を始めたが…。

開業式に訪れた浅野の旦那が金さんに対し、「祝いだから三杯だけ飲みなさい」と酒を勧め、金さんが「さっき、金毘羅様に行って断ったばかり」と固辞していたが、「主人にも許しを得た」と言うので、飲むことにする。だが、飲み始めると三杯で収まる金さんではなかった。上機嫌にお喋りをしながら、ガブガブ飲む様子に主人が「よさぬか!」と怒ると、居直って毒づく金さん。終いには、御膳をひっくり返して店を出て行ってしまった。

金さんがいないと、鰻が捌けない。鰻屋を休業しなきゃいけない。主人が困っていると、金さんが吉原から馬を引っ張って帰ってきた。「何も覚えていないんです。すみません」と謝り、許しを得る。腕は良い。金さんの働きで店は盛況で喜ぶ。だが、夜に寝付かれないと酒を飲んで、また主人と喧嘩して店を出ていってしまう。仏の顔も三度。金さんがとうとう帰って来なくなってしまった。

仕方ない。主人は「わしがやる」と鰻と悪戦苦闘を繰り広げる。ここがいわゆる「鰻屋」と同じ部分だ。この鰻との格闘ぶりも愉しいけれど、やはり「素人鰻」の身上は「酒を断つ!」と心に決めても、どうしても酒を飲んでしまうばかりか、酒に飲まれてしまう神田川の金さんの人間的なところだと思う。上手に酒と付き合うことが出来ず、とことん飲んでしまい、挙句に我を忘れてしまう。そんな金さんを愛おしいとも思う。意思の弱さというのは人間、誰しもが持っているよなあ、意思が強ければもうちょっと自分はちゃんとした人間になれるのになあと僕も思うのである。