講談協会定席 一龍斎貞花「左甚五郎 左小刀の由来」、そして林家きく麿「半ソボン」

お江戸上野広小路亭の講談協会定席に行きました。

「大久保彦左衛門 木村の梅」神田おりびあ/「木村又蔵 鎧の着逃げ」一龍斎貞介/「関取千両幟 盃相撲」一龍斎貞司/「小松菜の由来」宝井琴凌/「曾我物語」桃川鶴女/中入り/「仙台の鬼夫婦」一龍斎貞弥/「左甚五郎 左小刀の由来」一龍斎貞花

貞司さんの「盃相撲」。大坂相撲の実力者、稲川政右ヱ門が江戸相撲に出て来て幕内付け出しでデビューするも、強くて勝ち進むが人気がない。四日目に大関の伊予乃海と対戦、大関が押し倒しで勝ったと観客は喜んだが、行司の式守式部が勇み足を見逃さず、稲川が勝利した。この一番をきっかけに、式部が二人の仲を取り持ち、盃を交わしたことで、稲川を贔屓とする江戸っ子たちも増えていったという…。とても良い読み物だった。

琴凌先生の「小松菜の由来」。鷹狩りに出た将軍吉宗のことを吉宗と知らずに、一般人と同様のもてなしをした老婆とその孫の長左衛門の純粋が良い。提供された麦飯と菜っ葉のごまよごしを美味しく食べた吉宗が二人の境遇を聞いて、「敬老の志」と痛く感激し、青差五貫文の褒美を与え、納税も免除した。さらに提供された菜っ葉は土地の名を取って“小松菜”という名前が付けられたという…。相手が誰であろうと分け隔てないもてなしは尊い。

貞弥先生の「仙台の鬼夫婦」。剣術を疎かにして賭け碁に興じる夫の井伊直人に対して、薙刀での勝負を挑んだ妻のお貞はまさに良妻賢母の鑑だろう。最初に3年、次に2年、都合5年間を柳生道場で修業に励んだ直人は見事に隙のない免許皆伝の腕前の武士に成長した。これに対し、「これまでの無礼の段、お許しください」と頭を下げたお貞、あっぱれだ。2度の勝負の様子を情景が目に見えるように語る貞弥先生の芸の力もすごい。

貞花先生の「左小刀の由来」。栗原遠々江の一番弟子、滝五郎の義侠心に畏れ入る。大久保彦左衛門の依頼とはいえ、江戸からやって来て地元日光の棟梁・遠々江よりも良い評判を取ってしまった甚五郎に対する、遠々江の嫉妬心は「生かしておけない」と思うほどに強かった。それを丸く収めようとした滝五郎の尽力、そして覚悟は涙なしでは聴けない。

「甚五郎の首を斬って来い」という遠々江の命に対し、滝五郎はまず自分の女房のお春と息子の首を斬った。お春は今市の侠客、藤右衛門の妹。滝五郎の考えに理解を示して、首を差し出したのだろう。その上で、甚五郎の右腕を斬り、遠々江の左腕を斬った。そして、最後に自らは切腹。「甚五郎親方、どうか師匠と仲良くしてやってください」という言葉を遺して。

この滝五郎の覚悟に甚五郎も理解を示すところも良い。「あなたのおかみさんはまさに貞女だ。私も腕を斬られて嬉しく思う。喜んで師匠と兄弟分になりましょう」。なにも死ぬことはないと滝五郎を制止するも、滝五郎の決意は固く、「あの世でおかみさんとお子さんと三人で仲良くしなさいよ」。甚五郎の人柄もよく出ている。

さすがの遠々江も改心したのだろう。甚五郎と盃を交わし、遠々江が兄、甚五郎が弟という兄弟の契りを結ぶ。甚五郎は利き腕の右腕を失っても、大工を天職と心得、「左腕があるんだ」と片腕で彫り物に励んだ。三代将軍家光がこの話を聞いて、上野東照宮の門に雄龍と雌龍をそれぞれ遠々江と甚五郎に彫らせたという。天国の滝五郎はさぞ喜んだことだろう。

夜は上野鈴本演芸場八月下席九日目夜の部に行きました。今席は林家きく麿師匠が主任で、「笑劇!人生変えちゃう夏かもね」と題したネタ出し興行だ。きょうは「半ソボン」。大喜利では小林旭の「自動車ショー歌」を熱唱した。

「寄合酒」林家たたみ/「半日小屋」林家やま彦/太神楽 翁家社中/「鈴ヶ森」柳家勧之助/「いたばさみ」三遊亭天どん/紙切り 林家楽一/「遥かなるたぬきうどん」林家彦いち/「浮世床~夢」隅田川馬石/中入り/三味線漫談 林家あずみ/「背なで老いてる唐獅子牡丹」柳家はん治/ものまね 江戸家猫八/「半ソボン」林家きく麿

きく麿師匠の「半ソボン」。ソボンって何?と思ったら、半袖と半ズボンの合体語だった。新入社員として採用された男性22歳は、22年間半袖、半ズボンで生きているという。人事の吉田君は「頑張り屋さんだと思って」採用したと社長に説明するが、社長はそんな半袖半ズボンの男が社内にいたら嫌だ、内定は取り消せと言う。吉田君は「それだと不当解雇になって、マスコミに叩かれますよ」と言うが…。

実は社長は小学校6年間を半袖半ズボンで通学を貫いて、皆勤賞を貰った過去があった。でも、友達からは「鳥肌大将」とか、「ムチムチボディ」とか仇名されて、気持ち悪がられていたということを後年知ってショックを受けた過去があったのだ。

そして、人事の吉田君もまた小学校6年間を半袖半ズボンで通学を貫いて、皆勤賞を貰っていた。陰では「南国」とか「戦後の子」とか仇名されていた黒歴史があった。今でも同窓会で「お前、半袖半ズボンじゃないじゃないか!」と突っ込まれるのが嫌だった。

採用した新入社員を呼び出し、質問をする。「中学時代はどうしていたか」「学ランを切って着ていました」「高校は?」「私服の高校に行きました」「同窓会で半袖半ズボンじゃないのと訊かれない?」「今も半袖半ズボンですから」。

だが、社長も吉田君も「おかしい」と思った。「目に哀愁がない」からだという。新入社員に鋭く迫ると、彼は白状した。「新聞記事でここの会社の社長が半袖半ズボンで小学校6年間貫いたと書いてあって、気に入られるかなと思って」。詳しく聞いてみると、「私も小学校6年間、半ズボンだったんですけど、半袖ではありませんでした」。「ああ、それで足が出たんだ」。

きく麿師匠らしいユニークな視点が光る愉しい高座だった。