東家三楽「山の名刀」、そして真山隼人「水戸黄門 湊川石碑建立」

木馬亭の日本浪曲協会四月定席四日目に行きました。

「たにしの田三郎」東家一陽・東家一太郎/「甚五郎 京都の巻」東家志乃ぶ・東家美/「馬子唄しぐれ」東家三可子・伊丹秀敏/「弥作の鎌腹」東家一太郎・東家美/中入り/「西村権四郎」真山隼人・沢村さくら/「鼓ヶ滝」一龍斎貞奈/「豆腐屋ジョニー」玉川太福・玉川みね子/「山の名刀」東家三楽・伊丹秀敏

志乃ぶさん。年明けしたばかりとは思えない節の美しさ。大久保彦左衛門お抱えの名工となった甚五郎だが、自分を育ててくれた京都の藤兵衛親方への恩を忘れないのが良い。寺社奉行から請け負った知恩院普請の仕事、裏切り者の仁兵衛の再三再四にわたる妨害に対し、彦左衛門の口利きで江戸の腕利き大工50人が駆けつけて、仁兵衛をギャフンと言わせる爽快感。藤兵衛親方の病も完治し、息子の藤吉含め、ハッピーエンドで幸せな気分になれた。

三可子さん。餡子の小諸馬子唄の歌声も素敵だ。血気盛んな松本藩士に斬り捨てられた“唄の治六”の無念を引継ぎ、妹のおせんは決して侍は乗せないと心に決めていた。治六を葬った追分塚に三回忌の供養をしたおせんがひょんなことから出会った盲目の侍に「実は自分が治六を斬った愚か者。両眼を失ったのも罪の報い。仇を討たせようと権現様が引き寄せたに違いない」と告白されるが…。おせんはこの侍を斬ることが出来なかった。「話を聞いて、恨みも消えた。少しでも不憫に思うなら、この塚に向かって詫びてください」。罪を憎んで人を憎まず、素敵な読み物だ。

隼人さん。蒲生氏郷が吹聴する戦の功名をめぐって、家来の西村権四郎が「私が殿を助けた。功名は西村にあり」と言い出すと、氏郷は「助けてもらった覚えはない」と譲らない。相撲で決着をつけようとなり、西村は遠慮なく氏郷を投げ飛ばしてしまう。「余の慢心を戒める気持ちの良い男」と氏郷は評価したが、それよりも早く西村は“出過ぎた真似をした”不忠を恥じ、行方不明に。

3年が経って松坂城に戻ってきた西村と氏郷は和解し、酒を酌み交わすが…。酔った勢いは怖い。痩せ細った西村に対し、「今なら相撲で負けない」と氏郷がけしかけると、西村は「屁でもござらぬ」と本気になり、また相撲で氏郷を投げ飛ばしてしまう。ハッと我に返った西村は切腹しようするが、氏郷は「相変わらずの武士気質、あっぱれ。これからも主従として勤めてくれ」と、相撲一番に500石、都合二番で1000石の加増をしたという…。世の中、融通をつける柔軟さは大切だが、それとは反対に意地になって一刻を貫く頑固さもまた大切なように思う。

三楽先生。十数年ぶりの蔵出しだそうだが、素晴らしかった。江戸の徳島屋で4年奉公した治三郎は故郷の父親が病に伏せて田地田畑を失ったと聞き、旦那に暇を申し出て、蓄えた45両に旦那からの見舞金5両、都合50両を懐に木曽の故郷に向かったが、道に迷ってしまった。ようやく見つけた谷間の一軒家に泊まれるように頼みこむが、そこのおよしという名のおかみさんは「主人が山賊をしている。戸棚に匿ってあげるから、翌朝見つからないように出ていきなさい」と優しく対応してくれた。

だが、その捨丸という名の山賊は「俺の目は節穴じゃない。俺の見立てだと50両ほど持った若い男がこの家に来たはずだ。どこに隠した?」と言って、およしを薪で叩く。居たたまれなくなった治三郎は自ら戸棚から出てきて、その山賊に50両を渡す。さらに旦那から貰った道中差も置いていけという。その代わり、家に何本も刀があるから「好きなものを持って行け」。そのうちの一本を貰って、治三郎は山道を歩き出す。そのとき、捨丸は火縄銃を構えて、治三郎に向かって発砲した。

その35日後。治三郎が捨丸の家に再び訪れた。火縄銃は運良く命中せずに命拾いをしていたのだ。およしが出迎えると、捨丸は病に伏せて寝ている。「召し捕りに来たな」。だが、そうではなかった。治三郎は貰った刀を持って江戸へ戻り、旦那に見せると、この刀は「五郎正宗の作」の名刀だと言う。旦那が200両で買い上げた。それだと捨丸にすまないので、150両を持ってきたという。「どうか、納めてくれ。病を治して、堅気になって、おかみさんと幸せになってくれ」。

捨丸は男泣き。治三郎の素性を訊く。「木曽の美濃村の治助の息子で治三郎だ」。すると、捨丸はハッとして、「俺は十五で勘当になった、兄の治太郎だ」。そう言うと、短刀で自分の喉を突く。治三郎とおよしは治太郎にすがりつくが、呼べども叫べども答えはない。懇ろに弔いを済ませ、治三郎はおよしと共に江戸へ出るのだった。講談や落語の「名刀捨丸」と一味違う、これぞ浪花節という人情味溢れる演出が心に響いた。

夜は「真山隼人ツキイチ独演会」に行きました。「花形演芸会スペシャルの條」「水戸黄門 湊川石碑建立」「ゴルフ夜明け前」の三席。

「水戸黄門 湊川石碑建立」。坂本村に粗末な祠に祀られている楠木正成を見て、水戸光圀公はこれじゃあいけないと思って、立派な石碑を建ててあげるという話なのだが、実にユーモラスな脚色で落語で言うと人情噺というより、滑稽噺の部類に入るように思った。

光圀が兵庫湊川随一の石屋職人である源兵衛に頼みに行くところ。偏屈の源兵衛と渾名されている男だが、そこを上手くおだてて、200両で仕事を頼むやりとりが愉しい。だが、源兵衛の家の前の通りは参勤交代で通る道で、そのために仕事が出来ず、「半年待ってくれ」と言われてしまう。

そこで働く光圀の頓智。「この道通るべからず。他の道を通れ。水隠梅里」と一筆書き、これを立札にしろと言う。水隠梅里は光圀の俳号。これを見た毛利の殿様はビックリして、「この土地に副将軍がいらっしゃるのか!」。源兵衛が光圀の泊まる河内屋に案内すると、光圀公は毛利の殿様に対し「楠木正成公があんな粗末な祠に納まっているのはけしからん」と説教。結局、毛利の殿様は“石碑建立寄付金”として500両を出したという…。隼人さんの巧みな表現力と節と啖呵の技術で大変に面白い読み物になった。

「ゴルフ夜明け前」は桂三枝師匠(現・文枝師匠)が芸術祭大賞を獲った新作落語が原作。新選組の近藤勇と沖田総司に対し、坂本龍馬が当時西洋から渡来したゴルフに招いて、密談をするというフィクションだ。

人懐っこくてとぼけた愛嬌のある坂本が、大真面目で熱血漢の近藤を懐柔していく様をユーモラスに描いているのが面白い。ただ、幕末の動乱という史実と余りにもかけ離れ過ぎて、別にこれは近藤や坂本じゃなくてもいいんじゃないかと感じた。それと、ゴルフ場での場面描写が少なく、その後は近藤と沖田とのやりとりに終始して、個人的には笑いのタネが空回りしている印象が否めなかった。