立川流前座勉強会、そして柳家喬太郎「錦の舞衣 其の壱 お須賀鞠信馴れ初め」

立川流前座勉強会「笑王丸とのの一(と吉笑)」に行きました。立川吉笑さんが後ろ盾になって、立川談笑門下五番弟子の立川笑王丸さんと立川志ら乃門下一番弟子の立川のの一さんが勉強する会だ。きょうは笑王丸さんが「出来心」と「幇間腹」、のの一さんが「粗忽長屋」と「看板のピン」、吉笑さんは「ぷるぷる」だった。

笑王丸さんの「出来心」。異様に貧しい家に入ってしまった泥棒先生、越中褌一本を盗み、土鍋の中のおじやを二杯食べただけなのに…。この家の住人、「泥棒…さあ、大変…じゃないか」。店賃が払えない言い訳にしようと大家さんに夜具布団に博多の帯、道中差に札束まで盗まれたと虚偽の報告、「裏は花色木綿、丈夫で暖か、寝冷えをしない」。これには流石の泥棒先生も怒りだすよね。普段の寄席では時間の関係だろうが、なかなか“花色木綿”にまで達せずに終わってしまう高座が多いが、前座さんでここまでしっかり聴かせられるというのは立派だ。

もう一席の「幇間腹」はオリジナリティ溢れるクスグリが盛り込まれ、面白い。伊勢屋の若旦那が“血沸き肉躍るエンターテインメント”はないか?と思っていたら、畳の上に鍼を見つけて、これだ!と目覚める。枕、蒟蒻、茄子、南瓜と手当たり次第に打ちまくり、“鼻から息しているもの”を求め、猫や犬にまで手を出して、最近近所で不審死が多いのはこれが原因か、と。

幇間の一八も、若旦那は数多くいるが、伊勢屋の若旦那ほど皆から嫌われている人はいないと最初から言うのが可笑しい。札束で頬を引っ叩き、丼に並々と入った酒を飲めと命じ、それを達成すると、その札はジンバブエドルだった…、だけど表と裏の一枚目だけで、あとはちゃんとした一万円札だったという、洒落がきつい。鍼は鍼でも、特注の畳針を取り出すところも同様で、その洒落のきつさが笑い所になっているのが面白い。

のの一さんの「粗忽長屋」。浅草雷門で行き倒れと出会った粗忽者、これは隣に住む熊さんだ!と言い張り、「自分が死んだのに気づかないんだ。当人を連れてきましょう」。熊さんに対しても、「死んだ心持ちがしない?生意気言うな。お前は初めて死んだんだから、心持ちなんか判るわけない」。

さらに雷門へ熊さんに死骸を引き取らせに行く道中も、「一回死んだくらいで慌てどうする?これからどうやって生きていくんだ。これから2回、3回あることだ」と説き伏せるのもすごい。また、世話人に対し「一つ訊くけど、お前はお前か?仮に俺がお前がお前じゃないと言ったら、お前はお前じゃなくなるのか?」という強硬な理屈のこね方に周囲も圧倒されてしまうのが面白かった。

もう一席の「看板のピン」。兄貴分の看板のピン作戦にすっかり感心して、真似をしに行く男。「壺皿から賽子が飛び出して、ピンの目が出ているよ!」と何度も親切に指摘されているのに、「いいから、張れ!」。その上で、看板の賽子を持って、「勝負は壺皿の中だと言ったろう!」。言っていないから!と突っ込まれる男が可笑しかった。

配信で文春落語 柳家喬太郎「錦の舞衣」連続口演 其の壱を観ました。三遊亭圓朝作「名人競 錦の舞衣」を4回に分けて口演する、その1回目、「お須賀鞠信馴れ初め」だ。

いずれ名人になると言われている絵師・狩野鞠信が恋煩いをした。その相手が踊りの名手・坂東須賀というところが素敵だ。「こういう女性だったら、女房に持ちたい。そうすれば、腕も上達するに違いない」。ところが、惚れた女が見向きもしれくれないと気鬱になり、絵筆も取れないという。心配した近江屋喜左衛門は鼈甲屋の金八に間に入ってもらい、口を利いてもらう…。

一方の坂東須賀。こちらも名人などなかなかなれやしない、30年したら…と考えている。自分に厳しいという点で、鞠信と共通しているのが良い。金八から鞠信の話を聞くと、「亭主など持ったら、腕が鈍ってしまう」と考えていた須賀だが、「鞠信先生だったら、必ず名人になる人。浮ついたところがない。二人で芸を磨いていける」と好意的だ。

だが…。ひとつ不満があった。鞠信が須賀が静御前を舞っている姿を描いた絵を持ち出し、「この絵の左手の使い方が判っていない」。「こんな絵を描くようでは、あの人は駄目だ」と言って、絵の左手の部分を墨で塗りつぶしてしまった。「これを見せてあげれば、鞠信先生もお判りになるでしょう」。

鞠信の反応も名人肌だ。「流石、お須賀さんだ。私が惚れただけのことはある。こういう人だからこそ、あの人の亭主になりたい」。よくぞ教えてくださった、と言って、鞠信は上方へ修業に出た。すごい。

6年で146枚、須賀の舞い姿を描いた鞠信は江戸へ戻る。迎える須賀は「お待ちしておりました。お帰りなさいまし」と言って、三つ指をついた。鞠信の堂々とした姿で、もう須賀には鞠信が名人の域に達していることがわかるようだ。「まだまだとは思うが、この絵を見てくれぬか」「私は絵についてはよく判りませんが」「絵など判らなくても、これを見て良いと思ってくれる人のために描いた」。

須賀の反応はすこぶる良いものだった。「良い静ね。私はこんな風に踊れたことがない。いつかこの絵のように舞えるように精進したいと思います」。鞠信は改めて、須賀に求婚する。「私でよろしいのですか」「あなたでなければ」。お互いを認め合い、共にお互いに道を究めていこうと誓い合う。こんな夫婦の有り様の美しさに痺れた高座だった。