弁財亭和泉のThis is me 柳家喬太郎「二人の秘密」

「弁財亭和泉のThis is me」に行きました。和泉師匠は「夏の思い出」「夏の昼食」「私が私が」の三席。開口一番は柳家しろ八さんで「転失気」、ゲストは柳家喬太郎師匠で和泉作品「二人の秘密」だった。

喬太郎師匠の「二人の秘密」、素晴らしかった。和泉師匠が事前に自作の新作落語3本の台本をお渡しして、その中から喬太郎師匠がこの噺を選ばれたそうだ。和泉師匠が終演後に「一番、演っていただきたかった作品。以前からこの噺を喬太郎師匠に演じてもらえないかと思っていただけに、感慨も一入だ」とおっしゃっていた。

認知症になってしまった夫と介護する妻の奥深いところで流れている心の交流に涙を禁じえない。夫は妻が10年前に餅を喉に詰まらせて亡くなってしまったと思いこんでいる。そして、介護している妻のことはタキエさんという初恋の女性が面倒を見てくれていると思っている。妻としては耐えられないことのように思うが、妻は「見合いで結婚した夫だけど、家族のために一生懸命働いてくれたし、浮気もしなかったし、良い夫だった。だから最期まで世話をしたい」と考えているのが美しい。

夫は“タキエさん”に向かって、「死んだ女房はそそっかしくて、つまらない女でした。でも愚痴もこぼさずに尽くしてくれて、こんな男に長年付き合ってくれて、有難い女房でした」と言う。これが最上級の褒め言葉なのだと思う。映画「東京物語」の笠智衆の台詞を引用して、「もう少し優しくしてやればよかったかなあとは思います」。泣かせるじゃないか。

その上で夫は“タキエさん”に対し、告白するのだ。「あなたは運命の人だ。私のことをこんなにわかっている人はいない。私は親の決めた相手とお見合いをして、プロポーズもせずに結婚した。今、ようやく人を好きになるということがわかったような気がする。生涯、一緒にいてくれませんか」。

「まずは茶飲み友達からでいいです」と言う夫に、“タキエさん”こと妻はときめいた。複雑な心境だろうが、改めて「この夫の最期まで添い遂げよう」と思ったのではないか。娘のアカネに話したら、「お父さんは勝手なことを言って!」と思うだろうが、この老夫婦はこのときめきを“二人の秘密”にしようと思った。なんて素敵なことだろう。胸がキュンとなった。

和泉師匠の「夏の昼食」。今までの和泉落語のロジックにはない、新しい笑いにチャレンジした新作として面白かった。夏休み、小学校3年生のアキオは毎日お母さんの作る昼食が、素麺ばかり、たまに冷や麦、揖保乃糸だと不満を言う。これを聞いたお父さんは自分は会社で摂る昼食はコンビニのおにぎりばかり、たまにランチパック、そしてナイススティックだと訴える。

お母さんもアキオに対し、毎日ゲームばかり、たまにマンガ、YouTube、ネットフリックスだと叱る。これら、アキオの素麺その他、お父さんのおにぎりその他、お母さんのゲームその他を寿限無みたいに呪文のように唱えて三者がやりあう様子が実に愉快。且つその呪文みたいな言葉の羅列を連呼するうちに、聴き手の耳に心地良く残るのが身上の馬鹿馬鹿しい新作落語。こういう新しい分野を開拓できるのも和泉師匠の才能だと思う。

「私が私が」。何度聴いても、陶芸教室で知り合った小田原さんと青山さんの甘噛み風のマウントの取り合いのような喫茶店の会話が楽しい一席だ。

小田原さんは主婦だけど、美大出身で、知り合いに「お前の才能を埋めておくのは勿体ない」と言われ、アルバイト感覚でウェブデザイナーをやっている。春日に一戸建てのペンシルハウスを新築した。

青山さんは昔よくベルコモンズで買い物していたから、ベルという仇名を付けられて、今もそのベルという名前でSNSをやっている。雑誌の読者モデル(ドクモ)だったことが自慢で、太れない体質が悩み(?)。10歳以上若く見られ、今も21歳下の彼氏がいる。北千住、錦糸町、中野坂上と職を転々とし、今は実家の東小金井在住。

これらプロフィールのポジティブな部分をさりげなく主張すると同時に、逆に相手のネガティブな部分を遠回しにディスったりする。「女って、怖い!」と思うが、でも、「そういう会話ありそうだよね」と思う。喫茶店のアルバイトの大学1年生の男の子がメンタルをやられちゃう!と店長に訴えるのもわかるような気がする…。この作風は和泉師匠ならではだよなあと感心する高座だ。