貞鏡傳 一龍斎貞鏡「二度目の清書」

「貞鏡傳~一龍斎貞鏡ひとり会」に行きました。「那須与一 扇の的」「幡随院長兵衛 芝居の喧嘩」「忠臣義士 二度目の清書」の三席。

「二度目の清書」。必ず成就させなければいけない仇討、本懐を遂げるための大石内蔵助の苦渋の決断。討ち入りまでは肉親をも裏切らなければいけない心中いかばかりか。義父である石束源五兵衛に送った書面、そしてそれに添える言葉を寺坂吉右衛門から聞いたとき、源五兵衛は“大石の本意”を察した。武士と武士、男と男の間の目に見えぬ信頼関係というのだろうか。それが「心中よしなにご賢察を」であり、「委細承知仕った」という返答だったのだろうと思う。

内蔵助は花魁の高円を身請けして、自分の家に置くと言う。酒の酌をさせ、寝間の伽をさせ、そのかわり妻のお石には家事一切のことを任せるという。「高円が姉、お前は妹だ。姉の腰巻の洗濯もしてやってくれ」。十八で嫁ぎ、四十になるまで内蔵助に尽くしてきたお石にとって、なんという屈辱であろう。

実母のこと、次男の吉千代、三男の大三郎もお石の側に付くのは当然である。「男の子は男親につくのが本来」という内蔵助に対し、「狐女郎に子どもの養育など任せられるわけがありません」。お石自ら、三行半を書くように内蔵助に促し、子どもたちと義母のことを連れて但馬豊岡の実家に帰ると決断する。

内心はこんな非礼は申し訳ないと思っている内蔵助であるが、そこは心を鬼にして、家族が豊岡の石束源五兵衛の住み家に身を寄せることを許す。それもすべて仇討本懐を成功裏に収めるための段取りだ。吉良側に一寸の隙も見せてはいけない、敵を欺くための計略は万全を期さなければいけない。

これらのことを、一度目の書面と寺坂の「心中よしなにご賢察を」の言葉で察する石束もさすがである。実際には長男に家を継がせ、源五兵衛の名前も譲って、自らは石束廬山と名乗り隠居している身の上である。実の娘であるお石や孫2人らを迎えて、仔細については追及せず、温かく接するところも人物である。

そして迎えた元禄十五年極月十五日。寺坂吉右衛門が“二度目の清書”を持って、石束を訪ね、その書面を読み上げたときの喜びも一入だったろう。仇討本懐を見事に成就した旨を知り、お石ら家族もワッと歓喜に咽ぶ。そして、寺坂が討ち入り当日の模様の詳細を物語るのを聞き、さらに感激は最高潮に達するのである。

この寺坂の口上、八代目貞山先生が得意としていた演目で、その“謳い調子”が素晴らしかったという。その父親の得意を自分のものにして物語る貞鏡先生の姿を見て、近い将来に九代目貞山が誕生することが早くも楽しみになってきた。