こまつ座「夢の泪」、そして きよ彦BOB!! 林家きよ彦「反抗期」

こまつ座公演「夢の泪」を観ました。井上ひさし先生の「東京裁判三部作」は、初演から並べると、01年「夢の裂け目」、03年「夢の泪」、06年「夢の痂」。「夢の泪」は実に21年ぶりの再演である。

初演も演出を担当した栗山民也さんがプログラムの中でこう語っている。

「夢の泪」の舞台である1946年の日本は、東京大空襲により瓦礫と化していました。その瓦礫の風景からいかに人間が再生していくかということが、この作品のテーマでもあります。(中略)井上さんはまた、愚かにも人間はどうして同じことを繰り返すのかということを、深く刻みます。エピローグが10年後であることは印象的で、その間に朝鮮戦争が勃発し、戦争を二度とやらないと誓ったはずがアメリカに従属し、朝鮮特需を迎え、自衛隊も設立します。

井上さんは「東京裁判三部作」から「フツー人」という言葉を使い始め、フツーの人とは何かというところにより深く切り込んでいきました。「夢の泪」では、各々が生活する上で色々な問題を抱えていて、そこに大きく東京裁判がのしかかるという構造になっている。(中略)弁護士だったはずが金にまみれていく菊治は、まさに日本そのもの、作者が描きたかった日本の真の姿なのでしょう。以上、抜粋。

芝居の主役の一人である伊藤菊治を演じるラサール石井さんも同様のことを役柄を説明する形でこう語っている。

戦争や災害を、10年もすればすぐに忘れてしまう日本人の悪いクセを描いているんですよね。そうか、日本人ってのはしょうがないなって感じがお客様に伝わるといい。僕の役、伊藤菊治はそんな典型的な日本人です。目先のことしか考えてないんですよね。人の情を裏切ったりはしないけど、こと金と女に関してはだらしがない。倫理観がちょっと欠けているのかな(笑)。芝居の中でいいこと言う役のほうがよく見えるだろうけど、アイツしょうがないねっていう役も大事だと思うんですよ。劇中で「この戦争は日本が仕掛けて中国を侵略していったのに、アメリカに負けて可哀想な自分達だと日本人は思っている」といったことを口にするんですが、井上さんはそういうことを声高には書いていないので、それがにじみ出るように表現できればと思いますね。以上、抜粋。

この芝居は終戦直後のことを描いてはいるが、まるごと今の日本や世界に移し替えることができるメッセージだ。ガザやウクライナ、あるいは能登の現在とも重なって見える。井上ひさし先生が亡くなって14年、遺された戯曲は古びるどころか、益々重みをもって僕らに覆いかぶさってくるようだ。

夜は高円寺に移動して、「きよ彦BOB!!~林家きよ彦勉強会」に行きました。「保母さんの逆襲」「追っかけ家族」「反抗期」の三席。この会は「新作ネタ卸し」を目標としているが、現在、きよ彦さんはわん丈師匠の真打披露興行の番頭役を勤めている真っ只中で、ヘロヘロ状態。そこで今回は「新作ネタ」のアイデアの骨格、新作の素のようなモノを口演し、改めて自分の独演会で形にして発表するということになった。それを含めると四席だった。

「反抗期」。久々に聴いたが、面白い。エリカの母親の教育方針は「立派な元ヤンに育てる」。世の中、肩書社会。中でも最強の肩書が「元ヤン(元ヤンキー)」だと唱える。東大卒の医者より元ヤンの医者に診てもらいたい。落研出身の落語家より元ヤンの落語家の噺を聴きたい。最強ではないか!

だから、娘のエリカは「親の敷いたレールに載せてヤンキーに育てた」のだという。イロハかるたの例が面白かった。「犬も歩けばボコボコにする」「骨折り損のくたばり損ない」…。魔法の言葉は「勉強しなさい」。この言葉で大抵の反抗期の子どもはヤンキーへの道を歩むという…。傑作だ。

「新作ネタ」のアイデア。日本人は「実に〇年ぶりの快挙」とか、「〇年に一度の大器」とか、そういうフレーズが大好きで、もてはやされる。そこで町おこしのアイデアに困った町長は色々な「〇年ぶり」や「〇年に一度」を町に作って話題にして、観光業者やイベンターに注目されるように仕向けたが…という噺。ところが、ことごとく上手くいかないで、最終的には「ただただ幸せな町」に落ち着く…みたいな構成。さて、ここからどんなディテールが盛り込まれ、膨らませられるのか。きよ彦さんの今後に注目だ。