月例三三独演 柳家三三「心眼」
月例三三独演に行きました。柳家三三師匠が「心眼」と「質屋庫」の二席。開口一番は古今亭菊正さんで「鰻屋」だった。
「心眼」、ネタおろし。梅喜が横浜の療治から浅草の自宅に帰ってきたとき、家の前で出迎えた三匹の犬と戯れている描写が良い。クロ、ブチ、シロ。盲目なのに、この三匹の違いが判るの?と訊いた魚屋の亀坊に、「秘密があるんだ。掌に目があるんだ…」と冗談を言い、「鳴き声で判るんだ」と種を明かす。亀坊の背が伸びたことも、声の出方で判るんだという。なるほど、目が不自由な分、聴覚が発達するのか。亀坊に「兄ちゃんをずっと好きでいろよ」と最後に言う台詞は、横浜で弟の金公と何かあったことを暗示している…。
女房のおたけは梅喜の顔色を見て、金公と何かあったの?諍いでもしたのかい?と心配するのは流石だ。東京よりも横浜の方が景気が良いらしいと聞いて、梅喜は横浜にある弟の金公の家に泊りがけで出向き、按摩療治で稼ごうとしたが、さして儲からずに諦め、電車賃も惜しんで浅草の自宅まで歩いて帰ったと言う。だが、おたけに嘘はつけない。
本当は、金公に「どめくらの食い潰しが大きな面して、いつまでもいられたら困る」と嫌味を言われ、「どうして目が不自由なんだ」と悲しい気持ちになって、歩いて帰ってきたのだった。梅喜の「目が見えないからって、どうしてこうも辛抱しなきゃいけないんだ!」という言葉が胸を刺す。
茅場町のお薬師様に三七、二十一日日参すると、梅喜の目が明いた。上総屋の旦那に会い、良かったなあと一緒に喜んで帰る道すがら、人力車に乗った芸者を見かける。あの芸者は東京でも指折りの美人だと旦那が言うと、「うちの女房のおたけとどっちの器量が良いですか」と訊く梅喜に悪気はないのだろう。だが、旦那の「おたけさんは東京でも下から数えた方が早いほどの器量だ」に、「そりゃあ、みっともないですね」と言ってしまう。旦那は「器量は悪いかもしれないが、心根、気立ては東京一、いや日本一だ」と言っても聞く耳を持たない。梅喜の心に目が明いたことへの奢り高ぶりがあったと言っても過言ではないだろう。
春木屋の芸者、山野小春は東京一の芸者で、梅喜のことを「役者ばかりがいい男じゃない。男っぷりで言ったら、梅喜さんの方がいい男だよ。あの人と一苦労してみたいよ」と言っていた。このことを旦那から聞くと、梅喜は益々、盲目の自分と一緒に苦労をともにしたおたけの有難さを忘れてしまう。これも人間だったら誰もが持っている弱さなのかもしれない。
その小春が実際に目の前に現れ、お祝いに一杯やりましょうと梅喜と待合に入り、「私は何年も前から梅喜さんに岡惚れしていたの。でも、梅喜さんにはおたけさんというおかみさんがいるから…」と口にしたときの梅喜の態度は最悪だ。「あんな化けベソ、こっちの方から願い下げだ。叩き出しますよ。小春さん、一緒になりましょう」。ああ、何て酷いことを言ってしまうのだろう。
これを聞いたおたけが梅喜の首を絞めるところで、夢から醒める。そして、反省する梅喜。「自分の心の中に、あんな酷い自分がいるとは思わなかった。金公を恨んだけれど、一から百まで悪い、逆に一から百まで善人なんて人間はいないんだ」。この台詞に痺れた。
おたけがこれから茅場町のお薬師様に願掛けに行くんでしょう?と言うと、梅喜は答える。「目なんか見えなくていい。このままがいい」。自分のことを不幸だと嘆いてばかりではいけない、今ある幸せを大切にすることが大事なのではないか。そう、教えてくれた素晴らしい高座だった。