講談協会六月定席 神田あおい「一枚絵の女 難波屋おきた」

上野広小路亭の講談協会六月定席に行きました。

「黒田節由来」一龍斎貞奈/「一枚絵の女 難波屋おきた」神田あおい/「毒婦 雷お新」宝井一凛/中入り/「紺屋高尾」一龍斎貞鏡/「清水次郎長伝 お民の度胸」神田山緑

あおい先生の「難波屋おきた」。江戸時代は花魁でなくても、市井の女性を歌麿や豊國がモデルにして美人画を描くことがあったという。難波屋という茶店で奉公していたおきたもそうで、彼女の美人画の評判を聞いて難波屋に来る客もいた。要は昔は絵師が広告を描く役割を果たしていたのだろう。

このおきたには“いい人”がいた。貝塚三十郎という御家人である。彼が金を出して良い着物を買ってやり、それを着た様子を歌麿が描いた。だから、おきたの美貌だけでなく、着ている白絣の着物も江戸中の評判になるわけである。ただ、おきたには気がかりがあった。店の外からおきたの様子を覗く若い旅姿の僧侶だ。「あの方に似ている…」。そのことで、おきたの氏素性が知られるとまずいことがあったのだ。

あの方…源空という僧侶だが、昔は弥兵衛と言った。駿河の男だったが、お伊勢参りの道中で道に迷い、大雨も降って、雨宿りをした。その屋敷の主が親切に弥兵衛を家の中に招き入れ、泊まっていきなさいと言って、酒やご馳走を振舞ってくれた。一人娘が琴を弾いて聞かせてくれた。その娘こそ、誰あろうおきただった。

弥兵衛が主人の言葉に甘えて、数日滞在すると、おきたと恋仲になった。弥兵衛は主人におきたを妻に迎えたいと願い出た。主人も喜んだが、弥兵衛が婿としてこの家に入らないと、この縁談はなかったことにしてほしいと言う。弥兵衛も故郷駿河の両親のことを考えると、その条件は飲めなかった。主人は「では、お引き取りください」。

おきたは離れ離れになるのは嫌だと言い一緒に逃げようと言う。弥兵衛は「それはできない。一旦、駿河に帰るが、必ず戻ってくるから」と約束した。おきたは「一つお願いがある。この村を出るまで、誰とも口を利かないでください」。弥兵衛は了承した。

だが、村はずれの駄菓子屋のところで、喉が渇き、水筒に水を入れるお願いをした。これくらい口を利くのは良いだろう…と思って。駄菓子屋がどこから来たのか?と問うので、道に迷いこんでしまったと答えると、何もない村でしょう?と言う。立派なお屋敷がありましたと言うと、駄菓子屋は驚いて「行ったんですか?」と尋ねるので、「通り過ぎただけだ」と誤魔化した。

そして、駄菓子屋はあの屋敷の秘密を喋る。あそこは犬神のお頭の家、別名「とっつき」とも言うが、人に憑りつく悪霊の住む家なのだと。弥兵衛は恐ろしくなり、お伊勢様にお祈りをして、駿河の実家に帰ったが、すでに遅かった。呪われていたのだ。弥兵衛とおきたが恋仲になったときに、母親は狂い死にをしていた。弥兵衛は出家し、源空を名乗り、諸国を行脚した。そして、江戸浅草の茶店でおきたが奉公しているところを見つけたのだ。

貝塚三十郎がおきたに別れを告げに来た。あんなに愛してくれていたのに、なぜなのか?三十郎は理由を話す。貧乏御家人がこれまで贅沢に金を出していたのはどういうことか。本当は暮らしに余裕などなかった。では、一体金はどこから出ていたのか。わしが辻斬りをして稼いでいたのだ。最近この辺りで頻繁に出ると悪い噂になっていた辻斬りは私の仕業だったのだ。

追っ手が迫ってきているので逃げるという三十郎に、おきたは自分の血筋のせいだと思い、「私を連れて逃げてください」と懇願する。逃げる二人。その後ろから「おきたさん!」と呼ぶ声。源空だ。「覚えていますか?」に、「知りません!」と答えるおきた。

おきたは三十郎に、「あの人を斬ってください」と頼む。源空は手を合わせ、目を閉じ、「喜んで斬られます」。暫くして、源空が目を開くと、誰もいない。そして、源空は不動明王になっていた。その後、三十郎は亡くなり、おきたは尼になったという。何とも不思議な、でも魅力的な読み物だった。