落語協会黙認誌「そろそろ」05号 林家つる子と三遊亭わん丈

落語協会黙認誌「そろそろ」05号を読みました。

林家つる子師匠と三遊亭わん丈師匠の2人の定席での真打披露興行40日間が終わり、残すは5月21~25日の国立演芸場主催の紀尾井小ホール5日間のみとなった。鈴本大初日に買った「そろそろ」を読んだら、2人の新真打のインタビューが掲載されていて、興味深かった。

林家つる子師匠。古典落語の「子別れ」「芝浜」「紺屋高尾」を女性を主人公にする試みについて。正蔵師匠に「色々なことをやった方が良い。女性にしか表現できない落語があるはずだから」と言われたことが念頭にあって、2020年頃から取り組みはじめたという。

たまたま男性の演者が多かったので男性が主人公の噺が多いだけだと思っています。なので、私の落語も「女性目線」とか「おかみさん目線」っていうのだと違和感があって、最近は「おかみさんを主人公にして」っていう文言にしてもらっています。「おかみさんから描いた」というニュアンスです。元々ある噺の中にいる女性の登場人物を主人公に変えてみたという感じですね。

そのスタンスの取り方が素晴らしい。その上でさらに踏み込んで、こう言っている。

これをメインにしてやろうとは思っていません。こういう噺が好きだと思ってくださる方も多いので、もちろんこのジャンルも深堀りはしていきたいですけど。この取り組みによって、他の噺でも登場人物に対する感情移入とか、人物の心を深読みするという癖がついたので、色々な噺に役立てば良いなあと思いますね。

今回の披露興行で僕は「紺屋高尾」と「芝浜」をそれぞれ、高尾太夫とおかみさんを主人公にした高座を聴いて、素晴らしいと思ったが、と同時に鼠小僧次郎吉版ではない「しじみ売り」に深く感銘を受けた。しじみ売りの少年や施しをしてあげた稲葉屋清五郎の感情表現に舌を巻いた。これからも彫りの深い落語を構築していく姿が見て取れた。

三遊亭わん丈師匠。円丈師匠に対する感謝の気持ち、そしてそこから派生する落語界における「師匠と弟子の関係性」について言及しているのが印象に残った。

弟子入りなんて、先にこっちから理不尽を吹っ掛けてるわけやん。タダで芸を教えてください、飯を食える一人前にしてください、この業界に入れてください、ってとんでもない理不尽をしてる。だから師匠から多少の理不尽や出来てないことで怒られるなんて当たり前。

ハラスメントを容認するわけではないが、師匠と弟子にしか判らない“程の良い関係性”はあるように思う。師匠は常に弟子の成長を見ていて、適宜にアドバイスをしてくれたという。

前座の終わり頃、二ツ目昇進が決まったくらいに初めての長講で「井戸の茶碗」を覚えたのね。その後円丈が「見せてみろ」って聞いてくれたの。そしたら「お前、全員にスポットを当てるな。落語はスポットを当てるのは2人まで。この噺は屑屋にスポットは当然当たるから、あとは高木か千代田、どっちに当てるか選べ」って言われて。落語の技術論だよね。だから今でも困った時に助けてくれるのは師匠なんだね。

素晴らしい師匠ではないか。最後に、古典と新作のバランスについて質問されると、わん丈師匠らしい答えが返ってきた。

どちらもなにも、この業界にいるのは伝統芸能の「中継者」でしょ。だから教えられたことは全部吸収して、あとから入ってくる人に伝えなきゃいけないじゃない。で、まだ今の俺にはそのどれが自分に向いてるかなんてわからない。だからなんでもやるのよ。とにかくやるんだよ。

40日間すべてネタを変え、即興三題噺まで挑戦した披露興行。その「とにかくなんでもやる」意欲的な姿勢がはっきりと見て取れたのが嬉しかった。