落語一之輔春秋三夜 第一夜 春風亭一之輔「おせつ徳三郎」

「落語一之輔春秋三夜」2024春の第一夜に行きました。春風亭一之輔師匠は「松山鏡」(ネタ卸し)「花見小僧」「刀屋」の三席、開口一番は春風亭㐂いちさんで「風呂敷」だった。

中入りを挟んで「花見小僧」と「刀屋」、つまり「おせつ徳三郎」通し口演。「花見小僧」は笑い沢山かつライトな高座。定吉が旦那から灸を据えるぞと脅されることもなく、お小遣い欲しさに去年の花見の一件をペラペラと楽しそうにお喋りする。牛の御前様のお詣りや山王祭の山車の描写など、定吉の無邪気で無垢な感じが、徳三郎とは対照的で良かった。

屋形船に乗った芸者を見て、徳三郎が綺麗だなあと言うと、おせつは悋気を起こし、徳三郎が両手をついて謝る。すると、おせつが「末には亭主になろうという人がそんな風に手をついて謝るものじゃありません」と言うところ、本当にこの二人は“いい仲”なのだなあと思った。

そして「刀屋」。しっかりと聴かせてくれた。「兎に角、切れる刀」「滅茶苦茶に切れる刀」と頭に血がのぼっている徳三郎に対し、刀屋主人が冷静に応対している様子が良い。若いときというのは色々なことがある、腹が立つようなこと、満座の中で恥をかかされるようなこと、惚れた女に裏切られるようなこと…いっそ、殺してしまえ!と思ってしまうこともあるが、一度頭を冷やした方がいい。

徳三郎に年齢を訊き、「二十三」と知ると、自分にも同い年の倅がいたが、三道楽に凝って、金を使い込む大馬鹿野郎で、3年前に勘当したと言う。だが、親というのは因果な商売で、「あいつは今、どうしているのか?」と心配してしまう。あなた(徳三郎)を見ると他人のような気がしない。話を聞きます。どうされたんですか?何かあったんでしょう?と、その場で泣いている徳三郎を促す。

二親に死に別れ、叔父のところに預かってもらっているが、自分の父親はこんな父親だったかな?と思い、泣いてしまったと徳三郎。「どっちが悪いというんですか!」と叫んだ後、“私の友達の話”として話し出す。友達はあるお店に奉公していたが、そこの綺麗なお嬢様といい仲になった。決して唆したわけでなく、自然とそういう関係になった。それが旦那に知れ、暇を出された。そして、そのお嬢様は婿を取ることになった。あれだけ堅い約束をしたのに…。

だから、婚礼に乗り込んでお嬢様と婿を切り殺し、自分も死ぬのだという。これを聞いて、刀屋主人は「それはとんでもない。大馬鹿野郎だ。お嬢様の気持ちは判っているのか?」と言う。判ろうとしないのがいけない。きっとお嬢様は身を切られるような辛い思いをしている。もし、喜んで婿を迎えるのであれば、「その程度の女だった」と諦めなさい。

なぜ、お嬢様の気持ちを汲んでやらないのだ。人を切っても何もならない。もうこれ以上は傷つくことはない。刀は人の縁を断ち切る、物騒なモノだ。刀は収めて、あなたには人と人の縁をつなぐ人になってもらいたい。刀屋主人の台詞が心に沁みる。

そして、お嬢様が婚礼を抜け出したと聞いた徳三郎は刀屋を飛び出す。そして、両国橋の真ん中におせつを見つけた徳三郎は駆け寄る。「私、謝らなきゃいけない。お前と一緒になりたくて、逃げてきたの」「疑ってしまい申し訳ございません。お許しください。一緒になりましょう」「この世で添い遂げるのは無理」「あの世の蓮の上で一緒になりましょう」。二人は南無阿弥陀仏を唱えて、橋から身投げをした…。

ところが、二人は船の上に落ち、助かった。そして、その船頭が刀屋の倅だった。迷子探しをしていた旦那は助かったおせつと徳三郎を見て、「すまなかった。私が悪かった。この父親を勘弁しておくれ。一緒におなり」。二人は「ありがとうございます!」。刀屋の倅は勘当が揺れ、おせつと徳三郎の婚礼は刀屋主人が仲人になったというハッピーエンド。心中終わりにしないのは、さん喬師匠の型だと思うが、何よりも若気の至りを諭す刀屋主人の言葉が胸に響く高座だった。