けんこう一番!三遊亭兼好「藪入り」、そして京山幸枝若「会津の小鉄 文治殺し」
「けんこう一番!~三遊亭兼好独演会」に行きました。「長屋の花見」「三方一両損」「藪入り」の三席。前座は三遊亭げんきさんで「牛ほめ」、ゲストはサックス奏者の尾崎一宏さんだった。
「藪入り」。可愛い子には旅をさせよ。奉公に出した亀吉に対する、父親の熊五郎の純朴な親心が良い。あれもこれもと、とても食べきれないほどの料理を食べさせてやりたいと思いを巡らせたり、本所から川崎、羽田、江ノ島まではわかるが伊勢、京大阪、四国、九州、ピョンヤン…と一日で連れて廻りたいと妄想したり、まるで子どものように真っ直ぐな熊五郎が憎めない。
いざ亀吉が帰ってくると、ドギマギして、まともに自分の息子の顔が見られず、声が出ない熊五郎の抱きしめてあげたいほどの可愛さ。亀吉が「めっきりお寒くなりました…」ときちんと挨拶して、親の健康を気遣って、すっかり大人びているのとは対照的なのが面白い。「奉公というのはありがたい」と思わず漏らす熊五郎の一言を聞くと、江戸時代の奉公制度というのは良く出来ていたのだなあと思う。一年に二度の宿り、10年は無給など、現代では考えられない制度だが、どこか学ぶところがあるのではないかと思う。
母親が見つけたガマ口の中の5円札3枚。「あの子は人様のものを盗むような子じゃないが、友達の中に悪い子がいて唆されたのかもしれない」と考えてしまう母親の心配。熊五郎はすっかりそう思いこみ、「野郎、やったな。あいつ、どこか後ろ暗いところがあった」。単細胞というか、裏返せば真っ直ぐな性格ゆえなのだけれど、「かえってよからぬ心配までしてしまう」親心が恨めしい。
「ネタは上がっているんだ。誰から盗んだ?白状しろ!」と息子を責めてしまうが、亀吉の答え「鼠の懸賞で当たったんだ」にホッと胸を撫で下ろす両親の安堵が目の前に見えるようで嬉しい。かくばかり偽り多き世の中に、この可愛さは誠なりけり。子どもというのは順調にスクスク育っているように見えるが、些細な躓きを繰り返しながら親と一緒に歩んで成長していくものなのだろう。子どもを持たない僕が言うのもおこがましいけれども。
夜は浅草に移動して、京山幸枝若独演会に行きました。「会津の小鉄 文治殺し」と「左甚五郎 掛川の宿」の二席。前講は京山幸太さんで「子は鎹」だった。
幸太さん、伸び盛りの勢いがある。「おっかさんに会っておいでよ」と言う息子の寅ちゃんに対し、「会わせる顔がないんだ」と答える父親の源兵衛の気持ちに思いを馳せた。家に帰る寅の後ろ姿を見ながら、「俺に甲斐性がないばっかりに、苦労をかける、許しておくれ」と思わず涙が溢れだすところ、感じ入った。
追い出した女房お崎が「屋敷奉公していたときに、出入りの大工の源兵衛と知り合った馴れ初め」を息子の寅に聞かせているという。お父っつぁんは酒に飲まれただけで、悪い人じゃない。寅が「未練ありそうだったよ」と言うのを源兵衛はどう受け止めたのだろうか。
子どもたちで独楽遊びをしていたときに、寅が大橋さんのボンに頭に傷をつけられた件。お崎が「そこのお宅は日頃から針仕事を頂いて、お世話になっている。子どもの喧嘩で気まずくなって、仕事を貰えなくなると我が家は路頭に迷う。辛抱してくれ、可愛い子よ」と我が子を抱きしめたことを聞いて、源兵衛は「すまん。堪忍してくれ。泣いたらあかん」と言いながら、自分が号泣しているところは落語でも感動的だが、節に乗るとより情愛が溢れ出して心に響いた。
幸枝若先生の「会津の小鉄」。侠客の世界の美学が幸枝若節によって胸に迫った。特に文治の育ての親であるひとふでが「子分の粗相は親分の手落ち。憎いは会津の小鉄」と仇討に行く決心をする最後のところ、なるほどこれが任侠の理屈なのかあと合点がいった。
役人二人を殺してしまい窮地に立った文治を、いろはの孝太郎が「助けてやってくれ」と会津の小鉄に頼み込み、小鉄は役人の袂に300両を入れて、その役人に「今回ばかりは顔を立てて命を助けてやろう」と言わせる。そして、文治を石田伸太郎のところに紹介状を書いて、草鞋を脱がせる。そして、3年が経った。
文治は3年ぶりに京都の自宅に帰った。京都島原から身請けした女房およしが待っているはずだった。だが、この3年仕送りを全くしていなかったため、佐渡から島抜けしたコソ泥で、今は小鉄の許にいるガリのデブタケがおよしの面倒を見ていた。文治が間男呼ばわりすると、「笑わせるな。礼を言ってもらおうと待っていたんだ」と返された。
そして、文治は金槌で叩かれ、ドスで刺される。そこにいろはの孝太郎が仲裁に入る。「文治、お前も悪いぞ。なぜ、その前に小鉄親分に顔を出さないんだ。道を間違えたから、こんな目に遭うんだ」。文治は重症で、外科の渡辺先生が診たが「早くて3日。遅くて5日。熱が出たなら、それまで」と見放された。
死ぬ前に育ての親のひとふでに会って、この世の別れをしたい。駕籠に乗り、伏見の大手前へ向かう。ひとふでは「惨めな姿になって…誰にやられた?」と訊くので、文治が仔細を話す。そして、「少し路銀を拝借して、高野山に行き、せめて片腕でも治して、デブタケとおよしを討ちたい。そうでないと、男が立たない」と言う。ひとふでは有り金全部を渡し、「早く元気になって帰って来いよ」と見送る。
だが、暫くすると元子分の橋本金五郎が文治の死骸を担いでひとふでのところにやって来た。昨夜、「自分の身体は自分がよくわかる。俺が死んだら、死骸をひとふでのところに持って行ってくれ。お父っつぁんにはいつまでも長生きしてほしい」と熱い涙を流して文治は帰らぬ人になったと説明した。
戸板の上の文治の死骸を見ながら、ひとふでは「惨めな死に方しやがって。昨日が別れであったのか。悔しかったろう。きっと仇は討ってやろう」。そう言って、ひとふでは京都白河の小鉄の玄関先へと向かった…。
仇はデブタケやおよしではなく、その親分の会津の小鉄になるのか。「子分の粗相は親分の手落ち」という侠客の世界の美学に触れたような気がした。