新宿末廣亭六月下席 橘家文蔵「厩火事」

新宿末廣亭六月下席六日目夜の部に行きました。今席は橘家文蔵師匠が主任を務める10日間の興行だ。ちなみに、きょう落語協会の総会が開かれ、5期10年勤めた会長を柳亭市馬師匠(62)が勇退し、柳家さん喬師匠(75)が新会長に就任することが決まったそうだ。市馬師匠、お疲れ様でした。そして、さん喬師匠におかれましては十分健康に留意しながら、新しい落語協会を引っ張っていってほしいと切に願うばかりです。

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文蔵師匠の「厩火事」。お崎さんが「別れたい」と言って来た亭主の半公のことが、相談された旦那は「大嫌いなんだ!」と本気で思っていて、でもお崎さんは本当は亭主と別れたくないと言うから仕方なく“亭主の了見を試す”方法を伝授するところに妙味がある。

お崎さんが寝坊してしまったから「朝ご飯は鮭の焼いたので食べておくれ」と頼むのに、「俺は芋の煮たのが食べたい、芋を煮ろ!」と我儘な半公。その上、お崎さんが五軒目の近江屋の娘が癖毛で髪結の仕事に手間取り、帰宅が遅くなったら「どこ、ほっつき歩いていたんだ!どこで遊んできたんだ!」と怒鳴る半公。もうそれだけで、普通の女房だったら許せないだろう。即、離縁してもおかしくない。

旦那が語るお崎と半公の馴れ初め。旦那のところで働いていた半公は以前から「ずる賢い」ところがあって、「怠け癖」のある男だった。それがお崎といい仲になったと聞き、やめておけと言った。お崎はいずれ髪結床を持てるだけの腕と甲斐性があり、稼ぎも多い。一方の半公はお崎と一緒になんかなったら遊び呆けるだろう。だけど、お崎さんは惚れた弱み。「半さんのいない暮らしなんか考えられない。一緒になれないなら大川に身投げして死ぬ」と言う。そして、「あの人を食べさせるくらいの稼ぎはある」。仕方なく、夫婦になることを認めた。

結果は案の定。10日もしないうちに、半公は女房の稼ぎを充てにして昼から遊んでいる。その上、のべつ喧嘩している。旦那が3、4日前に昼間訪ねたら、半公の前の卓袱台の上に刺身一人前と一合徳利。飲むなとは言わないが、お崎さんが帰ってきてから、夫婦水入らずで飲めばいいじゃないか。その了見が気に食わない。

だが、ここでお崎さんが亭主を庇うのが判らない。あの人、怒りだすと鬼のような形相になって怖いんです。でも…怒鳴った後が優しいの。(なんだ、そりゃあ)お刺身だって10人前並べたわけでなし、お酒だって一升も二升も飲んでたわけではない。私が渡したお小遣いでやりくりしているんですから、他人からとやかく言われる筋じゃない。「じゃあ、どうしたいの?」と訊く旦那に、「もー!じれったい!」。私が七つも年上、おばあちゃんになって患って寝込んで、枕元であの人が若い娘とイチャイチャしたら、私は噛みつきたくても歯がないかもしれない。だから、あの人が伴白髪まで添い遂げてくれるか知りたいんです!旦那が「8年も辛抱した?よくもったね」。

人というのは綺麗な言葉を並べていても、腹の中では何を考えているか、判らない。ひょんなことからポロリと本音が出るものだ。旦那が唐土の孔子と麹町のさる旦那の両極端の例を出して、亭主を試してみろと提案するのは、半公の了見を試す意味で良いアイデアである。お前の身体のことを心配したら、脈がある。皿のことばかり言っていたら、お前たち夫婦はお終いだよ。お崎さんが「そりゃあ、私の身体に決まっている」と言うと、旦那が「割ってみないと判らないよお」。

で、お崎さんが帰宅すると、亭主は麹町のような顔をして怒っている。「ただいま!まだ怒っているの?」「また旦那のところに行っていたんだろ。俺たち夫婦のことは俺たちでまとめようぜ…おまんまの支度して待っていたんだ。夕飯くらい一緒に食いたいじゃないか」「お前さん、唐土だね…さあ、皿に取りかかろう」「おい!それは俺の大事にしている皿だろう!」「今、唐土だと思ったら、すぐ麴町になるんだから!」

お崎が皿を割ってしまうと、亭主は「大丈夫か?皿なんか銭出しゃ買える。怪我してないか?」「ありがたい。そんなに私のことが心配かい?」「そりゃあそうだ、明日から遊んで酒が飲めない」。いかにも落語的なサゲである。結局、半公の了見は変わっていないのである。それが人間の業だ。「髪結の亭主」という言葉があるけれど、それを地でいく男なのだ。お崎さんはこれで半公と離縁するか?いや、しないでしょう。そういうずる賢くて怠け者であるところを含めて惚れているのだから。