真山隼人ツキイチ独演会「徂徠豆腐」
真山隼人ツキイチ独演会に行きました。曲師は沢村さくらさん。
死美人/エッセイ浪曲 根津組/中入り/徂徠豆腐
「徂徠豆腐」は故澤孝子師匠からいただいた演題。一昨年の5月22日に亡くなっており、去年も一周忌として6月のこの独演会で掛けているが、今年も三回忌ということで澤師匠を偲んで掛けた。そして、毎年6月には掛けていきたい、自分の成長の道標の演題としたいと語っていたのが印象的だった。
豆腐ほど美味いものはない、安くて、皮を剥く手間もない、骨を除く手間もない、と言って何もつけずにそのまま一丁の冷奴を食べる学者先生。上総屋七兵衛が「親父もそのまま食べるのが本当の味が判ると言っていました」と感心するのが良い。
一丁4文を「細かいのがない」と銭を払わずに5日続けて食べて、上総屋が「きょうはお釣りを持ってきました」と言うと、「細かいのがないのに、大きいのがあると思うか!」と払うあてがないことが明らかになっても、上総屋が激高しない人柄が好きだ。学者先生の言う「必ず支払いはする。拙者が世に出たときに」という約束を信じるところにもその人柄が出ている。学者先生の信念として、「本はこの身の魂。浪人しているとはいえ、魂だけは売りはせぬ」という武士としての誇りに惚れたのだろう。
おむすびを持ってきてあげるという上総屋の進言に、「商売ものなら、いつか返せる。米を恵んでもらうと乞食になってしまうから、断る」というのも、学者先生の信念だ。これを受けて、上総屋はおからを炊いて醤油で味付けしたものを“餌”として持ってきてあげるという。どこまでも優しい上総屋が素敵だ。
上総屋が風邪をひいて七日休んでいる間に、学者先生の家は貸家札が貼ってあり、転居した様子。干からびてしまったか?と夫婦で心配するのも情け深い。逆に上総屋は火事となり、店は全焼してしまった。友人の源兵衛のところに居候をする。
情けは人の為ならず。上総屋のところに、“さる方”から10両が届く。さらに焼け跡に新しい店を普請しているという。新築なった後、その“さる方”が訪れる。すっかり立派になった学者先生に、上総屋は気づかず、「細かいのがないから…」というフレーズで「冷奴の旦那!」と思い出すのも素敵だ。
この学者先生こそ、柳沢吉保の懐刀となり、800石で召し抱えられた荻生徂徠だ。赤穂浪士討ち入りに関して、四十六人を切腹という意見をした徂徠に対し、上総屋が「慈悲の心はないのか!こんなことなら助けてやるんじゃなかった」と言うと、徂徠は「その怒りはごもっとも」としながらも、なぜ赤穂浪士にそのような処分を下したかを丁寧に説明する姿が美しい。
仇は討ったは良けれども、法を犯せし罪は罪。その忠義心は末代までも語り継がれるが、討った浪士は腹を切らさなければならない。お判りくだされ、上総屋殿。
その上で、貧乏浪人をしていたときに助けてくれた上総屋に感謝を示す。先日の10両に加え、さらに10両で20両。豆腐の代金は20文だから、釣り合わないと言う上総屋に対し、「金に融通が利くようになった現在も、黄金の山よりもあの時の20文ほど尊いものはない。また、新築した店はおからの代わりに差し上げる」。
上総屋七兵衛と荻生徂徠。情け深い者同士の心の交流が素晴らしい。上総屋の豆腐は“出世豆腐”と称され、また上総屋のおからを食べるとどんな火災保険よりも有効だと評判を呼んだという。情けこそ人の鏡なり。良い読み物である。