立川談春独演会「紺屋高尾」、そして談吉百席 立川談吉「ゲル状のもの」

立川談春独演会に行きました。芸歴40周年記念の20回シリーズ、きょうは8回目である。「かぼちゃ屋」「三方一両損」「紺屋高尾」の三席。

「紺屋高尾」。相変わらず、久蔵の一途な思いが良い。所帯を持つことにしました。親方は知らない人です。吉原の女性です。いけませんか?花魁道中を見て、綺麗というのはこういうことか、と思いました。決めました。三浦屋の高尾と一緒になります。とても親切な人です。目が合ったら、笑ってくれました。

親方が「住む世界が違う」と言っても、通じない。夢は叶えるためにあるが、お前の言っていることは叶えられない、それは夢ではなくて憧れだ。そう言っても、久蔵の気持ちは曇らない。仕方なく、「3年一生懸命働いて15両貯めろ、そうしたら会わせてやる」と言うと、久蔵は本気で「15両貯めれば、会えるんですね!」と目をキラキラさせ、案の定3年寝る間も惜しんで働いた。すごい。

結果、久蔵は3年で18両2分を貯めた。幇間医者の薮井竹庵先生に頼んで、「一目でいいから、高尾に会いたい」という気持ちを成就させるように周囲が動いた。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにして、着物から髪まで身なりを整えてあげた親方や職場の仲間も偉い。

茶屋で名指しをすると、偶然にも高尾が空いていた。贅を尽くした部屋に通され、厚手の布団に座っていると、高尾太夫が入ってきた。横座りになる。「主、一服吸いなんし」「あい、あい」。久蔵は震えが止まらず、目を合わすこともできなかった。それでも、高尾は最上級のもてなしをして、久蔵を一人前の男にしてくれた。眠れない。「烏よ、鳴くな」と心で念じたが、朝が来た。

吸いつけ煙草を渡し、高尾が訊く。「お裏はいつざますか。今度、いつ来てくんなますか」。久蔵は正直に答えてしまう。「3年経ったら、また来ます。3年経たないと来れないんです。金がないんです」。「主は野田の醬油問屋の若旦那では?」「嘘なんです。騙すつもりはなかった。3年前に花魁道中を見て、一目惚れしました。会えないと知ると、患った。金を貯めれば会わせてやると言われ、信じました。一生懸命働きました」。久蔵の正直が溢れ出す。

でも、あっしも馬鹿じゃない。金を貯めても会える人じゃないことくらい、判りました。でも、諦めちゃうと倒れちゃう。皆が親切にしてくれるんですよ。それで、会えると思っていればいいと考えるようにした。一つ決めたんです。「会いたい」と言ってはいけないと。でも、「会いたい」と言ってしまった。そして、皆が世話してくれて、結果、会えました。嬉しかった。

もう一遍、会いに来ます。今度は2年半で来ます。死ぬ気で働きます。今度は久蔵として来ます。会ってやってください。でも、これが最初で最後かもしれない。頼みがあります。この広い江戸の空の下で、もう一遍会えると信じています。そのとき、花魁はどこかのご新造になっているかもしれない。でも、木で鼻を括るように横を向かないでください。目を見て、「久さん、元気?」と言ってください。その一言であっしは生きていくことができます。嘘をついて、ごめんなさい。

高尾は涙をこぼしながら、「その話は本当ざますか?」と問う。久蔵は青く染まった指先を見せる。「正真正銘、紺屋の職人です」。「あちきは来年3月15日、年季が明けるざます。あちきのような者でも、主の女房はんにしてくんなますか?」「その気になるから、やめてください」。だが、高尾は両目からボロボロと涙をこぼし、「主の正直に惚れんした」。後日の証拠に、30両が入った財布と頭に差していた簪を渡す。そして、こう言う。「この里に二度と足を運ぶことはなりません」。

明治になって西洋文化が入ってきて、「I  Love You」を「あなたとならば死んでもいい」とある文学者が訳したという。傾城に誠なしとは誰が言うた。江戸時代に“愛”という概念はなかったかもしれないが、高尾太夫と久蔵の間にあるものはまさしく愛である。そう思った高座だった。

夜は池袋に移動して、「談吉百席~立川談吉落語会」に行きました。「置き泥」「ゲル状のもの」「花見の仇討」の三席。

「花見の仇討」、ネタ卸し。汝は富士そば茹で太郎よな!には笑ったが、ギャグは少なめ。巡礼兄弟役の二人に笑いの重点を置く噺家さんが多いが、談吉さんは「飛鳥山がひっくり返るような花見の趣向」を考えた浪人役を買って出た建具屋の熊さんの造型が面白かった。巡礼兄弟がなかなか到着せずに、「もう煙草はやめよう」と思うほど待ちくたびれた熊さん。目が血走って、芝居のはずなのに、刀を矢鱈目鱈と振り回すという…。

「ゲル状のもの」は渋谷らくごの「しゃべっちゃいなよ」でネタ卸しした高座を今月13日に配信で聴いて以来、2回目だが、噺がこなれてきて、奇想天外な面白さがさらにアップした。

“ゲル状のもの”の擬人化が実に愉しい。パイプに詰まっていたのを除去した水道業者のバンドウさんの自宅に、「親方、先ほどは助けて頂き、ありがとうございました」と礼に来るところから腹がよじれる。「何とか恩返しをしたい」と車の後を追って来たという“ゲル状のもの”に対し、バンドウさんは「別に助けようと思って助けたわけじゃない」と言うが、そんなに言うなら「話し相手になってくれ」と言って、“ゲル状のもの”に「ゼリー」と名前を付けて、一緒に暮らす…。確か、前回のネタ卸しでは、この命名は無かったはずだ。これが良い。

ある日、バンドウさんが風邪をひいて帰宅すると、ゼリーは「何かしてあげたい」と“冷えピタ”を連想し、自分が一晩中バンドウさんに貼り付いて、熱を冷ましてあげる献身的な看病をする。「役に立ちたかったんでやんす」というゼリーの台詞が泣かせるではないか。

その看病によって、ゼリーは溶けてしまい、小さくなり、液体と化していく…。「友達になってくれて楽しかったでやんす。さようなら」。そのとき、バンドウさんの涙がこぼれ落ち、液体がモコモコと盛り上がって、“ゲル状のもの”としてのゼリーが生き返る奇跡が!素敵な人情噺の仕上がりに拍手喝采である。