鈴本演芸場七月上席 林家つる子「浜野矩随」、そして桃花三十一夜 蝶花楼桃花「写真の仇討」

上野鈴本演芸場七月上席三日目夜の部に行きました。今席は昼の部が三遊亭わん丈師匠、夜の部が林家つる子師匠が主任を務める興行。定席の真打昇進披露が5月に終わったばかりで、さっそくの主任というのは、史上最速だそうだ。つる子師匠は初日に「しじみ売り」、二日目に「ねずみ」、そしてきょう三日目は「浜野矩随」…気合いの入れ方がすごい。

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つる子師匠の「浜野矩随」。母親が自害して死んでしまう型だ。こちらの方が矩随が名人を目指す覚悟がよく出て、噺が説得力を持つと思うのは僕だけだろうか。「母親を死なしてしまうのは残酷だ」という理由で、寸でのところで命が助かる演出にする噺家さんが大半だが、僕はつる子師匠の型を支持したい。

三本足の若駒を彫ってきた矩随に対し、若狭屋の厳しい言葉がまず良い。それでも職人か?本当のことを言うぞ。私がお前さんが持ってくる彫り物を何も言わずに「ご苦労さん」と一分で買い取るのは、いつかは名人になってほしいと思えばこそ、だ。世の中の大概の人は父親の矩安さんに対し、蜜に集まる蟻のように群がり、矩安さんが亡くなると蜘蛛の子を散らすように去って行った。私はそれに腹が立ち、お前さんの面倒を見てきた。だが、甘えすぎじゃないか?

さらに追い打ちをかける。金輪際、出入りはしないでくれ。縁切りとして、5両を渡す。間抜けは死んでしまえ。吾妻橋から大川に身を投げるとか、増上寺の松の木に首を括るとか、やり方はいくらでもある。お前の母親は私が実の母のように面倒を見るから。

矩随は観念する。父親がどれだけすごい人だったかは俺が一番よく知っている。死のう。あの人は間抜けだったが、死に方だけは立派だったと言われよう。そして、母親にはお伊勢参りに行く、自分にもしものことがあったら、若狭屋さんを頼りにしてくれと言う。だが、母親はすべてお見通しだ。「嘘をついているだろう。若狭屋さんに酷いことを言われたね。話してごらん」。矩随は素直に全てを打ち明ける。

母親も厳しい言葉を言うのがいい。「死になさい。止めやしない…だが、お前も職人だろう。老い先短い母に形見の品を彫ってくれ」。何も考えなくていい。おっかさんのために彫ってくれ。それがたとえ粗末なものでも、私は肌身離さず持っている。観音様を彫ってくれ。おとっつぁんは信仰心の篤い人だった。お立ち姿を彫っておくれ。

矩随は水垢離をして、部屋に閉じこもり、無心で彫る。母親も南無観世音菩薩と念仏を唱える。寝食を忘れて三日で彫り上げた。出来上がった観音様を見て、何も言わず母は手を合わせる。「今すぐ若狭屋へ行って、30両で売っておいで。ビタ一文負けるんじゃない。それが出来なかったら、帰ってこなくていい。それだけの価値のあるものだとおっかさんは思うよ。この観音様に会えて、おっかさんは嬉しいよ」。そして、母子は水盃を交わした。

矩随は若狭屋を訪ね、その観音様を見せる。若狭屋甚兵衛は見るなり、思わず手を合わせる。「まだあったんだね、先代の作が。よく持ってきてくれた」。この慈悲深い目、これは慈眼と言って、矩安さんが名人と言われる由縁。思わず頭が下がる、魂がこもっている、心が宿っている。「先代に会えた気持ちだ」と言う。いくらだい?と訊かれ、矩随が30両と言うと、あっさりと30両を出した。

矩随が泣いている。「私が彫ったものなんです」という矩随に、若狭屋が「嘘をつくと承知しないよ」と言って、銘を検めて驚く。「どうして、こんなものが彫れた?」。一部始終を話す矩随。

若狭屋が言う。これでいいんだ。今までは父が名人だったから、その真似ばかりをしていた。真似は猿真似と言って、猿にも出来る。その人にしか出来ないものを作って、初めて名人だ。「死ぬ気になれば何でもできる」と良く言うが、そんなに簡単じゃない。それをお前はやってのけた。観音様にその心が生きている。これで仲間に胸を張って言える。「この観音様を見ろ」と。

若狭屋に水盃の件を指摘され、慌てて自宅へ戻った矩随。だが、部屋中に線香の匂いが立ちこめ、母親は九寸五分で喉元を刺して、見事な最期を遂げていた。「おっかさん!若狭屋さんが褒めてくれたよ!倅は馬鹿だといくら言われても、彫り物を続けていたのは、おっかさんに喜んでもらうためだったんだ。それなのに、おっかさんがいなくなっちまうなんて…」。

この観音像を見られたのなら、この世に思い残すことはない…母親はそう思って天国に旅立ったのだろう。実際、矩随は父親よりも上手いのではないかと言われるくらい評判の腰元彫になったという…。説得力のある力強い高座だった。

「桃花三十一夜~蝶花楼桃花31日間連続独演会」第三夜に行きました。31日間連続ネタおろしに挑戦するという前代未聞の企画だ。第一夜は「地獄八景亡者戯(上)」、第二夜は「アニバーサリー」(柳家花いち作)、そして第三夜は「写真の仇討」だった。

「山号寺号」春風亭貫いち/「写真の仇討」蝶花楼桃花/「熊の皮」三遊亭萬都/「ピーチボーイ」蝶花楼桃花

「写真の仇討」は桂文雀師匠に教わったそうだ。珍品ネタを沢山持っている文雀師匠に、今回の企画をするにあたって、珍品ネタを習いたいとお願いしたところ、この噺を教えてくれたそうだ。

中国の故事、智伯が主人の仇を討とうと趙襄子の命を狙ったが、見破られて代わりに貰った着物を刀で突いたところ仇討ができたという話。八五郎が吉原の五月雨という花魁にふられたので、殺してやる!と短刀を持って鼻息荒く相談に来たので、叔父さんがこの中国の故事を引き合いに出して、花魁の写真を短刀で突くように勧めると…勢い余って手まで切ってしまった。「これで花魁と手が切れた」。桃花師匠の流暢な語り口が上手くはまった高座だと思った。