落語協会百年特別興行 桂文枝「ロンググッドバイ~言葉は虹の彼方に~」

上野鈴本演芸場六月中席初日昼の部に行きました。落語協会百年特別興行として、上方の桂文枝師匠が特別主任を勤める10日間である。文枝師匠が東京の寄席で主任を勤めるのは、2006年以来18年ぶり2回目とのこと。こういう風に組織の枠を超えて大きな企画が実現するのは素晴らしい。ちなみに初日のきょうは12時開場のところ、鈴本前に長蛇の列が出来てしまったため、開場時刻を40分以上早め、開演前には立ち見も入れて満員札止めとなる盛況だった。

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文枝師匠の「ロンググッドバイ」。笑いの中に、ホロリとさせるところがあって、さすがは創作落語の名手と感嘆した。調べたら、医学用語でアルツハイマー型認知症のことを「ロンググッドバイ」と呼ぶそうである。3年前に女房と死別した八十八歳のフジムラコウゾウさんは、息子夫婦の勧めもあって、同居を始めたが…。

お嫁さんが義父の毎日の行動を見て、少し認知症の疑いがあるのではないかと心配し、息子は父親を病院に連れて行き、医師の診断を受ける。「息子さんは外で待っていてください」と外させ、医師は「私は山田登という名前です。覚えやすいでしょう?でも、問診がしづらいから、この名札は机の上から三番目の引き出しにしまっておきますね」とコウゾウさんに言って、“30の質問”を始める。

第1問は「今朝、食べたものを教えてください」。「トースト、目玉焼き、味噌汁です。一週間前も、一カ月前も答えられますよ。だって、嫁の作る朝食は毎日同じメニューですから」とコウゾウさんは答え、「でも、女房のはつは料理が上手だった。毎日工夫をして色々な料理を作ってくれた…」。

はつとは私が会社の社員旅行の幹事をして城崎温泉に行ったときのバスガイドでね、それで知り合いました。バスの中では美空ひばりを歌ってくれ、「左手をご覧ください。爪が気になりませんか」と冗談を言い、旅館ではどじょう掬いの踊りを披露してくれました。「アラ、エッサッサー」という掛け声が私の胸をズキン!と射抜きました。その晩、打ち合わせと称して、部屋に呼んで、チップを渡しました。

その6ヶ月後には子宝に恵まれ、名前は安来節にちなんで「やすき」と付けました。私の両親と一緒に暮らしてもいいと言ってくれたのですが、両親が気をきかせてくれて、二人でアパートを見つけて、親子3人で暮らしました。はつはその後、子宮の病気になり、子どもは息子一人でした。その病気が元になり、3年前に亡くなりました。死の直前、「お父さん、ありがとう。出会えて良かった。でも、すぐにこっちへ来たらあかんよ。案内するところ、あちこち調べておくから。ゆっくり来てね」。そう言って、息を引き取りました…「で、先生、次の質問は?」。僕はこのとてもいい話にすっかり聞き入ってしまった。多分、この噺の中の医師も聞き入っていたんだと思う。

第2問は「立って靴下が履けますか?」。「立って履けるんですが、座って履くようにしています。はつが転ぶといけないから言って、私に靴下を履かせてくれたのを覚えています…」。息子が結婚してから、夫婦で週に1回は外食に行くようにしました。和食、中華、イタリアン、フレンチ…。その帰りには必ずカラオケに寄りました。決まって最後の曲は美空ひばりと鶴田浩二の♬夢の花かげをデュエットしました。

あこがれの花咲く夜は なげきの雨が降るという たとえ濡れようとしおれようと その花かげに身を寄せて 乙女は歌う 愛の歌

「で、先生、次の質問は?」。今度は文枝師匠が歌う♬夢の花かげに聞き入ってしまった。多分、この噺の中の医師も聞き入ったんだろう。

第3問「知っている野菜の名前を挙げてください」。コウゾウさんが定年退職したときの思い出を話す。もう少し働けるので、仕事を見つけようかなと言ったら、はつが「もう、ゆっくりしなさいよ。家庭菜園でもはじめましょう」と言ってくれた。色々な野菜を栽培しました。でも、はつの大根のおでんは忘れられないなあ。丁寧にかつらむきして、面取りして…。美味しかった。それに比べて、うちの嫁はおでんの袋詰めパックを買ってきて、そのまま鍋に入れるだけ…。

「で、先生、次の質問は?」に、医師は「もう、結構です」。コウゾウさんは認知症の微塵もないと判断したのだろう。「ところで、私の名前を覚えていますか?」「はい、山田登さん」「じゃあ、最後の質問です。私の名札はどこにありますか?」「この机の上から一番上の引き出しに」。上から3番目では?と思った医師が一番上の引き出しを開けると、何と名札が…。

高齢化社会における認知症は深刻な問題だ。今日のことはすぐ忘れても、昔のことはよく覚えているというお年寄りもよく見かける。周囲の人の気遣いひとつで、お年寄りも、そして介護する世代も気持ち良く暮らせることもあるのではないか。そんな温かいメッセージを文枝師匠の創作落語から感じ取った。