奈々福・太福姉弟会、そして月例三三独演 柳家三三「一人酒盛」「山崎屋」

「浪曲浮かれナイト~玉川奈々福・玉川太福姉弟会」に行きました。

太福先生は「天保水滸伝 繁蔵売り出す」。下総須賀山村の岩瀬源右衛門の三男の繁蔵が銚子の木村屋五郎蔵一家に草鞋を脱ごうといた経緯を丁寧に描く。身体が大きく、土地の草相撲では大関を張った繁蔵だが、ちょっとした諍いからマムシの勘太を投げ飛ばし、石地蔵に頭をぶつけた勘太は死んでしまった。もう、この土地にはいられない。父親の紹介で江戸相撲の駒ヶ岳親方のところに入門し、林尾繁蔵の四股名で十両三枚目まで昇格した。

雨天で興行が中止になった日に、料亭で横綱の稲妻雷五郎の弟子の虹ヶ嶽とひと悶着をおこしてしまう。実際は虹ヶ嶽が「30両貸せ」と無茶を言って、それを繁蔵がいなして一喝しただけの話なのだが。翌日の取組は林尾に虹ヶ嶽の対戦が組まれ、遺恨相撲に。繫蔵が圧倒的に勝利して、虹ヶ嶽は再起不能の身体になってしまう。それでは稲妻親方に済まないと繁蔵は江戸相撲を辞め、任侠の世界に入るため、五郎蔵親分の許を訪ねたわけだ。

繫蔵は腕っぷしが強いだけでなく、度胸もあり、男前。五郎蔵親分のすっかりお気に入りとなり、めきめきと頭角を現す。すると、十一屋の親分、流鏑馬の甚蔵が自分の跡目にほしいという強い要望もあり、十一屋に収まる。一方、五郎蔵親分の配下だった飯岡助五郎は五郎蔵の跡目となり、これから笹川vs飯岡の抗争がはじまる…。天保水滸伝の序開きを判りやすく、そして興味深く聴かせてくれた。

奈々福先生の「おづのおんつぁま」。今月5日の「喬太郎兄サンにふられたいっ!」でネタ卸しした新作を再度聴くことができた。日本の山岳信仰、修験道。奈々福先生が実際に出羽三山に山伏修行した体験記を浪曲化したものだ。白装束に身を包み、月山山頂の神社をお詣りして、日本海と佐渡島、庄内平野を一望して一泊したまでは極々普通の登山だが…。翌朝、さあ下山というときに先達さんが「これから秘所に行きましょう」と言って、杖を置いて、断崖絶壁を鉄梯子で降りることになった奈々福さんが体験した神秘の世界とは…。

男の子と女の子が「飛んでしまえ!」と呼びかけ、田中泯さんによく似た「おづのおんつぁま」と呼ばれる山伏のような男に出逢ってからの不思議な世界。湖と森と滝、そして鳥の声…まるで楽園に来たようだ。おづさんからは「声を出してみろ」と言われ、思い切り浪曲を唸ると、その気持ちの良いこと。そして、その後に体験したノイズキャンセリング。おづさん曰く「山と響きを同じゅうする」。山伏修行の不思議体験を興味深く聴かせてくれた。

夜は霞ヶ関に移動して、月例三三独演に行きました。柳家三三師匠は「一人酒盛」と「山崎屋」の二席。開口一番は柳家あお馬さんで「道灌」だった。

「一人酒盛」、ネタ卸し。熊さんの身勝手さ、それとは対照的な留さんのお人好しを見事に描いて、この噺の肝を十分に堪能した。女房がいないと家事が一切出来ない熊さんは、“ガキの時分から気の合う友人”という留さんに美味い酒という餌をちらつかせながら、図々しくこき使う様子は聴き手も苛々してしまうほどだ。

知り合いから貰った「灘の生のまんまの酒」、「酒蔵からなかなか出ない酒の素みたいなもの」を気の合う留さんと一緒に飲みたいと言う熊さん。真っ先に留さんの顔が浮かんだ、気が合う者同士で飲むと美味いよね、留さんもどんどんやって!と口では言いながら、自分ばかりが飲んで、留さんに飲む隙を与えない。お燗をつけさせ、茄子ときゅうりの古漬けを糠床から出させて、胡麻と生姜を細かに刻ませて振りかけさせ、挙句にまな板と庖丁は片づけておきなさいと命じる。

留さんの甲斐甲斐しい働きに感心し、「お前さんと所帯を持ちたいくらい」と持ち上げるが、これじゃあ、留さんが酒を飲む余地がない。熊さんがかみさんをしくじったエピソードを笑い話として喋るが、留さんは笑えるわけがない。すると、熊さんは「仏頂面はよくないよ」「お前さんは酔うと陰気になるから」と小言を言う始末。

「唄いなよ、陽気にいこうよ」と熊さんは都々逸を披露するが、留さんは黙り込むばかり。聴き手である僕が「留さん、飲ませてくれと言えばいいのに」とヤキモキしてしまう。一方の熊さんは「ヨーヨーくらい言えよ」と取り付く島もない。徳利に入れた酒を煮え燗にしてしまって、「お燗番がボヤボヤしていたら駄目じゃないか!」。その熱々の酒も、熊さんがフーフー冷ましながら、一人で飲んでしまう。

「熱くても美味い酒は美味いねえ」という熊さんの台詞に、とうとうキレた留さん。「飲まない酒が美味いか、不味いか、わかるかよ!」。怒って当然。本当に可哀想な留さんに同情する。何が「気の合う友人と飲みたい」だ、お前とはいつも気が合わないんだよ!くらい言ってやった方が、熊さんのためだろう。そういう“都合の良い友人”とはきっぱりと縁を切った方が良いと思った次第。

「山崎屋」。自分は堅いんだと言って、若旦那を諭す番頭の九兵衛だが、実は…。脇に妾を囲っていることを若旦那は知っていて、それをタネに吉原遊興費を捻出しようとするところ、番頭が慌てふためく様子が実に面白い。

花魁が若旦那のことを本気で惚れているなら、作戦があると番頭が描いた狂言の筋書きの見事さがこの噺の肝だろう。花魁を親許身請けして、鳶頭の家に匿ってもらう→若旦那は三か月吉原に行かずに辛抱→すっかり真面目になった若旦那に番頭が百両の掛け取りを任す→その百両を鳶頭に預け、落としてしまったと親父に報告→親父は悪い遊びに使うのだなと信用しない→そこへ鳶頭が百両入った財布を拾ったと届けに来る→親父、息子を信用しなくて悪かったと反省→番頭が百両届けてくれた鳶頭に礼に行くように大旦那に進言→鳶頭の家に行くと綺麗な若い女性(身請けした花魁)に気づく→鳶頭が「女房の親類の者で屋敷奉公が終わってどこかに縁付けたい」、ついては500両の持参金もあると言う→大旦那が是非、息子の嫁に!と願い出る。この筋書きが面白いように進むところ、「番頭さんあっぱれ!」と思う。

サゲのために吉原の色々なしきたりや慣習や言葉をマクラで仕込む必要もあり、話芸が達者でないと面白くならない大ネタだと思う。三三師匠は番頭の書いた狂言の見事さ、そして吉原の蘊蓄のマクラを端正に仕込んで洒脱にサゲにもっていくあたり、その技量の高さを再認識した。