演劇「カラカラ天気と五人の紳士」、そして柳家わさび「ステルス」

シス・カンパニー公演「カラカラ天気と五人の紳士」を観ました。作:別役実、演出:加藤拓也。

何がおかしいかわからない。けれど、おかしい。この芝居を観て僕がまず感じたのは、そんな感情だ。その笑いの先には人間の死がある。本来厳粛であるべき死を笑うことができるのか。だが、この芝居にはそんな突き抜けた企みがある。人生とはつまるところ死を待つ時間なのだから、死を笑うということは生を笑うことでもあるという…。別役実さんは晩年、不条理劇の魅力をそう語ったそうだ。(内田洋一「別役実の不条理コント、その行きつく先は」より)

プログラムによれば、別役さんは1960年代から劇作家として活動を始め、2020年に没するまで140本以上の戯曲を生み出し、日本における不条理劇の第一人者として、後進の演劇人たちに多大な影響を与えた。生涯で137本の戯曲を書いたとされる鶴屋南北を意識して、その南北の本数を超える本数を80歳過ぎまで書き続け、その創作意欲は失われなかったという。

五人の紳士がどこからともなく現れて、とりとめのない会話を続け、どんどん会話がズレていくうち、気が付けば遥か予想もつかない展開に…。別役さんが手掛けた「五人の紳士もの」と呼ばれるシリーズは、1971年に発表した「ポンコツ車と五人の紳士」を皮切りに、1992年上演の本作「カラカラ天気と五人の紳士」を含め、25年にわたってゆるゆると続いた。

「風の演劇 評伝別役実」を著した内田洋一さんは別役実の戯曲の多くが「電信柱のある宇宙」と呼ばれる、どこでもない場所で繰り広げられる不条理劇だとして、プログラムの中でわかりやすく解説しているのが興味深かった。以下、抜粋。

電信柱があるだけで、そこにはほとんど何もない。名前をもたない不思議な男と女がやってきて、ままごとのようなことを始めたり、奇妙な儀式に夢中になったり。この人たち、話がかみ合わないなあ。言葉を取り違えてばかりじゃないか。観ているうちにもどかしくなり、しまいには笑ってしまう。主語がはっきりしないまま会話が混乱し、あれよあれよとずれが増殖する。「何だって?」などと言っているうちに大騒ぎになる。別役実が書きつづけた不条理劇は、多くがそんなふうだ。以上、抜粋。

不条理=「理解不能なもの」と思いこんでいた僕は間違っていた。不条理を極めると、それは笑いになり、その笑いは死生観につながる。別役実さんが亡くなっても、その作品の魅力は衰えることなく、後世の演劇人たちによって受け継がれていく。その素晴らしさを思った。

池袋演芸場四月上席千秋楽夜の部に行きました。柳家わさび師匠が主任を勤める興行だ。

「のめる」古今亭松ぼっくり/「出来心」柳家小太郎/「安兵衛狐」柳家さん花/奇術 如月琉/「猫の皿」古今亭文菊/「大安売り」三笑亭歌武蔵/漫才 笑組/「亀田鵬斎」柳家さん生/「尿瓶」柳家小満ん/中入り/「宗論」&奴さん 三笑亭律歌/「地獄極楽」林家しん平/ものまね 江戸家猫八/「ステルス」柳家わさび

わさび師匠の「ステルス」。“存在感”というものにスポットを当てた秀作だ。主人公のミヤザキの設定が良い。学歴は中卒、年齢は三十五、長所も特技も資格もない。履歴書の文字が薄いことが表しているように、「存在感がない」。それを短所ではなく、長所と捉え、彼を採用したのは悪徳商法の親玉だった…。

その“悪徳商法”も現代を映し出していて、興味深い。同窓会に同窓生を装って忍びこみ、明らかに存在感の薄い“負け組”に狙いを定めて、「もてる方法を教えます」と近づくのだ。「俺は彼女が5人いる」と自慢し、それには“悪魔の方法”があると誘う。「あなたのような男がもてない方がおかしい」と甘い言葉を使い、女性に媚びを売っているようじゃ恋愛対象にならない、このマニュアルを使えば必ずモテ期が来ると約束する。そして、そのマニュアル代金をATMに誘導して振り込ませるというものだ。

ミヤザキは悪玉にインカムで指示されながら、ターゲットにした“負け組”のワタナベ君をATMに誘導したが…。そこで大逆転劇。ミヤザキは特殊詐欺を潜入捜査するFBI日本支部の捜査官だった!見事に悪徳商法の親玉を現行犯逮捕するという…。

ネガティブ思考の負け組でいかにも詐欺にひっかかりそうなワタナベ、そして悪玉に指示されるがままに行動していたかのように見せていたミヤザキ。この二人の「存在感のなさ」をわさび師匠が巧みに人間描写していたのが光っていた。