立川談春独演会「らくだ」、そして立川寸志「妾馬」

立川談春独演会に行きました。芸歴40周年記念の20回シリーズ、きょうは11回目だ。「棒鱈」「慶安太平記 吉田の焼打ち」「らくだ」の三席。

「らくだ」、素晴らしかった。図体がデカくて、幼い頃は嫌われたり、苛められたりした暗い過去をらくだは持っていて、だから笑うことができず、愛情を暴力でしか表現できない人間になってしまった…。そんな生前のらくだの哀しみが滲み出ているのがとても印象に残った。

丁の目の半次が屑屋に対し、「お得意に不幸があったら、働くのは当たり前だ」と言って、大家のところに行って、三升の酒と煮しめ、握り飯を持ってくるように言えと命じるところ。屑屋が「ここの大家は名代のしみったれ」、糊屋の婆さんが七十二で死んだときも、店賃が三つ溜まっているからと言って、線香をあげる義理もないと通夜に来なかったと話し、土台無理なお願いだと説明するが。

半次はそれならばと、死骸のやり場に困っている、煮て食うも焼いて食うも好きにしてください、なんだったら死骸にカンカンノウを踊らせると言ってみろという。そんなことが出来るのか?と屑屋が訊くと、半次は「踊るんだねえ」と少し笑みを浮かべて脅し文句を伝授するところ、只者ではない。

大家はそんな挑発にはびくともしない。踊らせろ!一度舐められたら、向こうの思う壺だ、上手く踊らせたら祝儀を切ってやると言って、塩を撒いて屑屋を追い払って負けていない。屑屋が「もう嫌だ!」と泣きじゃくって戻ると、半次は「誰にやられたんだ?ぶち殺してやるから!」。大家の態度を聞いて、半次は屑屋の背中にらくだの死骸を乗せて運び、「よく見てろ!」と大家の玄関先で本当に死骸にカンカンノウを踊らせる、やっぱり只者じゃない。

こんな怖いものなしの丁の目の半次だが、ウィークポイントがあるという演出が面白い。酒が弱いのである。屑屋に対し、清めの酒だと言って、一杯、二杯、三杯と勧め、「商売をしなきゃいけない。八つを頭に3人の子ども、年老いたおふくろと女房、それに店賃を入れて7人を養わないといけない」と屑屋は断るが、酒は滅法強くて、湯吞に注がれた酒を一気に飲み干してしまう。ところが、屑屋が半次に対し「酌をさせてください」と言うと、半次は「俺はチビチビ飲むのが好きなんだ。味わって飲むのが好きなんだ」と断る。

屑屋が「チビチビ?味わう?丁の目は酒が飲めねえんだ!」と高笑いすると、「飲もうと思えば、飲める。飲めばいいんだろう?」と無理やり飲むが、みるみるうちに半次の顔が紫色になり、「本当に弱いのか!」。グルグル回って、プシュプシュ言っている半次を見て、笑い飛ばす屑屋。もう立場は逆転である。

もうこうなったら、屑屋の独演会だ。一文も無くて、これだけの通夜をできるもんじゃない。長屋の衆もらくだからは酷い目に散々遭っているが、「死ねば仏だ」と言って、「強飯代だと思って」香典を持ってきてくれた。それに比べて、大家はなんだ。ただカンカンノウが怖かったから従っただけだ。

死ねば仏?らくだのどこが仏だ?以前、左甚五郎が彫った蛙があるから一分で買えと言われたことがあった。俺は元は古道具屋の若旦那だった。店に助けてください!と頼みに来た奴がいた。親父から自分の周りの蠅も追えない人間が世話してやるなんて、と怒られた。でも、俺は助けてやった。そうしたら、助けた奴に結果的に陥れられてしまった。人を見る目がなかったんだね。ああいう奴を鬼というんだ。

その頃の知り合いに麹町に蛙の彫り物を集めている旦那がいて、この蛙は甚五郎じゃないかもしれないけど、一両の値打ちがあると思った。カカアの笑う顔が浮かんだ。儲けで半襟を買ってやれる。子どもたちにも玉子焼きを食わせてやれる。おふくろにもみつ豆を食わせたい…。ところが、これが生きた蛙で、ピョン!と跳ねた。情けなくて笑っちゃった。そうしたら、らくだが「何がいけないんだ!」と言って、額を思い切り殴られて、血が出てきた。帰ろうとしたら、らくだが「待て!忘れ物だ!」と言って、蛙を俺の懐に入れたんだ。井戸で額の血を洗っていたら、カカアが傍まで来たけど、目を合わせられなかった。

この話を聞いて、オーオーと泣きじゃくる半次。「俺にはわかる。らくだはお前のことが好きだったんだよ。そんな形でしか好きと言えなかったんだよ。図体がデカいというだけで、嫌われて、苛められて…。あいつは笑ったことがなかったんだ」。これに続けて半次は屑屋に言う。「俺たちと同じ道は歩まないでくれ。兄貴は真っ当に働いてくれ。そして、子どもたちを喜ばせてあげてくれ」。

「らくだ」は単純な酒乱の噺ではない、人情噺でもある。そう思った、談春師匠の高座だった。

「寸志のねたおろし!~立川寸志勉強会」に行きました。「新聞記事」(ネタ卸し)と「妾馬」の二席。

「妾馬」。がさつだけれど、人間的な温かみがある八五郎の表現がとても良かった。お屋敷を訪ね、三太夫に案内されて、殿様に「朋友にもの申すようで良い」と言われた八五郎。目の前に沢山の御馳走を並べられ、「悪いなあ。土産にクサヤの干物でも持って来れば良かった」とか、「殿様、見栄は張らなくていいよ」とか。

妹を思い、「おつるはどうですか?いい奴ですよ。自慢の妹。表裏がないのが俺にそっくりなんだ。可愛がってやってください」。目の前におつるを発見すると、「あんちゃん!と呼べばいいじゃないか、バカ!俺は兄貴、お前は妹だよな?兄ちゃんがバカと言うときは、本当にバカと思っているわけじゃない…綺麗になったな。元から綺麗か、バカ!」。「同じ年頃の娘が町を歩いているのを見ると、気になっちゃってな」というのも、本音だろう。「こうやっているのも、殿様のお陰、感謝しなきゃいけないぞ。お前、具合はどうなの?」。産後の肥立ちを八五郎風にざっくばらんに訊くところなど、優しい兄じゃないか。

赤ん坊をちょっとだけ見せてくれないか?出てくるときに、おふくろがメソメソして言うんだ、初孫が見られない、身分の違いが悲しいって。だから、言ってやったんだ。大丈夫。俺がこの目に焼き付けてくる。俺の目を見ろって。でもな、孫の顔を見ないうちは死ねないと言っていた。今度はおふくろを呼んでやってくれないか。抱っこなんかしなくていい。遠くの方からでいい、見せてくれないか。

こう言って、八五郎は照れくさそうに「今の件、終わっていい?」。何とも優しい兄である。殿様から面会のお許しが出ると、「肩の荷が降りた」と言って、都々逸を唄う八五郎が何とも愛おしかった。