通し狂言「星合世十三團」、そして桃花三十一夜 蝶花楼桃花「小町」

七月大歌舞伎昼の部に行きました。通し狂言「星合世十三團」三幕十場。市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候、である。古典歌舞伎の三大名作の一つ「義経千本桜」のドラマ性に焦点を当て、娯楽性に富んだ演出や趣向で、源平の時代に生きた人間たちの運命と修羅を描くと謳うこの作品は、令和元年七月に当時の市川海老蔵によって初演され、好評を博した。今回は、團十郎を襲名しての再演である。

義経千本桜といえば、人気の芝居は3つ。俗称で書くと、「碇知盛」「すしや」そして「四の切」とも呼ばれる「川連法眼館」だ。この3つのストーリーをスピーディーかつエンターテインメント性溢れる演出をふんだんに取り入れて、4時間弱飽きることなく魅せてくれた。

そのエンターテインメント性の上で大きな役割を担ったのが、團十郎が13役を早替りで勤める演出だ。「碇知盛」の渡海屋銀平実は新中納言知盛、「すしや」のいがみの権太、「四の切」の佐藤忠信実は源九郎狐のほか、左大臣藤原朝方、卿の君、川越太郎、武蔵坊弁慶、入江丹蔵、主馬小金吾、鮨屋弥左衛門、弥助実は三位中将維盛、佐藤忠信、横川覚範実は能登守教経。すごい。

特に目をひいたのは、二幕目第三場の下市村釣瓶鮨屋の場だ。いがみの権太の父親・弥左衛門が営んでいる鮨屋。ここに弥助と名乗らせて匿っているのは、大恩ある平重盛の嫡男である維盛だ。だが、鎌倉から来た梶原景時が直々に詮議にやってきた。この様子を窺っていた父親から勘当されている権太は、維盛を訴人しようと銀を隠した鮨桶を抱えて駆け出す。だが、その鮨桶は弥左衛門が偽首を隠しておいた鮨桶だった…。

しばらくして、権太は維盛の首を討ったと言って、縄を掛けた維盛の妻・若葉の内侍と息子・六代君を引き連れ、鮨桶とともに梶原に引き渡す。これを見た弥左衛門は息子が褒美欲しさに親を裏切ったと思い、権太を斬りつける。だが、それは考え違いだった。権太は自分の女房の小せんと息子の善太郎に縄を打って、維盛の危機を救い、親孝行しようとしていたのだった。だが、斬られた権太はいきさつを話した後、生き絶えてしまう。

そして、弥左衛門の前には本物の維盛、若葉の内侍、六代君が現れる。維盛は権太の死を悼み、自らの髻を切り、若葉の内侍に六代君のことを頼む。さらに弥左衛門の娘・お里には両親への孝行を尽くすように諭す…。

この感動的な場面で、團十郎は権太、弥左衛門、弥助実は維盛の三役を何度も早替りで演じていく。ストーリーのメッセージ性は損なわずに、かつエンターテインメントとしての演出も楽しめるという、ある意味欲張りな趣向に感嘆した。

下手をすると、娯楽性に重きを置くために物語の味わいがどこかに飛んで行ってしまうところ、全体を通してこのバランスが素晴らしく、改めて補綴・演出を担当したスタッフの緻密な計算に感心する舞台だった。

夜は「桃花三十一夜~蝶花楼桃花31日間連続独演会」第24夜に行きました。僕は4回目の参加だ。前回の第17夜以降のネタおろしの演目は⑱追っかけ家族(林家きよ彦作)⑲馬のす⑳花見小僧㉑メルヘンもう半分(三遊亭白鳥作)㉒みんな知っている(林家彦いち作)㉓袈裟御前。そして、きょうは「小町」だった。

「鮑のし」金原亭駒介/「小町」蝶花楼桃花/「染色」林家彦三/「ナースコール」蝶花楼桃花

「小町」は立川小春志師匠に教わったそうだ。談志師匠直系の「小町」ということになる。八五郎が隠居宅を訪ね、飾ってある絵の説明を求めるところ。まず、義経四天王、徳川四天王があり、「雨具の四天王」などのクスグリを入れつつ、諸葛孔明が司馬仲達に攻め込まれたときの故事を挟み、最後に深草少将が小野小町に恋をして「百夜通え」と言われたが、九十九夜目に倒れた話に繋げた。前座噺とされるが、ここまで丁寧に(特に諸葛孔明の件)演じると、真打でも15分高座で十分掛けてよいネタに思えた。

彦三さんの「染色」。二代目圓歌が得意とし、三代目圓歌に師匠正雀が勧められたネタだそうで、珍品だ。元は吉原の花魁だった女房に裏切られ、親からも勘当され、世を儚んだ若旦那が身投げをしたが…、という噺。

助けてくれた船に乗っていた男に一部始終を打ち明けるところ、「一通り聞いてくださいまし」と芝居台詞になるが、これをもっと流暢に言えると良い。さらにここに三味線が入ると、なお良いと思う。それが肝だけに、彦三さんには大切に育ててほしい噺だ。