一龍斎貞鏡「浪花のお辰 おくら殺し」、そして奈々福 喬太郎アニさんにふられたいっ!

一龍斎貞鏡修羅場勉強会に行きました。「山内一豊 出世の馬揃え」「浪花のお辰 おくら殺し」「二度目の清書」の三席。

「出世の馬揃え」。一豊の妻・千代の優しさ、可愛さに焦点を当てるのではなく、「貧すれば鈍する」とは正反対の一豊の志の高さを強調しているのが貞鏡先生らしくて素晴らしい。「貧乏はつらい。馬がなくては出世ができぬ」という夫の悔しさ、夫の大事に接して、千代は嫁入りしたときに持ってきた鏡の裏にしまっておいた金5枚を差し出す。これによって一豊は名馬を購入することが出来、信長公の覚えを良くしたわけだが、名馬を持っていれば出世する、そんな簡単なことではないだろう。宝の持ち腐れという言葉もある。一豊が人一倍の努力をしたからこそ、文武に長けた侍として評価され、期待に応えた活躍をしたからこその出世だと思う。

「おくら殺し」。土浦の芸者だったところを土屋長六に身請けされ、二回り年下の女房に収まったお安が実は毒婦だった…。亭主の留守中に偶々寺参りに行った帰り道で出会った“アザミのおくら”が「お辰姐さんでは?」と声を掛けたのが悪運だった。近所の鰻屋に連れて行き、2両を握らせて「これで身なりを調えよ」と言って外に出た隙に、お安は行方をくらますことに成功したかに思ったが、そうは問屋が卸さなかった。

お安は6年前に“浪花のお辰”として、おくらと結託して、甲州の呉服商を強盗殺人するなど悪事を重ねた悪党だったのだ。そこから抜け出し、芸者になって、ようやく堅気の女房に収まったと安心していたのに…。

おくらは案の定、お安の家を探し当てて訪ねてきた。「こんな大家のかみさんに収まって、水くさい」と言いながら、“浪花のお辰”時代の悪事をばらされたくなかったら、「2両で手切れとは虫が良すぎる」と強請る。その日は20両、翌日にも来て10両を受け取ったおくらだが、翌々日にまた訪ねてくる。

お安はおくらに「亭主の長六を殺して財産を山分けする」相談を持ち掛ける。長六は名主の金兵衛宅に行っているので、その帰り道を襲おうと四ツに木陰で待ち合わせをした。しかし、それはお安の計略で、気を許していたおくらを背後から匕首で刺し殺した。そのときのお安が放った啖呵は貞鏡先生の面目躍如たるところを見せてくれ、圧巻だった。

「二度目の清書」。大石の仇討に対する強固な意志を、義父である石束源五兵衛が鋭く察知するところの心の駆け引きを巧みに表現していて、素晴らしかった。寺坂吉右衛門の役割も大きいが、大石が如何に寺坂を信頼しているかも良く伝わってきた。

大石の廓狂いはいよいよ、高円という太夫を身請けして、家に住まわせ、自分の酒の相手や寝間の伽をさせると言い出す始末に、妻のお石は呆れ果てる。そんな狐女郎とは一緒に住めない、離縁をしたいから三行半を書いてくれと願い出る。大石の実母ことも涙して意見をするが手応えなし。お石は吉千代と大三郎の二人の幼い息子、それに義母ことを連れて実家の但馬豊岡に帰るという。

そのときの大石の心中いかばかりか。その胸中は苦しい思いでいっぱいであったろう。だが、そんなことは顔色に出さず、義父の源五兵衛へ事の子細を書面に認め、寺坂吉右衛門に託す。そのときに添えた言葉、「心中よしなにご賢察を」。これを受け取った源五兵衛は全てを見通し、「委細承知仕った」。この男と男、武士と武士の表に表れない心の交流が胸を締め付ける。

そして、元禄十五年極月十四日に吉良邸討ち入り、見事仇討本懐を遂げた旨の書面が寺坂によって豊岡に届けられる。そして、その討ち入りの詳細を寺坂がお石たち家族に物語る様は、まるで聴き手である我々も大石の身内であるかのように食い入るように拝聴した。貞鏡先生の見事な物語りであった。

夜は四ツ谷に移動して、「玉川奈々福 喬太郎アニさんにふられたいっ!」に行きました。喬太郎師匠から出されたお題を元に奈々福先生が新作をネタ卸しする会である。前回は「日本の民話」というお題から浪曲「物くさ太郎」が誕生した。今回のお題は「神社仏閣」であった。

「おづのおんつぁま」玉川奈々福・広沢美舟/「蒟蒻問答」柳家喬太郎/中入り/「天保六花撰 河内山宗俊 上州屋玄関先」玉川奈々福・広沢美舟

奈々福先生の「おづのおんつぁま」。神社仏閣というワードから「修験道」を連想し、日本の山岳信仰である山伏は、浪曲のルーツの一つとされる「山伏祭文」と繋がっているという発想の元、奈々福先生が数年前に山伏修行をした体験談をデフォルメして聴かせてくれて、興味深かった。

出羽三山に二泊三日で山籠もりをしたのだそうだ。白装束に身を包み、先達さんに導かれて、まずは月山(標高1984メートル)を登る。日本海を見渡し、夕日に照らされて庄内平野に月山の影が映るのが綺麗だったという。そして、先達さんが“秘所”と呼ぶ地に行くため、途中で杖を置きなさいと指示した。二つの手と二つの足を駆使して、ほぼ垂直という断崖絶壁を降りる。

そのとき、奈々福先生には男の子と女の子の声が「飛んでしまえ!」と言っているように聞こえたという。そして、子どもらが「おづのおんつぁま」と呼ぶ男性が現れたそうだ。奈々福先生の表現によれば「田中珉さんに似た人」。それが山伏なのかはわからない。

青い湖、そして森。鳥が鳴く。楽園のような土地が広がった。おづさんは「思い切り大きな声を出しなさい」と言う。奈々福先生は浪曲を唸った。しばらくすると、何も音が聞こえなくなった。おづさんは「山と響きを同じくする」と言った。自然と同期したということなのか。

突然、先達さんが「ちゃんと付いて来てくれなきゃ駄目だよ」と言いながら現れた。さっきの男の子や女の子やおづさんはどこにもいない。崖の上にいた。このことを話すと、先達さんは「ノイズキャンセリングですね」と言った。とても不思議な体験だったと締めた。

奈々福先生の浪曲のどこまでが真実で、どこからがフィクションかは判らない。ただ、山岳信仰の神秘的世界の一端を見たような気がした高座だった。