浪曲木馬亭定席 天中軒雲月「決戦 巌流島」、そして浅草九月上席 林家つる子「お菊の皿」
木馬亭の日本浪曲協会九月定席二日目に行きました。
「若き日の小村寿太郎」天中軒かおり・沢村博喜/「出世定九郎」三門綾・広沢美舟/「両国橋最後の勢揃い」港家小そめ・沢村博喜/「幡随院長兵衛の最期」東家孝太郎・沢村まみ/中入り/「左甚五郎 首」広沢菊春・広沢美舟/「円山応挙」神田陽乃丸/「金魚夢幻」玉川奈々福・沢村まみ/「決戦 巌流島」天中軒雲月・広沢美舟
孝太郎さんの「長兵衛の最期」。旗本奴の水野十郎左衛門と町奴の幡随院長兵衛の血で血を洗う対立。「いざこざを水に流して盃を交わし、手打ちにしよう」という水野の使者の口上は罠であることは重々承知した上で、長兵衛は子分に迷惑をかけたくないからと独りで水野の屋敷を訪ねるという決断に男を感じる。女房のおきんもそれを判っていて、「この世の別れ」と水盃を交わす…、お互いに理解し合っている夫婦像が素晴らしい。「覚悟はできています。どうぞ立派に死んでください」「それでこそ俺の女房だ。お前の内助の功あってこそ、親分とか元締めとか呼ばれて子分を従えることができた。今までありがとう」。男伊達の世界だなあ。
菊春さんの「首」。江戸に出て来て災難に遭い困っていた甚五郎を救った政五郎親方に対し、「能ある鷹は爪を隠す」を貫いていた甚五郎だが、仕事もせずに三度三度の飯と酒の面倒を見てくれた親方への恩は忘れていなかった。浅草奥山で行われる藪抜けでの大工の腕競べで甚五郎は千住の小塚原の仕置場を見分し、他を圧倒する恐ろしい彫り物を彫った。それが生首の彫り物。それもゲラゲラ笑う首という…。“まともに見ていられない”出来の良さという表現が面白い。その“首”が評判を呼び、大久保彦左衛門を介して将軍にまで御目通りしたという。甚五郎の名人譚は色々あって興味深い。
奈々福さんの「金魚夢幻」。スケールが大きくて、ユニークな新作で、何度聴いても面白い。金には無頓着だが、金魚のこととなると一生懸命な金魚師・伝助と彼が交配して育てた奇跡の青色の金魚、その名も「幻」の物語。その幻が世界一のオークション、クリスティーズに出品され、アラブの油田王が落札するが…。幻は日本の伝助がいる養魚場に帰りたいと、チグリス川からインド洋、マラッカ海峡を経て、日本のイージス艦もものともせずに、伝助の許へと戻ってくる。金魚師と金魚の間に流れる愛が美しい。
雲月先生の「巌流島」。聴く度に惹かれるのは、伊織が武蔵に投げかける「なぜ、小次郎と戦わなければいけないのですか?」という問いだ。小次郎に恨みがあるわけでもない、逆に小次郎が武蔵に恨みがあるわけでもない、なのに二人は船島で決闘をする。武蔵の答えは「同じ細川家のお抱えであり、剣を志す者、いずれかが死に、いずれかが傷つかなければいけない」。潔く雌雄を決するのが武士道であるという武蔵に、伊織は武士道とは悲しいものですねと言い、泣く。武蔵とて、勝ちたくもなく、負けたくもない。何のために死に、傷つくのか。「これがわしに与えられた避けがたい運命なのだ」と言う武蔵に哀愁を感じる。
夜は浅草演芸ホール九月上席二日目夜の部に行きました。今席は林家つる子師匠が主任を勤める興行だ。つる子師匠は7月の上野鈴本演芸場に続き、早くも2回目の主任である。ヒザは三味線漫談の林家あずみさんが勤めているのだが、二人は同じ林家で同期、同じ時期に根岸の海老名家で前座修業をした。「つる子がトリを取る芝居であずみがヒザを勤める日がいつか来る」ことをお互いに夢見ながら励まし合ったという。二人にとって感慨深い興行なのだ。
「つる」林家十八/「北斎の娘 シーボルトの注文」林家あんこ/「味噌豆」蝶花楼桃花/ジャグリング ストレート松浦/「饅頭こわい」桂三木助/「大安売り」林家鉄平/漫才 すず風にゃん子・金魚/「宮戸川」古今亭志ん輔/漫談 林家三平/太神楽 翁家勝丸/「狸賽」五街道雲助/中入り/「動物園」林家たこ蔵/漫談 林家ぺー/「熊の皮」古今亭文菊/「松山鏡」林家正蔵/三味線漫談 林家あずみ/「お菊の皿」林家つる子
つる子師匠の「お菊の皿」。普段寄席の15分高座でよく演じられる噺だが、これを彼女はトリの高座として立派に仕上げているのがすごいと思う。最初に怪談「番町皿屋敷」のあらましを本息で伝える。お菊の青山鉄山に対する怨念をしっかりとインプットする。その上で、長屋の若い衆がそのことを隠居から聞き終わったという体にして、「落語」に入るのだ。
江戸っ子の若い衆は“いい女”に目がない。生きていても、死んでいても、それが幽霊でも構わない。「まだ出る。6枚目あたりで戻ってくれば命に別状がない」と聞き、じゃあ、そのいい女に会いに行こう!と盛り上がる。ポジティブ思考なのが、いかにも落語になっている。
で、実際に番町の屋敷に行くと、井戸の中からお菊の幽霊が出てくる。ここはまた本息だ。三味線の幽霊三重と太鼓のうすどろが流れ、つる子師匠はリアリティを追求した形のお菊さんを演じて登場し、皿を数えるのだ。そして、それとは対照的に若い衆は「ここまで来たら、見なきゃ損!」「おお、いい女だ!」と大喜び。「怖かった」けど「いい女だった」…「毎晩でも見たい。明日も行こう!」と陽気だ。この陰陽のコントラストの付け方が実に巧みである。
その後は「落語」的展開で笑わせる。噂が噂を呼んで、見物客が増え、差し入れを食べ過ぎてすこしぽっちゃり体型になったとか、常連客が「待ってました!」「たっぷり!」と掛け声を掛けるとか、どんどん俗っぽくなっていく様子が面白い。
ついには興行師が現れ、大小屋に会場が移され、大仕掛けな舞台装置、お菊ちゃんの人気を当て込んだグッズ販売も多岐にわたり、商業的になっていく様子が可笑しい。そして、大人数を驚かすために当然、お菊さんの芝居もくさくなって、歌舞伎役者のように見得を切り、手を広げて拍手を求めるという…。お菊さんの了見もやさぐれてしまい、「飲まなきゃやっていられないんだよ!」。
本息の怪談的要素をしっかり描き込んだ上で、それが人気とともに幽霊なのに人間と同様に俗っぽくなっていく様子で笑いに昇華させていく。つる子師匠の演出力、計算力、技術の確かさが光る一席だった。